10・悪役令嬢はふたりの仲間を手に入れた
「アニエスに王子妃になる気がないとなると、次に俺がすることは、ディディエにお前を諦めてもらうことだ」と、リュシアンが言う。「そのように命じられているからな」
「どうしてあなたが? それもミスのせいなの?」
私が尋ねると、大公令息は
「それもある」とうなずいた。「だが元よりディディエのことは、よく頼まれるんだ。俺も王宮に住んでいてあらゆることを共に学んできた。従兄弟というより兄弟のようなものだ」
そうなんだ。リュシアンのことはよく知らない。
ゲームにはリュシアンという名のキャラはおらず、当然のこと、ディディエの友人として出てくることはなかった。
現実のほうでも、一般的な伯爵令嬢の私には彼の誕生会以外で会う機会はなかったし、興味もなかった。
まさかディディエとそんな仲だったとは。
「あと個人的には、マルセルにも目を覚ましてほしいと思っている」とリュシアン。
「どうして?」
「あいつも友人なんだ。アニエスが悪いとかではなく、マルセルの問題として今の状況はいただけない」
急に歯切れが悪いな。だけど――。
昨日、広間で彼が一緒にいたメンバーを思い出す。妹のイヴェット殿下、ディディエ、マルセル、そしてマルセル担当悪役令嬢のジョルジェット。あれが仲良しメンバーなら、リュシアンはジョルジェットがマルセルを好きだと知っているのかもしれない。
「私も切にそう願うわ。マルセルさまの好意も困ります」
「私としては」ギヨームが声をあげる。「クレールとティボテ隊長。クレールはベロム事務局長が『十四歳でスキャンダルは困る』と頭を抱えていて、隊長は……その、知り合いが片思い中なんです」
リュシアンは真顔で、なるほどとうなずく。
「それならば神官をアニエスにやろう」
「謹んでお断りします! 彼ら全員をね」
ふうん、と言ったリュシアンは背をイスに預けた。
「とりあえずディディエたち五人には、昨晩のうちに、『抜け駆けをしない、紳士的に接する』という協定を組ませた」
「クレールから聞きました」とギヨーム。「私が見ていた限りだとかなり険悪な雰囲気だったのに、よく話がまとまりましたね」
それは聞いてないよ、ギヨーム。彼らはそんなに揉めたの? ヒロインじゃない私相手に?
先行きに不安しか感じない。
「アニエス・バダンテールの体面を考えるよう説得したからな」とリュシアンがドヤ顔をする。「バルコニーにぶら下がるキテレツ令嬢でも、今までは淑やかで礼儀をわきまえた令嬢として通っていたのだろう?
それなら男たちが自分の取り合いを始めても困るだけ。むしろ嫌われるだろうと話したら、みなそれは嫌だと言ってな」
「ありがとう。心から感謝するわ」
「そうか。なら次の機会には腹を殴らないでくれるな」
ニヤリとするリュシアン。次の機会? まさかまた膝上に私を座らせるつもりなのかな?
「次の機会なんてものは永遠に来ないから、問題ないわ」
「そうかな」
不敵な顔をした大公令息は、とてもではないけど愛しい婚約者に逃げられたようには見えない。もしかしたらジスランのように生来の浮気性で、それを令嬢に見破られたのかもしれない。うん、きっとそうだ。
「とにかくアニエスがやるべきことは五人をきっぱりふること」と、ギヨーム。
「ええ。昨日は慌てちゃったけど、次に会ったらガツンと言うわ!」
「その意気だ!」
「恐らくそれはマルセルのお茶会だ」とリュシアンが言う。
「マルセルさまのお姉さまのお茶会に誘われているのだけど」
「それだ」とリュシアン。「姉というのは口実。ディディエたちが待ち構えていて、別室に連れ去られる予定」
「ふぇっ!!」
思わずおかしな叫び声が出てしまい、慌てて口を押さえる。
「抜け駆けできないのならば、全員一緒に口説くのだそうだ。俺は監視役として参加する」
「リュシアン殿下も誘われたのですか」ギヨームが聞く。
「ディディエとマルセルがこそこそ話していたから、締め上げて聞き出した」
「……お断りしたい」
