9・どうやら王宮に目をつけられたようです
リュシアンは部屋に入るなり、眉をひそめた。
「執事が、お前がおかしな格好をしていると詫びていたが、なんだその服は? 縦ロール、ご夫人ときて、今度はメイドか?」
その言い方にむっとしたものの、相手は大公令息だ。服装について詫び、丁寧に挨拶をする。
するとリュシアンは鼻白んだような表情をした。
「今さら令嬢ぶらなくていいぞ。ひとの腹に拳を叩き込んだくせに」
「え!」と声を上げたのはギヨーム。
リュシアンの後ろでは執事が蒼白になって目を剥いている。
「それはあなたが!」
「男女問わず、武術の練習でもないのに暴力をふるわれたのは、初めてだ」
「……申し訳ありません」
謝るのは悔しいけれど、立場を考えたら仕方ない。
「すごいへの字口だ」リュシアンはそう言って笑った。「お前の一撃なんて、蚊がとまったようなものだ。気にするな」
自分が話をふったくせに! やっぱり性格が悪い!
リュシアンはギヨームの挨拶を受けるとその隣に優雅に座り、二人はにこやかに話し始めた。昨晩の演奏についてだ。何しに来たんだ。
だがしばらくすると、リュシアンは私を見た。
「さて。俺は昨日の話をしたいのだが」
なるほど。これは私のミスだ。彼に説明をしていなかった。
「殿下。お話にギヨームさんも同席してもよろしいでしょうか?」
リュシアンがギヨームに目を向ける。
「実は彼から、私が退出したあとのことを聞いていたところだったのです。クレール・フィヨンも関わっているから、彼としても気になるそうです」
「……なるほどな」
リュシアンが部屋に来るまでの間に、ギヨームとそう打ち合わせをしたのだ。ギヨームがクレールが気がかりなのは事実だし、私はリュシアンとふたりで話すのがイヤだ。
「分かった。同席を許そう」とリュシアン。
ほっと胸を撫で下ろす。
折よく、いったん下がっていた執事が戻って来て新しいお茶を出した。
彼が部屋を出るのを待ってから、リュシアンは口を開いた。
「アニエス、幾つか確認をする」
あ、嬢が消えている。身分はだいぶ下だからいいけどさ。
「ディディエと今までに交流は?」
「ありません。挨拶ぐらいです」
記憶を取り戻す前のアニエスだって、ディディエに近づいたことはない。あちらは王子で私はただの伯爵令嬢。いくら性格がアレでも厳しく躾られてはいたから、階級をわきまえずに図々しく話しかけるなんてことはしなかった。
そんな風だっからゲームの私はストーカーになり、男爵令嬢でありながら王子と仲良くするロザリーに嫉妬するのだと思う。
ちなみに一番近づいたのはリュシアンの誕生会だ。友達と談笑していた席に彼がやってきて、
「楽しんでいるかな?」
と一言だけ声をかけて、私たちがうなずくのを見て去っていった。
その優しげな笑顔が、令嬢に悪態をついてばかりのリュシアンと対照的で、ちょっとばかり胸がキュンとした。
幸い、本格的に好きになるまえに前世の記憶を取り戻したから良かったけどね。
という訳で、本当にろくに会話したことがないのだ。
「ならば他の四人は?」とリュシアンが重ねて尋ねる。「ああ、そうだ。マルセルから恋文は届いているか?」
「何故それを!」
リュシアンがうんざりした顔をした。
「お前が帰ったたあとに、あいつもお前を気に入ったと言い出した。俺のせいで伝えそびれたとうるさく言うから、ならば手紙を出せと言ったんだ」
ギヨームがうなずいている。彼もその話を聞いていたらしい。ということは、あの広間でそんなやりとりをしていたのだろう。衆人環視の状況で。げっそりだな。
「そうでしたか。手紙は朝一番に受けとりました」
朝一番、とギヨームが呟く。本当だよ! 私相手に熱心すぎるよね。
「マルセルさまとクレールさまは挨拶したことがある程度。神官のジスランさまと騎士のエルネストさまは、挨拶すらしたことがなかったと思います」
