20・心臓が爆発しそうでございます

『好き』



 近頃モテ期が大爆発で、イケメン攻略対象たちに口説かれている。それらは迷惑以外に何も感じたことがないのに。

 リュシアンのたった一言で心臓が爆発しそうになっている。


 どうしよう。嬉しい。

 でもリュシアンには――。



「婚約者がいるのに、何を言っていると思うよな」そう言ったリュシアンの顔が翳る。「さっき話したことは嘘だ。全て父が決めた。婚約も、解消しないことも、神官も」


 父が決めた?

 都から遠く離れた地に暮らす、伯爵家の婿に入ることを?

 婚約者が戻らなければ、未婚を強いられる神官になることを?

 それはつまり……。


「俺は」リュシアンは言った。「父にとっても用無しだったんだ」



 リュシアン十七歳の誕生会。招待客を選んだのは、彼ではなかったらしい。パーティーの全てを自身で決められると執事からは告げられていたけれど、実際は違った。

 それでも彼に不満はなかった。元より両親の意向に沿わない婚約をするつもりはなかったそうだ。



 リュシアンはもしかしたら、両親の前では聞き分けのよい優等生だったのかもしれない。



 そして誕生会の一週間前のこと。父親は息子に、婚約者が内定したことを伝えた。それが地方住まいの伯爵家への婿入りだった。呆然としている息子に父親は言った。

「聡いお前ならば、分かっているな」と。


 リュシアンは、はいと答えるしかなかった。


 そんな彼に大公は、この話は一切外部に漏らしてはいけない。あくまでリュシアンが彼女を気に入り選んだことにするのだと命じたそうだ。


 以前イヴェットたちから聞いた話と総合すると誕生会以降のリュシアンは、伯爵令嬢に好意を持ち渋る両親を説得、努力の末に婚約にこぎ着ける、というフリをしていたようだ。


 だけれど婚約者は出奔した。


 それを知った父親は一言、『婚約を解消してはならない』と言って終わり。更に、日数が経ち彼女が見つかる様子がないと分かると、『彼女が戻らなければ神官になるしかない。聡いお前ならば、分かっているな』そう伝えたそうだ。




「母が俺を嫌うなら」とリュシアン。「せめて世間的には立派な息子でいようと必死に努力した。父はそれを喜んでいてくれると信じていた。だけれど、そうじゃなかった」

 静かに語る彼の声は震えていた。


「ディディエとマルセルには、都を去ることをなじられ続けている。でも両親に邪魔だと思われている俺に、ここに居場所はないだろう? だから従うつもりだった」

「そんなのイヤよ」


 思わず出た言葉にリュシアンの表情が緩んだ。

「俺も嫌だ。諦めようと思っていたが無理だ。俺はアニエスと一緒にいたい」


 どうしよう。やっぱり、すごく嬉しい。

 これって、私――。


「神官の話をされたのがディディエの誕生会の前日だった」

「そうだったの」

「誕生会はどん底の気分で迎えた。しかも、だ。隣国の王女は美少女だけど、とんでもないワガママなんだ。誕生会はディディエがエスコートしなければ参加しないとごねた。だけれどディディエの妻を選ぶ会に王女をエスコートをすれば、彼女で決定したと思われてしまうから出来ない」

「そうね」

「当然ディディエはエスコートせず、姫は兄と共に部屋に閉じ籠った。それを引っ張り出してほしいと頼まれた。約束していたイヴェットのエスコートもしないで説得に行って、姫には『婚約者に逃げられたマヌケに用はない』と嘲笑われ、舞踏会も遅刻だ。最悪な気分で廊下を歩いていたら、窓の外にスカートのようなものがひらめいていた」


 それは私か。


「窓から身を乗り出してみたら、バルコニーから令嬢らしきものがぶら下がっている。しかも壁に足をついているせいでスカートの中身がまる見え。あまりに非現実的で、夢でも見ているのかと思った」

「仕方なかったのよ!」


 リュシアンが私を見た。笑顔だった。

「非常識で馬鹿馬鹿しい光景にな、俺の鬱屈やら惨めさやら、そんな負の感情が一気に吹き飛ばされた。だって窓の外にスカートの中身だぞ。破壊力抜群の衝撃だ」

「……ええ」


 中身が丸見えだったと知った時は、めちゃくちゃ恥ずかしかったけれど。あの時あの行動をとった私を褒めてあげたい。


「しかも。足しか見えない令嬢らしきものが、『落ちて命を終わりにするか、バルコニーに戻り不審者となって令嬢人生を終わりにするか』と呟いた」

「声に出してた? 私?」

「ばっちり出していたぞ。話しかけてみればとぼけた返事が返ってくるし」

「そうだったかしら」

「そうだね。引っ張り上げてみれば、おかしな回転技を決めるわ、見たことのない礼をするわ。似合わないセンスの悪い服に野暮ったい髪型。あんなに楽しい気分になったのは久方ぶりだった」

「お役に立てて嬉しいわ」

「本当に変な女」


 リュシアンは笑ったけれど、泣き出しそうな顔に見えた。


「決めた。俺は父と戦う。全てを白紙に戻させて、そうして自由になったらその時にもう一度アニエスに告白する」

「私も手伝う」

「告白されたいのか?」

「……友達としてよ。イヴェットさまに頼まれてもいるし」


 今のところは、そういうことにしておきたい。何でこんなに嬉しいのか、自分でもよく分からないし。 リュシアンは大公令息だし。


「それよりも作戦はあるの? 味方になってくれそうな人は、イヴェットさまとジョルジェットさまの他にはいる? 」

「ディディエとマルセル」

「どうして今までは相談しなかったの?」

「口外するなと言われていた。それに……惨めすぎて知られたくない気持ちもあった」


『惨めすぎて』か。胸が痛い。大公夫妻にどうか天罰が下りますように。


「そうだ。陛下は? あなたに息子のことを頼むくらいだもの」

 リュシアンが首を横に振る。

「一方的に命じられているだけだ。陛下と父はおしどり夫婦と揶揄されるほどの仲が良い。全て陛下もご承知されているはずだ」

「何それ。陛下はあなたの放逐を容認しているのに、ディディエ殿下の世話を押し付けているの?」

「……ああ」

「リュシアンはちょっと良い子すぎるんじゃない?」


 リュシアンは答えず、微かな笑みを浮かべた。そうだ。さっき『世間的には良い息子でいようとした』と言っていた。


「私には傍若無人すぎるけどね!」

「……アニエスみたいな常識外れには構わないと思っている」

 今度ははっきりと笑顔になるリュシアン。

「ひどい」

「許せ。アニエスといると楽しいんだ」

「……それはずるいわ」


 私も楽しい。リュシアンの嬉しそうな顔にドキドキする。

 でも今考えるべきは、リュシアンの両親のことだ。向こうが国王と連帯しているなら、かなり手強そうだもの。しっかり作戦を練らなくては。




 ――そういえば私、悪役令嬢になることを回避するために、社交界で目立たないように過ごすつもりだったっけ。

 でもいいか。リュシアンが理不尽な目に遭っているのを見過ごすなんて、できないもの。

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