第453話 最後の言葉

シルヴィアが死んだ。


享年182歳だった。


魔道士だったシルヴィアは、通常の人族と比べれば倍ぐらいは生きたことになる。


俺と出会わず、魔道士としての修行の日々を続けていたなら、このさらに倍以上は生きられたはずだったと師であるバル・タザルは教えてくれた。


だが、シルヴィアはそれを分かった上で、クロードとの日々の暮らしを選んだ。


特異な食事制限をし、秘薬の摂取と厳しい修行に明け暮れる日々よりも、人間らしい、ささやかな幸せを選んだのである。


≪入寂≫は、長く険しい修練の先に魔道士としての極致に至った者のみが挑むことができる魔道究極の秘術であるため、バル・タザルのように肉体を捨て、魔力の思念体として生き永らえることはできなかったし、彼女自身がそれを望まなかった。


クロードの持つ≪御業≫を使い、死を先延ばしにする、あるいは≪大神界≫内のおける不死を実現することも可能であったのだが、シルヴィアはこれも受け入れず、多くの家族に見守られながら永遠の眠りについた。


人として生き、人として老い、人として死んだのである。


老いて、枯れ木のように痩せてしまったシルヴィアの身体から魂魄が離れて、それが二つに分かれたと思うと片方はクロードの中に吸い込まれ、もう一つはどこか別のところに飛んでいこうとし始めた。


クロードはそれを捕まえ、≪神力≫の小さな結界内に閉じ込めると自らの中にそれも納めた。



MEMORANDUMメモランダムによると、神々が創り出した生物は死ぬとその魂魄が二つに分かれ、一つは≪唯一無二のしゅ≫のもとへ、もう一つは≪大神界≫の外に飛んでいくのだという。


≪唯一無二のしゅ≫の推論では、これも≪大神界≫の外に存在する者たちの食料、あるいはエネルギー源となっている可能性があり、収穫行為の一端であると考えていたようだ。


この収穫行為の副産物が、あの≪神力≫を反転させる黒いもやのようなものであり、≪大神界≫の外に存在する者たちにとって、食物に含まれるいわば毒のようなものではないかとも≪唯一無二のしゅ≫は想像していた。


死者のその後にまつわるこの現象は、≪大神界≫を覆う≪ウォルトゥムヌスの果実≫と呼ばれる檻の力が、≪唯一無二のしゅ≫の理解の外で様々な作用を及ぼし、創造主たる彼をもってしても、なぜそうなるのかわからないという現象が多く存在していることの一端を示すものだった。


全てを思うがままにできるように見えて、結局のところ、≪唯一無二のしゅ≫も、より大きな存在に支配され、管理されている対象に過ぎなかったのだ。



誰もいなくなった部屋で、自分の身に納めたシルヴィアの魂魄の欠片の存在を感じながら、クロードは彼女の亡骸が横たわる寝台の傍らに立ち尽くしていた。


その指ですっかり細くなった髪を撫で、皺が刻まれた額に口づけした。


もうそこにシルヴィアが存在していないことは、おそらくこの世界のだれよりもわかっている。



別れの時、≪神≫としての力を使い延命しようとしたクロードに彼女は言った。


「クロード様、わたしはもう十分に生きました。このまま静かに眠る様に、人として逝かせてください。幸せな人生をありがとうございます。あなたを知って、あなたの愛に包まれて、人として最上の喜びをたくさんいただきました。孤児として生まれ、疑うことなく魔道教団で育った私には勿体ない人生」


「そんなことを言うな。俺を一人にしないでくれ」


「ふふっ、あなたの涙を久しぶりに見た気がします。前に見たのはいつのことだったかしら。ああ、こうして記憶というのは失われていくのね。でも、私は幸せ。永遠に生き続けるあなたに、ずっと覚えていてもらえるのですもの。……愛しています。ずっと、……愛していますよ」


これがシルヴィアが俺にくれた最後の言葉だった。




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