第7話
ホテルの部屋で目が覚めた。そこら中に包帯が巻いてある。場所によっては包帯に若干血が染み出ていた。
窓の外を見ると、粉雪が降っている。もう夕飯時だ。時計は六時。俺が仕事をしたのは十一時ぐらいだから、日付が変わっている。丸一日寝込んでいたらしい。
「大丈夫か!」
そう言って体を揺らしてくる誰かがいる。信也か?
「起きないならこうしてみましょう」
この声は……ホテルのオーナー?
その瞬間、俺の腹に激痛が走り俺は飛び起きた。
「今何やったんだ!」
「大丈夫?」
信也がすごい心配そうに顔を覗き込んできた。ホテルのオーナーが、
「腹の傷を軽くつつきました。包帯の上からですけど」
と、普通に言った。
「黎明。お前に治療された奴は不幸だ」
俺が、お前の素性は割れてるぞという意味も含んだ言葉を言うと
「私が応急処置しなければ傷口が膿んでましたよ」
黎明に関してはノータッチで、オーナーは恩を売り込んできた。
「へいへい。そりゃどうも」
「今回は無料サービスの内なのであんな起こし方しましたけど、有料サービスだったらもっと丁寧に起こしましたよ」
「信也。なんで有料サービスにしなかったんだ?」
「タダより高い物はない」
信也は古くより伝わる素晴らしいことわざを述べた。その心は凪いでいた。
「それでは。またいつでもどうぞ」
「もう二度と頼まん」
黎明は音もなく部屋を出ていった。
「なあ見ろよこれ。一億円振り込まれているぜ」
信也はパソコンの画面を指さした。大手マネーロンダリング銀行の口座に、某企業から一億円振り込まれている。
「ほお」
俺は口座を見て笑みがこぼれた。マネーロンダリングには手数料がかかる。先にマネーロンダリング済みの衛生的な金を振り込んでもらえると、とても助かる。
「これだけあれば仕事に使う高性能パソコンも買えるし、仕事道具も、さらに性能がいいやつ買えるぞ!」
「そんなにやったら一億なんて一瞬で使い果たすぞ」
この仕事続けるには金がかかる。俺の愛刀ウルミの手入れにもかなり金がかかるし、信也は、オンラインで情報を買いあさっている。
たいていの仕事は十万程度だが、難易度の高い仕事や重要な仕事は一億円超えるものも少なくない。
「そういえば」
信也がふと思い出したように口を開いた。
「今回の依頼人について調べたんだけど、どうも某国が秘密裏に作成した特殊部隊のようなんだ」
俺は別に驚かなかった。法律にがちがち縛られてなかなか動けない軍隊からの依頼で暗殺を行うことだって少なくない。
「それが?」
「今回殺したこの人、どうも、もともとは、どこぞの特殊部隊に雇われていたらしいね。でも依頼をこなしているときに何か情報をつかんでしまったらしい。そして俺らに殺された」
「それが?」
別によくある話だ。国という巨大な組織を支えるには、知られてはいけないことも多い。情報統制のため使い捨てされるのはいつだって裏社会の殺し屋だ。
金貰ってるからグダグダそういうことは言わないが、少し気の毒だと思った。
「その特殊部隊は、ネイビーシールズだ。知ってるだろ」
俺は驚愕した。ネイビーシールズ。アメリカ海軍特殊部隊。まさしく世界最強の特殊部隊。数々の作戦を成功させ、数々のホームページで世界最強と評されている。
そして
「俺たちの師匠を殺した部隊は、ここの試験で、成績優秀だったけど落ちた人たちで構成された部隊だろ?」
俺の師匠。数々の武術をマスターした天才。俺はウルミを伝授されたが、他にも様々な武器を扱う。
師匠が生徒を育成するのに使っていた道場には大体生徒百人ぐらいが生活していて、自給自足で山奥にこもっていた。最後まで山に残れるのは十八人ぐらいだ。僕もその一人だった。
だが道場から世界へと羽ばたいた生徒は、数々のスパイ、特殊部隊隊員を撃破している。
特にアメリカの特殊部隊は、世界中で色々なことやってる分、生徒との遭遇率も高い。
当然煩わしいと思われたり、恨まれたりする。
最終的に情報をつかんだ米軍の非公開特殊部隊によって道場は襲撃を受け、師匠含む生徒の大半は死亡。俺を含む運のよかった生徒は、先輩に守られながら抜け道から逃げ出した。