初めて伺う公爵邸で昨日のような惨劇(としか言い様がない)が起きるなんて、回避したい。私の評判がますます悪くなるじゃないか。
そう力説したが、リュシアンは首を横に振った。
「残念だがアニエス、お茶会には参加してくれ。それが五人全員が揃うことのできる、二番目に早い日時なんだ」
「二番目? いつなんですか?」
「来週末」とリュシアンが答えてため息をつく。「当初は明日と馬鹿げたことを言っていたから、延期させた」
「ありがとう! 明日だったら、用意も心の準備も出来ないところだったわ」
リュシアンがうなずく。
「まったく。すっかり冷静さを欠いている」
「恋しい相手には一刻も早く会いたいものですよ」
ギヨームが苦笑混じりに答え、リュシアンは眉を寄せた。
「あ、と」ギヨームがしまったという顔をする。「……失礼しました」
そうだ。この人は愛しい婚約者に逃げられたのだ。会いたくても会えない。
「別に構わない。逃げるような女に会いたいとは思わないからな」
リュシアンは平然としている。それは本心なのだろうか。婚約の解消をしないのに? もしかしたら強がりなのかもしれない。
「アニエスはお茶会で全員を断ってくれ」リュシアンは何もなかったかのように話を続けた。「意中の相手がいれば話は早かったのだが、仕方ない。あいつらを納得させられる方便を考えておくんだぞ」
「分かったわ。お茶会にロザリーさまを呼ぶことは難しいかしら?」
「ロザリー? どうしてだ」
「だってひとり対五人は怖いもの。彼女は、少なくとも私側についてくれると思うの。他に頼めそうな友達はいないし」
「俺が間に入るぞ」
「ありがとう。だけれど、信頼できない言動をしたじゃない」
リュシアンはその言葉が不満だったのか、眉がぴくりと跳ねた。
「まあ」とギヨームが割って入る。「同性がいたほうが、アニエスも安心出来るでしょう」
「……なんとかしよう」としぶしぶの返事をするリュシアン。
「ありがとう、助かるわ」
とはいえ。すっかりゲームの展開とは違くなってしまった。本来だと王宮の夜会の次は、公園が舞台だ。男爵令嬢の身分に慣れていないヒロインが、気晴らしに散歩をしていると、ディディエたちに会う。
もうゲームのシナリオは無視して、とにかく私がヒロインポジションを降りることを最優先しよう。
それからしばらくの間、三人で今回の騒動に関するあれこれを話した。
かなりの数のご令嬢が、打倒アニエスを掲げているらしいとか。騎士団員たちが、堅物エルネストを射止めた令嬢を見たがっているとか。神官ジスランファンが共通の敵を前に同盟を組んだとか。
いや、昨日の今日だよね? みんな情報も行動も早すぎじゃない?
一刻も早く解決しないと、私の身が危ない。
「心配することはない」とリュシアン。「みな半信半疑ではいる。昨日の様子はあまりに突拍子もなさすぎて不自然だ。アニエス・バダンテールをからかうため、との説を信じるかどうか迷っているようだ」
「信じてくれるよう願うわ」
「だけどディディエ殿下をはじめ、五人とも女性をからかって楽しむような方々ではない」とギヨーム。
「そう」とリュシアン。「だからみな、判断に迷っている」
「煽るため、ということにすればいいかもしれませんね」
「どういうこと?」
ギヨームを見ると、彼はひとの悪そうな表情をしていた。
「アニエス嬢には意中の青年がいる。けれど彼はなかなか振り向かない。そこで彼女の恋を応援するディディエ殿下たちが彼女に言い寄って、青年を焦らそうという策を講じた。それが昨日の茶番劇」
なるほど、とリュシアンがうなずく。
「これならすんなり受け入れられる説でしょう。殿下たちの名誉も傷つかない。アニエスは、意中の青年に振り向いてもらえない可哀想な令嬢になってしまうけれど、令嬢たちに敵視されることは回避できる」
「よし、この騒動が長引きそうなら、その説を流布しよう」
私的にその説はどうなのだろう。殿下たちを下僕のように使って策を弄する嫌な女と思われないだろうか。
あ。すごく悪役令嬢っぽいかも! ヒロインポジション脱却になるかな?