後者のふたりなんて、そもそも会う機会がなかった。すれ違ったことでさえないのではないだろうか。
「ふむ。彼らもそのように話していた」とそこでリュシアンは、ギヨームを見た。「で、彼とは?」
「ギヨームさんとも、きちんとお話したのは昨晩が初めてです。今日は弟のチェロレッスンのためにお越し下さったのです」
リュシアンは鷹揚にうなずいた。ギヨームの訪問理由については、執事が説明済みだろう。
「ギヨーム殿。単刀直入に尋ねるが、彼女を好きか?」
いいえ、とギヨームは苦笑した。
「私はただの傍観者ですよ」
「そうか。アニエス、昨日の五人の他に様子のおかしい者はいるのか?」
「……ロザリーさま」
「ああ、あの男爵令嬢か。あれも確かにおかしかったな。お前、彼らにヘンな物を食べさせたり、あげたりは?」
「していません」
だよな、彼らからもそう聞いていると言ったリュシアンは、卓上のカップを手に取りお茶を飲んだ。
「一目惚れということはあるかもしれないが、一度に複数というのがおかしい。しかもアホなひとりを除けば、みな普段は冷静なタイプだ」
アホなひとり、とは間違いなくジスランだろう。
リュシアンに『ゲームのせいなのです』と打ち明けたほうがいいのだろうか。
アニエスは男を惑わす悪女だ、なんて断罪される可能性に気づいて怖くなる。このゲームにはそんなエンドはないけれど、ヒロインのバッドエンドによくあるパターンだよね。
「実は」とリュシアン。「今日訪ねたのは、陛下のご命令だ」
驚いて息を飲む。
「雑魚で悪役な令嬢が王子を惑わせたと怒り心頭なのね!」
「雑魚で悪役?」と、リュシアンが繰り返し、それから笑った。「型破りですっとんきょうな令嬢の間違いだろう」
ギヨームが顔を背けて笑いをこらえている。
「何しろメイド服で王族を迎える変わり者だ」
リュシアンが言葉を継ぐ。
「これはギヨームさんはアニエス・バダンテールに会っていないという建前のために着ただけです」
「なるほど、そうか。よく似合っているが」
「本当ですか!」
思わず喜ぶと、リュシアンはおかしそうに笑った。
「一般的な令嬢は使用人の制服が似合うと言われて、喜んだりしない」
確かにそうかもしれない。オリジナル・アニエスだったころはメイド服を可愛いと思ったことはなかった。ちょっと令嬢らしくない反応だったかもしれない。今更だけど。
「……それで陛下はお怒りなのですね」
「話題を変えるのが無理やりすぎだ」
リュシアンはまだおかしそうだ。――ただ、その笑顔は悪くない。彼の誕生会のときとは大違いだ。
「まあいい。陛下から下された命令は、アニエス・バダンテールについて『どういう人間か』並びに、『ディディエ王子の妃になりたいとの野心があるのか』を確認してくることだ」
「野心?」とギヨームが眉をひそめる。「それにどうしてそれを殿下が?」
「俺がミスしたからだ」とリュシアンが答える。「王子が自由に結婚相手を選べるなんて建前だ」
「建前!」
ギヨームと私の声が重なる。先ほどギヨームがその言葉を言ったばかりだ。
「そうだ。王族男子の花嫁探しパーティーの本当の目的は、『王の治世が優れているから政略結婚なんてものは必要ない』というアピールなんだ」
なるほど。世情が安定していなかったら大規模な婚カツパーティーなんてできないということか。
「だがいずれ王になる第一王子の妃だけは、人となりも身分もそれにふさわしい女性でなければならない。だから現在の陛下までは、出来レースだった」
「……このお話を私たちが聞いてよいのですか?」
「構わない。ディディエに伝えなければな」
ということは、ディディエ自身は知らないのだ。
「陛下と父は」とリュシアンが続ける。「俺の妹イヴェットを、王妃殿下は姪であるカルターレガン王国のベアトリクス王女を妃にと望んでいる。双方の意見がどうしてもまとまらないから、ディディエには何も伝えずに、自ら妻を選ばせることにしたんだ」