その際にも、多くの先輩が僕たちの盾となって死んだ。
その特殊部隊の任務は、平たく言うと邪魔者の排除。かなりの凶暴な部隊だった。
そんな地獄からの脱出に成功した生徒。まあ十人程度だったが。のほとんどは、その技術を生かして裏社会の人間になった。
だが、こちらもかなりの腕利きぞろいで、向こうの被害も多く、二百人以上をその場で撃破できたのは唯一の救いだった。
その名もないその特殊部隊はその時壊滅状態になったはずだ。
「まさか任務の主体がネイビーシールズに移行したのか?」
俺はたぶん真っ青になっていたと思う。そうなるとあれと同じ惨事がまた起きることになる。
「いや。任務を受け継いだのはネイビーシールズの一部の部隊だ。隊員にも知らされてないんじゃないか?」
信也は冷静だった。信也も俺と同じ道場に行っていた。信也が使うのはパソコンだ。
ハッキングを学んでいたのだ。師匠はオンラインにも精通していて、道場全域に独自のネットを構築していた。
そこで学んでいたハッカーは、悪魔でハッキング専門なのでパソコンなしでの自衛能力がほとんどなく、襲撃の際ほとんど殺された。俺は信也の命の恩人だ。
俺らが駆けつけた時、パソコンが並べてある部屋にはハッカーの死体が転がっていた。みんな同じ釜の飯を食った生徒だ。部屋の真ん中でマシンガンを撃ちまくっている兵士がいる。その凶弾に襲われたハッカーは次々と倒れていく。撃破が間に合わず、三人ほどを俺らがいながら死なせてしまった。
信也に銃口を向けた時、俺は何とか二人の間に飛び込んだ。ウルミを振り回す。奴が引き金を引くより早く銃ごと指を切り落とした。その後先輩の投げたナイフによってそいつはこと切れた。だがそれまでに、大勢のハッカーが殺された。
あの部隊と同じ仕事をする部隊がもう一度か。しかも、俺はその仕事を手伝ってしまったことになる。最悪だ。俺はがっくりと肩を落とすと、歯を食いしばった。
「くっ」
「どうする?」
信也が俺の顔を慎重にのぞき込んできた。こういう時、信也は表面にあまり感情を出さない。と言うのもあるだろうが、俺が凄まじい怒気を放っているからでもあるだろう。
「そりゃあ当然次の任務を邪魔してやろうじゃないか。ついでにもう一回壊滅させてやる」
「ならいい方法がありますよ」
突然降ってきた声に俺たちは顔を見合わせた。二人とも口を動かしていない。しかも二人ともこんな柔らかい声色じゃない。その声が俺らのすぐ隣から聞こえたことに気づくのに三秒かかった。その後信也の襟首をひっつかんで飛びのくのに0,1秒。3,1秒後に俺らの意識から外れて俺らに近づいた。
相手がホテルのオーナーである『黎明』であることが分かった。
さっき部屋から出てったはずだ。
「いつからそこにいたんだ!」
俺は思わず怒鳴った。そもそも客の部屋にこんなずかずか入り込んでいいのか?
「二十秒前からでございます」
「だいぶたってるな」
信也が言った。思いのほか、その声は部屋の沈黙に響いた。
にこにこしている表情の読めないオーナー、無表情の信也。そして無表情の俺。ポーカーフェイスと言うのがある。無表情もポーカーフェイスの内だが、にこにこした自然なポーカーフェイスは本当に全く読めない。
「その・・・いい方法ってのは何なんですか?」
俺は鉛のように重い口を開いた。こうも相手の考えが読めないと何とも話しづらい。
「彼らの次のターゲットは多分私です」
衝撃の発言・・・でもない。彼はかなり優秀な殺し屋だ。きっと何度も各国の特殊部隊の妨害をしてきただろう。
「それは・・本当なんですか?」
信也が聞いた。俺もそれは気になっていた。そんなことどうやって調べたんだ?
「はい。本当です。知り合いのハッカーに米軍のブラックリストをハッキングしてもらったんですがそこに私の名前が載っていました。しかも優先順位はトップスリーに入っています」
「はぁ」
そんなことができるのか知らないが、信也が納得しているあたり不可能ではないのだろう。ただトップスリーにランクインするとは何をやったんだ?
