8・ついにお仲間と密談です

 エマの陰から現れたのは、愛しの弟シャルルだった。


「姉さま。お加減がすぐれないと聞いたのですが」

 天使のようなショタ……じゃなかった弟が、天使のようなソプラノボイスと怪訝な表情 (国宝級だね)で尋ねる。

「朝食のときは普段通りに見えたのですが、ご無理をしていたのですか?」


「事情があるの」憂い顔を演じると、心優しいシャルルは私の手をとり首をかしげて

「ぼくはどうすれば姉さまの助けになれますか?」

 と言った。


 ああ、なんて天使!

 ショタってこれだよね!

 クレールもかわいいけれど、あれはやはり14歳。とうが立ち過ぎている。


「ありがとう、シャルル。あなたは何もしなくていいのよ。いてくれるだけで姉さまは活力が出るわ」

 活力?とエマが呟いた。しまった、あれこれありすぎて、令嬢らしくない言葉チョイスだった。


 こほん、と咳払いをしてごまかす。


 と、咳と共に素晴らしいアイディアが閃いた。

「そうだわ、シャルル。ひとつ、お願いを聞いてくれるかしら」

「もちろんだよ」


 にこりと微笑むシャルルは本当にかわいい。ああ、アニエスに転生して良かった! オリジナル・アニエスだって、天使な弟にはメロメロだった。それぐらいにシャルルは可愛い。


 その可愛い弟を利用するのは心が痛むけれど、他に良策が思い浮かばない。シャルルの、ショタと言えども少年に成長途中の、割合にしっかりした手を握りしめた。


「あのね……」




 ◇◇




 窓外の日差しが弱くなってきた夕方。

 そろそろ約束の時間かなと思いながら、鏡に姿を映して身だしなみチェックをしていると、扉が開いてエマが顔を見せた。


「お嬢様。いらっしゃいましたよ」

 その言葉に振り返る。と、彼女が深いため息をついた。

「乱心されたとしか思えません」

「ディディエ王子たちから身を守るには必要なことなのよ」

「だからといって。正気の沙汰ではありません」

「あら、似合わない?」

「似合いますけどね!」


 今の私は伯爵令嬢アニエスではない。バダンテール邸で働くメイドだ。エマに無理を言って、お仕着せを借りて着ている。


 実はずっと着てみたかったんだよね、メイド服。黒いワンピースは、白い高襟に長袖パフスリーブ。その上にフリル多めの白いエプロン。頭にも白いヘッドドレス。

 令嬢のヒラヒラドレスも可愛いけれど、白×黒のメイド服も渋可愛い。


 そうか、似合うか。


 いい気分になって再び鏡を見ていたら、エマに急かされた。廊下へ出る。そこに用意されていたティーセットの載った盆を手に持つ。

「……重いわ」

「やはり私が運びましょう」

「大丈夫よ。だけどいつも、あなたたちはこんなに重いものを運んでいたのね。ご苦労様」

「……」


 エマの後ろについて隣の部屋へ行く。中ではシャルルと執事のアダルベルト、そしてチェリストのギヨーム・ゴベールが話をしていた。


 ギヨームには、シャルルがチェロの先生を探しているので教師を頼めないかと、アダルベルトの名前で手紙を出したのだ。

 紹介状もなく執事からの依頼だったから、どんな反応になるか不安だったけれど、すぐに了承の返事が来た。


 埃を被っていた(比喩だ。うちの使用人の仕事ぶりは完璧だから)チェロも引っ張り出してきて用意して、それらしい体裁も整えてある。


 ちなみにこのチェロは、一年前までここに住んでいた叔父が弾いていたものだ。だからシャルルが習いたい、というのも突飛な話ではないはず。しかも叔父はギヨームの熱烈なファンだったしね。


 私はメイドのふりをして、お茶の支度をする。

 だけどすぐにシャルルが私に気づいて目を見張り、続いてアダルベルト、最後にギヨームと、秒速でバレてしまった。


「アニエス様、何をなさっているのですか!」

「私はメイドのアニーですよ、アダルベルトさん」と澄まして答える。

「私は反対したのです」とエマ。

「だってアニエスは寝込んでいるのよ。それにギヨームさんだって私に会ったと知られたら、マズいことになるのではないかと思うの」

 そう言って彼を見ると、ギヨームは大きくうなずいた。


 昨夜の狂騒を考えると、建前だけでもアニエスはギヨームに会っていないことにしておきたい。その苦肉の策が、このメイド服だ。まあ、着たかったんだけどね!


