26・伝説の樹の元で、でございます
ダルシアク邸を訪問した翌日。王家専用の薬草園を私は訪れた。伯爵令嬢に過ぎない私は本来ならば入れない。だけどイヴェットが誘ってくれて、ジョルジェットと三人でアルベロ・フェリーチェを見に来ることができたのだ。
案内役のバジル・モフロワがこちらです、と示した古木は圧巻だった。その様は宙に浮かぶ巨大な綿菓子のよう。
アルベロ・フェリーチェは桜タイプの樹木で葉はなく、枝全体が花で覆い尽くされていた。
幹も貫禄があり、周囲は人が4、5人で手を繋がないと囲めないサイズ。それが途中から幾つもに枝分かれして、四方八方に伸びている。自らの重みで折れないようにと、何本もの支柱で支えている。
どことなく神秘的で、この辺りだけ空気が違うようだ。
「美しいわ」とジョルジェット。
「ええ」とイヴェット。「香りも濃いわね。素敵」とジョルジェット。
ひらひらと落ちてくる花びらを目で追う。それを薬師が素早く手のひらで掬い、私たちに見せた。
「この通り、花びらで散ることが基本ですけど、風が強い日などは花柄(かへい)から落ちるものが多いですね」
ええと、と彼は呟きながら地面に視線を転じて、なにかをつまみ上げ手のひらに乗せた。
「これが花です」
可愛らしい、とジョルジェットが声をあげる。
花も桜タイプだった。五つのピンクのハートが白地に浮かび、確かに可愛い。
「押し花にしたものがありますから、お帰りの際にお渡しします」
喜ぶイヴェットたち。
私は―――少し複雑な気分だった。伝説の樹が数百年ぶりに花を付け、とても素敵なのに一握りの人しか見られないのだ。
「アニエスさま。どうかなさいましたか。上の空で」とジョルジェットが笑顔を私に向けた。
「……いえ。見とれていただけです」
「リュシアンのことを考えていたとか?」イヴェットがにこにこしている。「私の勘は当たっていたわ。リュシアンはやっぱりアニエスさまがお好きだったもの。アニエスさまも、ですわよね?」
「ええと……」
今その話なの!?
ふられるかもと覚悟はしていたけど、もう?
「……あのですね」笑顔のイヴェットにはちょっと言いにくい。「……よく分かりません」
「え? 分からない、とは?」
イヴェットがずずいと近づく。
「まだお友達になって間もないですから」
ドキドキするのは気のせいかもしれない。最初の印象が最悪だったからギャップ萌えにときめいていりだけの可能性だってあると思う。
「あら、一目で恋に落ちることもあるわ。リュシアンのように!」
「イヴェット、困らせてはダメよ」と、ジョルジェット。「リュシアンの問題はまだ解決していないのだから、焦らないで」
「そうね。ごめんなさい、アニエスさま」
「いいえ。――ゆっくり考えてみようとは思っています」
「ありがとう」可愛らしく微笑むイヴェット。「前向きにお願いね」
「あの!」と声が上がる。
バジルだ。忘れていた。彼がいたのだった。すごく気まずそうな顔をしている。
「私はこれで失礼します。どうぞごゆっくりご鑑賞下さい」
彼はそう言って、足早に去ってしまった。女子トークが気まずかったのだろう。
「イヴェット。お花を見ましょう」
ジョルジェットがそう言って、三人で樹の真下まで歩いた。
甘い香りが強まる。
「満開の樹の元で愛を誓いあうと、一生添い遂げられるという伝説があるそうよ」とイヴェット。「リュシアンの発見を受けて古い文学なども探したら、そういう記述がみつかったのですって」
彼女は私に言っているのかと思ったけど、もしかしたらジョルジェットに伝えたのかもしれない。ジョルジェットは淋しげに微笑んで、
「試してみようかしら」と言ったのだ。
それから彼女は私を見て、
「父が用意した婚約をすることに決めたの。年は少し離れているけど、温厚で素晴らしい方なのよ」と言った。
思わずうろたえてしまった私に、彼女は
「マルセルはもういいの。ご心配はなさらないでね」と言う。「リュシアンの件が解決したら、婚約をするわ。――ああ、そうそう。私の父もリュシアンに手を貸すそうよ」
「心強いわ」
イヴェットが笑みを浮かべたけれど、どこか淋しそうに見えた。
これでいいのかな? マルセルを諦めるなら悪役令嬢になることはないだろうけど、そもそもゲームとは違う展開になっている。もうちょっと粘ってみたらと励ます?
それともマルセルに説教をする?