「と言うことで、私の周りにいれば、すぐに彼らと遭遇できますよ」
黎明はそう言うと、夕飯を置いて部屋を出ていった。
メニューはレタスのサラダと、かつ丼だった。勝つ・・。これは例の特殊部隊との戦いで勝てるようにと言うことなのか、さっきの仕事に勝てたからなのか。
まあ俺は、重症の患者にかつ丼ってありか~と思いながらレタスを食べると、勢いよく掻き込んだ。柔らかい肉とふわふわした卵に、だしの旨味がたっぷりしみ込んでいて、なかなかおいしかった。
レタスにかけてあるドレッシングも控えめな柑橘系の甘みに舌に刺激を与える辛みが絶妙にマッチしていた。
完食したころにオーナーがやってきた。
「どうです?受けてくれませんか?」
表情の読めない笑顔でそう聞いてきた。信也と俺は顔を見合わせた。お互いうなずく。
「やりましょう。あなたの護衛」
「おや。ばれてましたか」
やはりそうだった。おとりという名目だが実際のところ彼は俺らに守ってほしいのだ。確かに彼は優秀だ。特殊部隊数名程度なら何とかなるだろう。だがもう年だ。大勢の特殊部隊相手に勝てるほどの鋭さはない。
だが俺らがついていれば、勝率はぐんと上がる。だから俺らに話を持ち掛けた。そんなところだろう。
「まあでもいいでしょう。あなた方が復讐できることに変わりはない」
「ああ。問題ない。全く」
俺と黎明は固い握手をした。信也は
「俺もいるんだけど・・」
と言っていたが、握手は三人でできないんだから仕方がない。
その後、黎明は信也とも握手をすると部屋を出ていった。
黎明が部屋から出たのを見届けてから、俺は
「くだらんことしやがって」
と言って、服の裾に付けられた小型のGPSを外した。
「そんなもんいつ付けてたんですか!」
信也もあわてて自分の裾を見た。やはり小型のGPSがついている。
「握手したときに決まってんだろ」
俺はもう一つ付けられていた盗聴器を「バカが」と一言言ってから指でつぶした。
「おっかない人ですね、あの黎明って元殺し屋」
「ああ。あいつは本物の化け物だ。現役時代はやばい任務を中心に行っていた。潜り抜けた修羅場と殺した人の数を足せば、一万超えるんじゃないか?」
「ほお」
信也は感嘆の声をあげた。確かに殺し屋稼業は修羅場を潜り抜けるたびに人数が減る。隣にいた仲間が、次の日死体すら残っていない。なんてことも日常茶飯事だ。
引退できる殺し屋は少ない。老後をあんな風に遅れる殺し屋はもっと少ない。
そういう世の中で、あんな風に引退して穏やかとはいかないまでもまあまあの老後を送れる殺し屋は、尊敬する。
「俺らも、あんな老後を送りたいですね」
「そうだな」
俺らは窓の外を見た。雪が降り積もっていた。満月に照らされて、積もったばかりの磨かれた大理石のように真っ白な雪が、キラキラと輝いた。
「いい景色だな」
「そうですね」
俺は口を付けるまで、机の上に緑茶が入った湯飲みが置いてあることに気が付かなかった。黎明め。いつの間に置いたんだ?それをすする。なかなかおいしかった。
夜が静かに更けていった。
◇◇◇◇
次の日、俺たちは仕事終わりの記念に観光へ行った。
とりあえず有名どころを回ろうと思っていたのだが、結局回りきれずに途中で切り上げて宿へと戻った。
「やー疲れた」
「楽しかったー」
俺らは部屋に戻ると布団に寝転がった。すでに夕方だった。夕日に照らされて黄金に染まった雲が、ゆっくりと空を大股で歩いてゆく。
なかなかいい景色だった。俺は、夕日を眺めながら、いつの間にか用意されていた玄米茶とお饅頭で信也とお茶をした。
「さ~て暇だな」
「そうだな」
信也と俺は伸びをした。この後張り込んでいる間は、オンラインで仕事でも受け付けようかな~。などと考えていた。
しばらく寝転がっていると、なんだか本でも読もうかなと言う気になってきた。
たが、手持ちの本は読み切ってしまった。どうしたものか。その時、ラウンジに本が置いてあったことを思い出した。
「読んでみるか」
俺はそうつぶやくと、信也に
「ちょっとラウンジで本読んでくる」
と声をかけて部屋を出た。
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