 改めて彼に挨拶をし、このような格好であることを詫びた。更に

「急な依頼でもありましたのに、よく来て下さいました」と礼も言うと、

「私も君と話したかったからね」 とギヨーム。「だけれどシャルル君が習いたい、というのは建前かな?」とギヨーム。


「いいえ」すかさずシャルルが答えた。「姉に頼まれ今回の運びになりましたが、興味はありました。ピアノは習っているのです」

「それなら次回までに弦を張り替えておいてくれ」


「レッスンをしていただけるのですか?」目を煌めかせている天使を横目に、天才チェリストに尋ねる。「ギヨームさんは人気があるから、かなりの人数が順番待ちをしていると聞いてます」

「まあね。だけど君たちの叔父さんは、熱心なファンだったから、特別かな」


 今は隣国に住んでいる叔父は趣味に生きる人で、父からは穀潰しなんてけなされていたけれど、私たち姉弟にはいい叔父だった。しかも今回は彼の存在に助けられたらしい。


 表向きにも良い口実があって良かった。


 しばらくの間はギヨームのチェロ講義を、シャルルと共に聞いた。結構楽しかったけれど、自分には弦楽器の才能がミジンコほどもないことはよぉく分かっているので、習おうとは思わない。

 願わくは、シャルルには才がありますように。


 ひととおりの講義が終わると、アダルベルトとエマに頼み込んで、ギヨームとふたりきりにしてもらった。アニエスとバダンテール家が平和に過ごすためには、どうしても必要なのだと力説をしたのだった。


「さて」

 と私はギヨームの正面に座った。それまでは一応メイドらしく部屋の隅に控えている風にしていた。

「ギヨームさん。転生者ということでオーケー?」

 ギヨームはうなずいて

「ここって乙女ゲームの世界?」

 と、それまでとは違う軽い口調で尋ねた。

「そうよ。ということは、このゲームはプレイしていなかったのね」

「ああ。そっか、やっぱりファンタジー系じゃなかったのか。俺、トラックに轢かれて死んだんだよね。前世の記憶を取り戻して異世界転生じゃね?って気づいたのはいいけど、魔法もチート能力もないからおかしいと思っていたんだよ」


 ギヨームの話によると、彼は数ヶ月前に指をケガしたことをきっかけに、前世を思い出したそうだ。前世での彼はチェロを学ぶ大学生で、世界的コンクールのファイナリストに残りこれから本選というときに、亡くなったという。


「またチェロが弾けているから、チートもハーレムもいらないけどな」

「あなたのチェロは大好きよ」

「ありがとな。俺、それしか出来ないから」ギヨームははにかんだ。「で、君は乙女ゲームのヒロインなんだな」

「違うわ。私は悪役令嬢。ヒロインはロザリーよ」

「どういうことだ?」


 ギヨームは悪役令嬢への転生ものを知らなかったので、詳しく説明をした。そして私がバルコニーにぶら下がったばかりにヒロインポジションを横取りしてしまい、逆ハーになりかかっていることも。


「なるほど。そういうジャンルがあるのか」とギヨームは理解してくれたようだ。「バルコニーのツッコミはあとにとって置くとして、」

「とって置かなくていいわ。忘れて!」

「逆ハーになりかかり、じゃないよな。形成されている」

「うっ!」


 思わず両手で自分を抱き締める。

 なんて恐ろしい展開なんだ。私はただ、悪役令嬢になりたくなかっただけなのに。


「昨夜君が帰ってからもディディエ殿下たちがケンカを始めてね」

 王子のくせにアホなの!? あんな公式の舞踏会の最中になにをやっているのよ!


「リュシアン殿下がすぐやめさせたし、周りにも、アニエス嬢へのイタズラだって説明で場を収めたんだ」

「周囲は信じていた?」

「信じないさ。だけど、大公令息がそう言ったのだから、そうしておこう、という空気ではある」

「リュシアン殿下って結構役に立つのね」

「結構もなにも」ギヨームは苦笑した。「彼は何においても傑物だよ。陰では、大公家の生まれなのが惜しい、なんて言われている」


「……彼の誕生会では令嬢への態度が悪かったのよ」

「聞いている。一説によると、意中の伯爵令嬢以外を自分から遠ざけるため、だとか」

「どういうこと?」

「結婚相手を好きに選べるなんて建前にすぎないってこと。公爵家なんかが本気で縁談を迫ったら、殿下も断れない。だから令嬢たちに嫌われるよう振る舞っている。誕生会も、それ以外も」