「もしかして……」
ギヨームがそう呟いたあと、黙りこんだ。
「何だ? 遠慮せずに言ってくれ」と大公令息。
では、とギヨーム。
「ディディエ殿下が陛下たちが望まぬ令嬢を選ばないよう、リュシアン殿下が目付役を頼まれていたのでしょうか」
「惜しい。双方から、それぞれの候補者を選ばせろと厳命されていた」
「何それ。不可能じゃない」
つい、敬語を忘れて文句を言うと、リュシアンはにこりとした。
「しかもディディエにも他の人間にも俺が誘導したと悟られないようにだ」
「陛下ご夫妻って、とんだ暴君なのね!」
「アニエス」と、ギヨームが口の前に人差し指を立てた。「だけど、同意見だ」
「ディディエ殿下が私を妻になんて叫んだものだから、リュシアン殿下が咎められてしまったということですか」
「その通り。――アニエス、敬語はいらん。俺の腹を殴ったくせに、遠慮なんてちゃんちゃらおかしいぞ」
「気にするなと言いながら、蒸し返してばかりね」
大公令息はニヤニヤ顔だ。
「面白いからな」
「イヤな性格!」
「ですが」とギヨーム。「彼女のことがなかったとしても、陛下か妃殿下、どちらかの希望は叶わなかったわけですよね。どうするおつもりだったんですか」
「ディディエには無関係の、問題なさそうな令嬢を選んでもらうつもりだった。イヴェットは従兄との結婚を望んでいないし、ディディエは王女が苦手だからな。元より叱責される覚悟だったから、それはいいんだ。ただ予想外に、アニエス・バダンテールの調査を命じられた」
「叱責って。息子と変わらない年の甥に丸投げしておいて、それはないんじゃないの」
「俺も腹が立っているから、ここで暴露をしている」
「どおりで。内情をお話になるなんて、殿下にしては珍しいと思いました」とギヨームが言った。
「ふたりはお親しいの?」
「リュシアン殿下は楽団の視察によくいらっしゃる。誰よりも俺たちの陳情に耳を傾け、問題解決に奔走して下さる方なんだ」
「視察は王族の義務だ」とリュシアン。
なんだかイメージと違う。彼の誕生会では性格が悪くて令嬢を泣かせるろくでもない王子だと思ったんだけどな。
「で、アニエス。お前はディディエの妃になりたいか?」
「絶対になりたくありません!」
理由は掃いて捨てるほどある。そんな面倒くさそうな地位につきたくないし、国王夫妻に望まれてないならどんな嫌がらせを受けるか分からない。どう考えても身分不相応だから、高位貴族に苛められるだろう。何よりディディエを好きになれるとは思えない。魅力に思える要素はひとつもなし。
そう力説すると、リュシアンはまたもおかしそうな顔をした。
「誕生会のときも、あいつを
そうだった。ストーカー認定回避のために、王子に好意がないと熱弁をふるったのだった。あの時もリュシアンは面白そうに笑っていたっけ。
「第一王子に好意があると誤解されるのは、本当に困るのです」
「意中の相手がいるのか?」
「いません」
「それでも困るのか」
「私は同じような階級の穏やかで平凡なイケメンがいいのです」
ギヨームがぶふっと吹き出した。
「イケメンも必須なんだ」
「だって好きなんだもの」
「正直だな」
「穏やかで平凡なイケメンのほうが、バルコニーにぶら下がっている不審者を遠慮するだろうな」
リュシアンが意地悪な顔をしている。
「あんなことは二度としないわ!」
「どうだか」
「意地悪なひとね」
上がった好感度が下がる。そんな風だから婚約者に逃げられるのだ。せっかく顔はいいのに、残念なヤツ。
「分かった」とリュシアン。「『アニエス・バダンテールはディディエとの結婚は望んでいない。むしろ昨日のことに恐慌している』と陛下に報告しよう」
「ありがとう!」
好感度、再浮上だよ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます