第8話
俺はカウンターでお客様に
「またのご来店をお待ちしています」
と言って頭を下げた。彼は三流のナイフ使い。俺の調べによると仕事の場所は大阪なのだが、大阪に泊まるとばれた時にトンズラできないので、京都のここのホテルに泊まったらしい。すべてパソコンで調べたことだ。
うちの店にはパソコンがないということになっているが、実際は嘘だ。パソコンはちゃんとある。
黎明の通り名を冠して仕事をすること五十年。ようやく引退して、ホテル経営でまあまあ稼いでカタギの人間として余生を過ごそう。
そう思って始めたホテル経営でもやはり泊まるのはカタギの人間ではない殺し屋たち。
たまにかつての仲間もやってきてくれる。俺の知り合いの一人は引退した後どっかの劇団に入ってナイフ投げとか、殺し屋時代に使っていた血なまぐさい技を日本中回って披露している。
その劇団の人も京都に公演があるときは泊まりに来てくれるが、見た感じ大半の人はカタギの人間だ。
俺はため息をついた。とはいえ、別に悪い気はしない。多くの殺し屋にこのホテルは信頼されている。喜ばしいことだ。今後もこのホテルを経営するため、俺は何が何でも死なない。
特殊部隊程度に負けるか。
俺はカウンターに置かれているつまようじを投げた。それはカウンターベルの隙間を通り、レース編みのテーブルクロスのレースの部分を通過し、最後に、ラウンジの机の上のつまようじ入れに入った。距離で言うと八メートルほど。まだ腕は鈍っていない。
俺はほくそ笑んだ。
「まだまだだな」
俺は二発目のつまようじを投げた。階段を跳弾しながら登り始める。いつも通りならこのつまようじは、二階のようじ入れに入るはずだった。
しかし運が悪かった。
誰かが階段を下りてきたのだ。相手が気配を消していたので気づかなかった。誰だ?よく見ると、岩沢君だった。俺が護衛を頼んだ殺し屋。まずい。相手が一流以下の殺し屋だったら怪我する。
俺は一瞬生じた動揺を零コンマ以下でねじ伏せて、まあ大丈夫だろうと考え直した。
彼は一流以上の殺し屋だ。
岩沢は跳弾するつまようじに気づいたのかベルトに手をかけた。
その瞬間、跳弾していたつまようじが消えた。俺は目を下に落とす。木くずが、カーペットの上に散らかっていた。
岩沢君は、肩に鞭のような武器をかけていた。あれは・・。ウルミ。鞭のような長剣。柔らかい鉄で作られていて、ベルトのように腰に巻いて持ち歩く。
扱いが非常に難しい。昔これの使い手と戦った時のことを思い出した。
あの時は大変だった。つまようじはウルミに弾かれて、もし短機関銃も持った応援がこなかったら死んでいただろう。
「危ないでしょ黎明さん!」
岩沢君が、声をとがらせた。
◇◇◇◇
本を読むために階段を下りている最中、突然つまようじが壁や手すりの間を跳弾しながら飛んできた。その瞬間、俺の体は反射的にウルミを抜き放った。
つまようじをウルミで細切れにする。速度を考えると、もし当たったら腹の肉を貫いていた。
急所には当たらない飛び方なので、死にはしなかっただろうが、永逝と戦ったときに手榴弾で食らった怪我は完治していない。
治療がさらにめんどくさいことになっただろう。銃弾の摘出手術なら格好がつくが、つまようじの摘出手術なんて笑うしかない。
「危ないでしょ黎明さん!」
俺は怒鳴った。つまようじの破片がカーペットの上に散らかった。
「悪い悪い。二階のつまようじ入れにつまようじを入れようと思って」
黎明さんが、のんびりした口調でとんでもないことを言った。つまようじって跳弾するものじゃないし、本来そんな風に扱うものじゃない。
「ちゃんと歩いて入れに行ってください!」
「足腰弱っている老人を労わったらどうだ?」
「階段を上るあの足さばきは足腰弱ってる老人にはできませんよ」
黎明が、またつまようじを投げた。今度は俺のすぐそばを挑発するように通り過ぎて、そのまま二階へと飛んで行った。
「それすごく危険だと思うんですけど」
俺が声のトーンを落として注意すると、
「大丈夫。人が少ない時間帯を狙ってやってるから」
「いや、現に僕に刺さりかけましたよ⁉」
「気にするな。事故だ」
俺は言い返す気力もうせてため息をついた。こいつには勝てそうにない。殺しでも、言論でも。
俺はウルミをベルトにしまった。
「まあ。それだけの腕があれば万が一のことはなさそうですね」
「相手の実力が分からん以上、何とも言えん」
その一言には、さっきまでのふざけた会話とは明らかに違う重みがあった。
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