「そうなんだ……」

「ま、あくまで一説だけどな」


 一説だとしても、そこまでして気に入った令嬢にリュシアンは逃げられたのだ。可哀想な気もするし、逆に、それほどまで彼に問題があるのかという気もする。


「で、」とギヨームは話を続けた。「舞踏会後に話し合いをしたようだ」

「話し合い?」

「そう。ディディエ殿下、公爵家のマルセル、節操なしの神官、騎士のエルネスト、それからクレール」


 ギヨームは昼間、楽団事務所でクレールに会ったのだそうだ。

 それでクレールによると、リュシアンが仕切り役になり、五人は抜け駆けをしない協定を結んだという。


「……そこに、諦めるとか気の迷いだったという結論はなかったのかしら」

「なかったみたいだな」

「私はそんなに素敵な令嬢ではないのに。悪役だから顔はキツメだし、性格だっていたってふつう。センスはかなり悪いみたいだし。どうしたら彼らは、恋に落ちる相手を間違えたと気づくかしら」

「……」

「あなたは何かいい案がある?」

「それ、気づかせないとダメなのか? うまくしたら王子と結婚できるんだぞ?」

「イヤよ、好みじゃないもの!」


 なるほど、とギヨームは笑った。

「ま、俺としてもクレールとエルネストの目は覚めてほしい」


 なんと、ギヨームの妹マノンと悪役騎士のクロヴィスは恋人未満友達以上の関係だそうだ。マノンは、従妹の恋の心配をしているクロヴィスの心配をしている(ああ、ややこしい)という。


 そしてなんとなんと。ギヨームは悪役上司のセブリーヌに片思い中だそうだ。


「やっぱりセブリーヌさんはクレールを心配しているのね。彼女、クレールの悪役上司なの。悪役といっても、楽団員を守りたいという理由だからライトなんだけれどね」


 と、なぜかギヨームは鼻で笑った。


「そんな正義感なんて、彼女にはない。セブリーヌは少年好きの正真正銘の変態だ」


 へんたい……?

 編隊。変体。やっぱりこの『変態』かな?


「え、だってゲームではそんな設定ではなかったわよ」

「世間様にはうまく隠しているからな。クレールがあんな格好しているのだって、セブリーヌの趣味だからだぞ」

「本人の意思じゃないの!?」

「十四歳の男があんな半ズボンを履きたがると思うか? セブリーヌは、クレール人気を高めるための衣装と言って、クレールも信じているけどな。単純に彼女が少年の華奢な足と膝小僧を見たいだけ」


 ジーザス!!

 気持ちは分かる!!


 けれどそれを他人に強制したら、ただの変態、もしくは犯罪者じゃないか。セブリーヌ、恐るべし。


「……というか、そんな変態をあなたは好きなの?」

 ギヨームはまたはにかんだ。

「音楽の知識に関しては尊敬できるんだ。ちょっとドジっ子属性もあって、可愛いし」

「……蓼食う虫……」

「分かってるよ! マノンやクロヴィスにもよく言われる」


 ふう、とギヨームは息をついた。


「まあ、そんな訳だから彼女、昨日からちょいと荒れ気味だ。クレールが恋するのなんて初めてだからな。可愛い恋人を盗られた気分らしい」

「盗ってない!」

「『気分』だって。君がクレールに興味がないのは分かっているから」


 今度は私がため息をついた。

 なんだかかなり、ややこしい。


「ゲームが終わるのが一年後、と言ったっけ?」とギヨーム。

 うなずく。

「そんなのを待たなくていいから、サクッとふってやってくれ」

「……なるほど」


 ノーマルエンドなんて考えないで、普通にふればいいのだ。

 幸いなことに、どんなバッドエンドでもヒロインが死んだり、酷い状況に追い込まれることはない。

 まずは対象全員をサクサクッとお断り。ロザリーに気になる対象がいるなら、その人物と恋仲になれるよう、全力を尽くす。

 それでいいんじゃないの?


「そうするわ。ゲームの展開なんて気にしなくていいのよね。ああ、気が楽になった」


 いや、待てよ。そうするとロザリーが選ぶ相手によっては、失恋する女の子が出てしまう。セブリーヌならばいいけれど (だって社会的に少年×大人はマズイもんね)、他の人は可哀想だ。

 うぅむ。むずかしいな。


 と、扉をノックする音がして、執事が現れた。


「アニー様。お客様がいらっしゃいました」

 アダルベルトめ。メイドのアニーに敬語を使っちゃっているよ。どう接していいのか分からないに違いない。可愛い執事め。

 だけど。

「お見舞いは一律にお断りよ」

「はい」とうなずく執事。「いらっしゃったのはリュシアン殿下です。寝込んでいると伝えたのですが、『アニエス嬢が気にかかっているだろうことを話しに来た』と伝えてほしい、と。いかがなさいますか?」


 気にかかっているだろうこと?


「協定の話じゃないかな」ギヨームが言う。「聞いたほうがいいと思う」


 昨晩、リュシアンにからかわれたことが脳裏をよぎった。

 だけど協定の話は詳しく知りたい。



「そうね。アダルベルト。殿下にお会いするわ」




(お知らせ・すみません。休載することにしました。詳しくは近況ノートをご覧下さい)

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