17・イケメンモブも苦労をしていました

 兄を助けていただけませんか?


 イヴェットの言葉を反芻する。私はただの悪役令嬢だ。ヒロインではないし階級は伯爵だし、大公令息を助けることなんて出来るだろうか。


 だけどリュシアンには助けてもらっているし、頼りにもしている。困っているのなら力になりたい。


「私でお役に立てるのでしょうか」

「分からないわ」イヴェットは正直に答えた。「兄の様子から、てっきりアニエスさまとはそのような仲だと思ったの。思惑は外れてしまったけれど、外部の意見があったほうがいいとは思うから、協力して下さいな」

 そうね、とジョルジェットが賛同する。

「私たちだけでは手詰まりなの。リュシアンも頑固だから。お願い、アニエスさま。力を貸して下さいな」

「ええ、それはもちろん。一体何をすればよいのでしょう」


「兄の婚約を解消させたいの」

 イヴェットは力強くそう言った。


 婚約を解消? お相手が出奔したことをイヴェットたちは気に入らないということか。でも私とのことを変に勘違いしていたし……。

『婚約者を自由に選べるのは建前』という話を思い出す。まさかと思うけど。


「ご婚約は、リュシアン殿下のご意志ではないのでしょうか?」

 とたんに目前のふたりの令嬢はため息をついた。

「それが兄の意思ではあるの」とイヴェット。


 となると外野が口を出すことではないような……。


「だけれどリュシアンが婚約者を見初めたからではないのよ」とジョルジェット。

「兄はデュシュネ家と都から出るために、都合のよいひとを選んだだけ」イヴェットはそう言って、またため息をついた。「身内の恥を晒しますけど、近しいひとたちの間では周知のことですから、気になさらずに聞いてね」

 そう言った友人の手を、ジョルジェットが握りしめた。


「母は兄を疎んじているの。兄はずっと関係を改善しようと努力してきたけれど、ダメでした」


 リュシアンの母親――デュシュネ大公夫人には一度だけ会ったことがある。誕生会のときだ。きれいな人だけど繊細そうと思ったのを覚えている。


 イヴェットによると、母君のリュシアンへの態度は、それは酷いものだそうだ。明らかに他の兄弟とは違い、特に弟君とは雲泥の差らしい。

 その原因は、幼少期の兄君の事故死だという。


 当時六歳だった双子の兄弟は、何をするにも先はリュシアン、兄は後だった。リュシアンは活発で好奇心旺盛、反対に兄はおっとりしていて慎重な性格だったためという。

 ところが初めて馬に乗るとき、リュシアンは怯えて兄が先となった。そして兄が乗ろうとした瞬間に馬が暴れ、兄は地面に落ちて首の骨を折って亡くなってしまったという。


 リュシアンには何の落ち度もない。どうしても罪ある人を探すというのなら、それは周囲の大人たちだ。馬の状態を見極められず、兄の落馬を防げなかったのだから。


 しかし母君はその事故以降、リュシアンを避けるようになったという。元々彼女は、自分に性格も面立ちも似ている兄を贔屓していたらしい。

 父君のほうはリュシアンに対して普通の態度ではあるけれど、愛妻の気持ちを重視しているから彼女を咎めることはないそうだ。


 そんな生活が十年以上続いているという。

 だから彼は結婚にかこつけて母君から離れることを決め、婿を必要とする令嬢を婚約者に選んだらしい。


「問題はリュシアンがそれを認めていないこと」とジョルジェット。

「婚約の理由については、執事や兄の従者たちの推測なの。兄自身は彼女を気に入ったとの一点張りよ。だけれどそうでないことは明白だもの。彼女に一年ぶりに会えるとなっても、ろくに喜びもしない。いえ、喜んでいる素振りはしていたけれど、本心ではないことは丸わかり」

 ジョルジェットもうなずく。

「彼女が逃げても顔色ひとつ変えない。あちらのご家族が、いずれ戻ってくると話しているなら、それを待つなんて言って婚約を解消もしないのよ」


 ああ、それは聞いたな。

 彼が自分の婚約にどこか他人事のようだったのは、そんな理由があったからだったのか。なんだかやるせない。


「もし本当に婚約者が帰ってきたとしても、この結婚がうまくいくとは思えないでしょう?」とジョルジェット。

「兄には幸せになってもらいたいの。こんな投げやりな結婚はさせたくない。だけど頑固で私たちの言葉には耳を貸さないのよ」


 ふたりの話が真実ならば、確かにこんな結婚はよくないと思う。ただ私はリュシアンと知り合ったばかりで、彼のことをよくは知らない。婚約解消をしたとして、その先に彼が幸せになれる選択肢があるのだろうか。


「兄はね、自分の誕生会からずっと令嬢たちを自分から遠ざけていたの」とイヴェット。「それが急にアニエスさまと親しくなって、私にまで助けを求めてきて。だからてっきり、恋に落ちたのだと思ったのよ」

 ジョルジェットがうなずく。

「それは誤解です。私を助けてくれていますけど、リュシアン殿下の主目的はディディエ殿下の目を覚まさせることです」

「そうなのね」イヴェットは心底残念そうな表情をした。「私はふたりで幸せになれるよう、どんな協力も惜しまないと伝えるつもりで今日は来たのよ」

「……ごめんなさい。お役に立てなくて」

「あなたが謝ることではないわ」


 ふと、ディディエの誕生会でのことを思い出した。リュシアンに癒せと言われて膝に座らされたっけ。あまりに色々なことがありすぎてすっかり忘れていた。そのあとの一言も含めて冗談だと言っていたけれど、もしかしたら弱っている自分をさらけ出せるところがなくて、本当に癒し、というより、すがる相手を求めていたのかもしれない。


「アニエスさまが恋人でないなら作戦は変更」とイヴェット。「私たち三人と兄とで話す場を設けましょう。表向きはアニエスさまとディディエたちの件についての相談。そこでさりげなく兄の話題にシフトして、アニエスさまが外部から見ても兄の行動はおかしいと指摘するの」

「いいと思うわ」とジョルジェット。


「ふたつ質問をよろしいですか?」

「ええ、どうぞ」

「おふたりの他にリュシアン殿下の婚約に反対している方はいないのですか?」

 兄弟同様のディディエや父親は、一体何をしているの?