「優しい方だから、伝説にあやかりたいと頼めばきっとやってくれると思うの」とジョルジェット。
「それは、そうね」イヴェットがうなずく。「マルセルとは大違い」
それからマルセルの話をしばらくしていると、当の本人が現れた。リュシアンとディディエ、なぜかロザリーも一緒に。
「ジョルジェット。話がある」とマルセル。
「今? 見ての通り、彼女たちとアルベロ・フェリーチェの観賞中なのよ」
「今、だ。ことは急ぐ」
マルセルの表情が硬い。
イヴェットと私はジョルジェットに待っているからと伝え、彼女は嫌そうではあったけどマルセルと共に離れて行った。
「いったい何事なの?」イヴェット。「それにそちらのロザリーさまは?」
ロザリーの顔がカッと赤くなる。
「園の前でうろうろしていたのだ」とディディエ。
「バジルに会いたかったらしい」
リュシアンがそう言うと、ロザリーはますます赤くなった。
「彼から誕生日プレゼントが届いたから、お礼を直接伝えたかったんです。薬草園の前にいたら、広場に花びらを運ぶバジルに会えるかなって」
「健気がすぎるっ」
思わず叫んでロザリーの手を取る。
「でも無謀よ。待っているあなたを見つけたら、バジルさんをまた心配させてしまうわ」
「だって手紙を出しても返事は来ないのだもの」
しょんぼりするロザリー。
「それよりバジルはどうした?」とリュシアン。「アニエスたちを案内していると聞いたのだが」
「私たちが恋バナをしていたから遠慮してしまったみたいで、どこかに行ってしまったの」
イヴェットが答えると、ますますがっかりするロザリー。
「……皆様のお邪魔をしてしまい申し訳ありません。帰ります」
「せっかく来たのだもの、一緒に彼を探しましょう」
「いや、アニエス。ここを離れるな。マルセルが――」
そう言うディディエの視線をたどると、その先にはかなり遠くで話しているジョルジェットとマルセルがいた。だがどことなく険悪に見える。
「――また、ジョルジェットを怒らせるかもしれない。ふたりはここにいろ。リュシアンも。お前のほうが私より仲裁できる」ディディエがロザリーを見る。「ロザリー、行くぞ」
「え」とぽかんとするロザリー。
「私はバジルとやらの顔を知らない。ひとりでは探せないではないか」
「あ、ええと、はい。ありがとうございます」
ロザリーは戸惑いながらもペコリと頭を下げる。
そうしてふたりは薬草園の奥へと消えて行った。
そういえばゲームではディディエがヒロインをアルベロ・フェリーチェ見学に誘う展開があったっけ。もしかしたらゲーム通りになろうとしているのかも。
だったら全力で推す! ディディエは思っていたより微妙だけど、良いところもある。ロザリー・ディディエのカプ推しする!
「マルセルは何の話をしに来たの?」
イヴェットの声に我に返る。そうだ、今はそっちも重要だ。
「あいつ、ジョルジェットの婚約を聞いてな。相手が気にくわないらしい」
「まさか、その文句を言いに?」
可愛らしいイヴェットの目がつり上がる。
「そんなことを言う権利はないぞと諭したんだが、ダメだった」とリュシアン。
「文句を付けるくらいなら自分がプロポーズすればいいのに!」
「アニエスさまの言う通りよ!」
「……それは俺も言った」
「言ったの!? どうだった?」
リュシアンが深いため息をつく。
「あいつ、『それは違う』とのたまってな」
「愚かにもほどがあるわ!」イヴェットが怒る。
「お相手はどんな方なのですか? ジョルジェットさまは良い方と仰っていましたが」
私が尋ねると兄妹が顔を向け、同時にため息をついた。本物の兄妹じゃなくても、似ていると思う。
「良い方なのは本当よ。公爵家の嫡男で身分も問題はないの」とイヴェット。「ただし三十歳であちらは再婚。奥様は数年前に病死されていて、お子様がふたり。十歳と八歳」
「時々都に来るが、基本は領地暮らしをしている」とリュシアン。
「結婚したら、今までのように会えなくてなってしまうの。だから私としては諸手を挙げて賛成とは言いがたいの。でもマルセルよりは紳士だから……」
なるほど。友達のいない新天地で、いきなり二児の母か。きっと公爵令嬢の身分に釣り合い、なおかつ中身も優れた独身男性がその人くらいなのだろう――マルセルを除けば。
ていうか。この状況でジョルジェットに見向きもしないマルセルは、かなりのダメ男じゃないかな。
だからゲームのジョルジェットは悪役令嬢になってしまったに違いない。
せっかく幸運を呼ぶ伝説の樹に元にいるのだから、良い方向に転ばないだろうか。
願いを込めて、アルベロ・フェリーチェを見上げる。
「気に入ったか?」リュシアンが訊く。
「ええ」
「とても素敵」とイヴェット。
「だけどほんの一握りの人しか見られないなんて。せっかく数百年ぶりに開花したのに。花も民も、どちらも報われないわ」
「『花も』か。確かにそうかもな。絶景だ」
リュシアンが言い終えたとき強い風が吹き、花びらが舞った。
◇◇
その後、伝説の樹のそばで話し合っていた幼なじみふたりは、ディディエの危惧通りになってしまった。
マルセルに立腹したジョルジェットが彼の頬を平手打ちして絶交宣言。彼女の怒りを理解できないマルセルはリュシアンによって先に帰され、ジョルジェットは残った私たちと、戻ってきたロザリーとディディエとで必死に慰めた。
訳が分からず慌てたバジルが、落ち着けるようにと薬局の一室を用意してくれて、そこで急遽のお茶会となったのだった。
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