だけど、ヒロインにも悪役令嬢にもなりたくないのだけど……。
「殿下たちはアニエスにはこの作戦を内密にしていた、というところをお忘れなく」ギヨームが続ける。「そうでないとアニエスは同情してもらえないでしょう」
「そうだな。この策が必要なときは、きちんと細部をつめよう」
真面目な顔でそう言うリュシアン。この人は良いところもあるのかな。ディディエの目が覚めれば、伯爵令嬢などどうなろうと構わん、という人ではないらしい。彼の誕生会のときの印象とは、ちょっと違う。
「それにしてもギヨーム殿は、よくこんなことを思い付くな」
リュシアンの言葉にギヨームははにかんだ。
「長く片思いをしているので、あれこれ策を練っているのですよ。今までひとつも成功してませんけどね」
なるほど。彼の好きなセブリーヌ・ベロムを思い浮かべる。彼女は代々宮廷楽団の事務局長を勤めてきたベロム子爵家の長女で、十六歳から事務局で仕事を始めて、二十一歳の時に早世した父に変わって局長に就任した。その若さで任命されたことから分かるように、とにかく楽団のことしか考えておらず、そのぶん厚く信頼されている女性だ。
父親が亡くなる前に安心させてあげたい、との理由で同じ事務局勤めの男性と結婚したものの、あまりに彼女が楽団に全精力を傾けていることが原因で、離縁された。結婚生活は一年に満たなかった。
そんな人なのだ。ギヨームのことなど眼中にないのだろう。しかもショタ好きとなると、前途は暗雲しかない。
「同じ仲間として、応援するわ」
「ありがとう」
「何の仲間だ?」とリュシアン。
「内緒」
転生仲間とは言えないからね。
「ふうん。――そうだ、うっかりしていた。ふたりは『アルベロ・フェリーチェ』を聞いたことはあるか?」
「伝説の樹ですよね」とギヨームが答える。
アルベロ・フェリーチェとは数百年に一度花が咲き、咲いた年から数年間は国内に幸せがあふれ、平和な御代が続くといわれている樹だ。
すっかり忘れていたけれど、ゲームスタート時にひと文、『幸せを運ぶ伝説の樹アルベロ・フェリーチェの開花とともに始まる恋』と出る。
「まさかあれが咲いたのですか?」とギヨーム。
「そう。一昨日からだ。樹の資料はほとんど失われてしまったのだが、僅かにのこった文献からは、『恋の樹』という別名があるらしい」
リュシアンの話によると、アルベロ・フェリーチェは城近くの王家専用の薬草園の中にあり、樹の世話と観察は宮廷薬局が担当しているそうだ。薬局の本部は薬草園の中にあり、薬草と樹に関するあらゆる資料はそこに納められている。
だがその薬局本部は百五十年ほど前に落雷による火災で全焼してしまった。必死に貴重書を運び出したものの、大半が燃え尽きてしまい、その中にはアルベロ・フェリーチェに関するものも入っていたそうだ。
「花が咲くと都中にカップルが急増するとか。ディディエたちのアニエスに対する好意がそれと関係あるのかは不明だが」リュシアンは眉を寄せた。「あいつは伝説に後押しされた運命の恋だと思っている。本来なら俺は応援してやりたい立場なんだ」
「仕方ありません。そもそもアニエスにその気がないのですから」
ギヨームがそう言うと、モブの大公令息は笑みを浮かべた。意地悪でも悪どくもない、笑顔を。
――ゲームの彼は、ディディエとヒロイン・ロザリーの恋も邪魔しようとしていたのだろうか。そのわりには全く登場していないかったけど。
◇◇
予想外に充実した会合を終えると、思いの外、ふつうの態度だった大公令息と、親しくなれそうなチェリストのふたりを見送った。
遠ざかる馬車を見ながら、脳内に
悪役令嬢はふたりの仲間を手に入れた
との言葉が効果音つきで思い浮かんだ。
昨晩、舞踏会から帰ったときは謎のヒロインポジションに恐慌していたけれど、仲間もいるし、なんとかなりそうだ。
ああ、一安心。
「お嬢様」
掛けられた声に、執事を見る。
「何かしら」
「お早くお着替えを」
すっかり忘れていた。メイドの格好だった。
もう満足もしたし、仕方ないから着替えよう。でも。
「気に入ったのだけど」
「大公令息にそのような格好でお会いしたのかと思うと、胃痛で倒れそうな心持ちなのですが」
執事の能面のような顔の中で、頬だけがぴくりと動く。
「……ごめんなさい」
「今回は事情があったから仕方ありませんが、二度とこのようなことはおよしになって下さい」
「はい。今日は胃に優しいものを食べてね。……あと、私の食事も」
なんだかんだで、疲れてしまった。
昨晩からだいぶ混乱していたから、ほっとした途端に疲労が押し寄せてきた。
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