 私の質問にイヴェットとジョルジェットは顔を見合わせた。

「……父は兄の意見を尊重するとしか言いません」そう答えるイヴェットはひどく悲しそうだ。

「ディディエは、いえ、ディディエとマルセルは勝手にしろと」とジョルジェット。「最初のうちはふたりもリュシアンの説得をしてくれていたのよ。だけどどうやっても折れないものだから、しまいには腹が立ってしまったの。『三人でこの国を支えていくと思っていたのに、どうして逃げることを選ぶんだ』って。一応仲良くしてはいるけれど、この件についてはもう禁句になっているのよ」


 なるほど。ディディエが時々リュシアンに辛辣だったのは、これが関係していたのかもしれない。


「もうひとつの質問です。婚約者が戻るのを待つのはいつまでなのですか?」

 いくら何でも数年もこの状態でいるとは考えられない。大公家の威信にだって関わるだろう。


「三ヶ月よ。もう、ひと月経ったから残り二ヶ月」

 どうしてなのか答えるイヴェットは、ますます悲しそうだ。あと二ヶ月で婚約解消となるなら、それを待ってもよさそうだけど。

「……兄の従者によると、婚約を解消したあと兄は、神官見習いになるつもりのようなの」そう言う彼女の声は震えていた。「従者も兄からそう聞いた訳ではないの。ただこっそりとその準備をしているのを見つけたそうよ」


 リュシアンが神官?

 母親から距離を置くためだけに?

 知り合って間もないし、彼のことをよく知りもしないけれど、そんなのは絶対に間違っていると思う。


「それでもご両親もディディエ殿下たちも止めないのですか?」

「父はあくまでも兄の意思を尊重。ディディエたちにはまだ話していないの。誕生会の直後に分かったばかりで。今は相談したくても、あなたのことで頭が一杯みたいで時間をとってくれないのよ。だからあなたが恋人でさえあれば……と、これは先ほど言ったわね。とにかく私としては、兄が自分の意思で婚約を解消して、世間もそう認識するように運びたいの。悲しみのあまり神官になるというのが兄のシナリオでしょうから、それを阻止したいのよ」

 ジョルジェットが力強くうなずく。


「分かりました。まずは腹を割った話し合いが必要ですね。私も微力ながらお力添えさせていただきます」

「お願いするわ。兄は……」


 イヴェットは何かを言いかけたものの、そのまま言葉にしなかった。その代わりに

「アニエスさまは兄はどう? 全く興味はなし? けっこうなハイスペックなのよ?」と急に畳み掛けてきた。

「ごめんなさい、頼りになるとは思いますけど、それだけです」

「本当に? これっぽっちもときめかない?」

「ときめくことぐらいならありますけど」

「あるの!」

 イヴェットがそれまでとはうって変わって、目をキラキラさせて前のめりになる。

「私は面食いなんです。ディディエ殿下やクレールにだってときめくことはありますよ」

「……そうなの」あからさまにがっくりするイヴェット。「兄を幸せにしてくれるひとが早急にほしいのだけど」

「なかなか都合よく見つからないものね」とジョルジェット。

「……お役に立てず……」

「いいのよ。私たちの勝手な言い分ですもの」とイヴェットは微笑んだ。「すっかり時間がかかってしまったわ。ごめんなさいねアニエスさま。お茶会に行きましょう」

「本当。まだロザリーさまのお菓子はあるかしら」とジョルジェット。

「ロザリーさま?」


 ロザリーも私対攻略対象の場に加われるよう策を練っておいたのだけど、結局現れなかった。


「ロザリーさまがどうされたのですか?」

「お手製のお菓子やケーキをお持ちになったの」ジョルジェットが説明してくれる。「それがどれも見事でプロが作ったようだったの。みなさん驚いて、彼女を囲んで話に盛り上がっていたわ」


 なるほど。それで彼女は来られなかったにちがいない。

 ロザリーの作るスイーツは極上のはずだ。ゲームではそういう設定で、攻略対象にプレゼントするものの選択肢にある。


 ちなみに、エルネストには甘いものは嫌いと受け取ってもらえず、マルセルにも素人が作ったものは口にしないと拒否される。クレールは受けとるだけで感想なしで(このときの正解が前衛絵画的な自画像だ)、ジスランは貰うけれどカロンと食べると言う。唯一喜ぶのは、ディディエだ。

 そう考えると、ディディエは単純なのかも。正攻法が通じている。きっと周囲に恵まれて、良くも悪くも真っ直ぐに育ったのだ。そのぶん自分の感情に素直で、他人は自分に合わせてくれるものだと思っているのだろう。


 一方で母親に苦労してきたリュシアンは、他人の感情に敏感で、周囲を気にかけるタイプになったのかもしれない。


 やっぱり、やるせないな。

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