7・爽やかな朝なのに、時間差攻撃を受けました
気持ちの良い朝。爽やかな日差しに鳥のさえずり。窓から入ってくる芳しい花の香りが、春を感じさせてくれる。
それに反して、昨晩はとんでもない舞踏会だった。腕、肩まわりは筋肉痛がひどいし、皮がむけた掌も痛い。
メイドのエマが髪を丁寧にくしけずるのに身を任せながら、思わずため息がこぼれる。
「お疲れは抜けませんでしたか?」とエマが尋ねる。
ええとうなずくと彼女は、
「では今日はゆっくりお過ごしになるのがよいですね。勉強はお休みと家庭教師に伝えましょう」
とテキパキと言った。
普段はメイドからこんな提案はない。私の様子がかなりおかしいと思っているのだろう。
昨晩、リュシアンの従者はバダンテール邸まで付き添ってくれた。そして何事かと血相を変える執事に、ディディエ王子他数人がアニエス嬢を気に入ったようだから、今後大変なことになるかもしれないと、丁寧に説明をしてくれた。
常に素晴らしい完璧令嬢でいるアニエスだけれど、これまで、政略的なものを除けばモテたことはない。オリジナル・アニエスは性格がアレな上に、センス崩壊 (らしい)縦ロールだったからだろう。進化アニエスは、目立たないようひっそりしていたからだ (たぶん)。
そのアニエスお嬢様が、突然大モテ? しかも第一王子に?
執事は珍しいことに、最初は呆けた顔をしていた。けれど私がよほど疲労困憊の様子に見えたのだろう、すぐに難儀でしたと言ってメイドたちに素晴らしい指示を出した。
しかもメイドたちは私の酷い手にショックを受けたようだ。
おかげで、お風呂は普段より増し増しの薔薇エキス入り、丹念なマッサージに、寝る前の飲み物はいつもは禁止されているココア(太るからね)という贅沢な寝仕度をしてもらった。
疲れと気持ち良さと安心でぐずぐずのスライムのような気分だった私はメイドたちに、
「私のヘアセンスは最低らしいわ。今まで変な指示を出してごめんなさい。これからは任せるわね」
と神妙に伝えた。
これに彼女たちは大仰に驚いて
「お嬢様の曇った目が晴れるなんて。よほどお辛い批判を受けたのですね」と涙を流さんばかりの同情っぷりだった。
なんとなく腑に落ちないものを感じながらも、疲れきっていた私は赤子のようにうなずくだけで精一杯だった。
この一連の出来事が、使用人たちの地下世界でどのように話し合われたのかは不明だけれど、今朝私を起こしにきたエマは力強く
「お嬢様のことは私たちメイドにお任せ下さい! 御身もプライドも必ずやお守りしましょう!」
と宣言したのだった。
なんだかよく分からないけど、一年前には
お嬢様は性格がアレだから辛い、心が折れる
なんて思われていたことから考えると、えらい変わりようだ。私はありがたく、お願いねと頼んだ。
結果、今日は勉強が免除になるらしい。ちょうど良かった。ゲームについての記憶をもう少し取り戻したいと思っていたのだ。
エマに、そのように頼む、気が利くわねと伝え、ほっと息を吐く。
できることならチェリストのギヨーム・ゴベールにも連絡を取りたい。彼も私と同じように、このゲームをプレイしていたのかを知りたい。
いや。していたのなら、昨日の反応は変かな。
とにもかくにも、推測より本人に聞くのが一番。さてどうするか。
◇◇
朝食と食後の運動が終わると、自室のライティングテーブルに便箋を出し、腕を組んだ。ギヨームへの手紙になんて書くか。
できれば会って話したいけれど、どこで?とか口実は?と考えると、難しそうだ。
うぅむと唸っていると執事がやって来た。私に手紙が届いたという。
なんと。ギヨームのほうから連絡をくれた!
それはそうか。彼だって他の転生者は気になるだろう。ゆっくり話したいとも言ってたような気もする。
ウキウキしながら手紙を手にして差出人の名前を見て、フリーズした。それはギヨームではなかった。女嫌いのマルセル・ダルシアクの名だったのだ。
「どうかなさいましたか」と執事。
「お嬢様?」とエマが近寄って顔を覗いてきた。
「……エマ……」
「っ! どうしました、アニエス様!」
「この手紙を読んでくれるかしら。私は恐ろしくてできないわ」
「承知いたしました! アニエス様が涙ぐむなんて余程のこと。不肖エマが決死の覚悟で拝読いたします!」
エマはさっと手紙を開封すると、真剣な表情でそれを読んだ。
顔を上げた彼女に
「どう?」と尋ねる。
「大変に熱烈な恋文でございます」とエマ。
とたんにめまいがして体が揺らぐ。お嬢様!とエマと執事が慌てて押さえてくれ、椅子から落ちずにすんだ。
ああ、お前もなのか、マルセル・ダルシアク!
彼だけには好かれなかったと思っていたのに、まさかの時間差攻撃だなんて卑怯すぎる。
「アダルベルト」息絶え絶えになりながら執事の名を呼ぶ。
「なんでしょう、お嬢様」
「マルセル様にあなたが手紙を書いてちょうだい。アニエスは昨晩から寝込んでいるので返事を書けるのは数日後になるだろう、と」
「かしこまりました。ではお見舞いの方がいらしたら一律にお断りしてよろしいでしょうか」
その言葉に少し考える。
私にお見舞いに来てくれるひと。……いないな。オリジナル・アニエスだったときに『友人』と思っていた令嬢たちはいる。だけれど前世の記憶を取り戻してみると彼女たちは、残念ながら『知人』としか言いようがない関係だった。
進化アニエスはひっそり過ごすために、新しく友人をつくろうとはしなかった。
「ええ、一律で大丈夫よ」
「ではそのように」と執事。
「念のために寝間着に着替えましょう」とはエマ。
「必要あるかしら?」
「お嬢様は第一王子に気に入られたとか」とエマ。
「殿下が万が一正式にお越しになられたら、医師の診断でもない限り、断れません」と執事。
たかが普通の伯爵であるバダンテール家に王子が来る訳ない、と言おうとして、やめた。昨晩の様子を見る限り、絶対にないとは言いきれない気がする。
また、ぶるりと震えた。
「そうね、着替えることにするわ」
そうして再び寝間着になると、改めてライティングテーブルにつき、マルセルの手紙を指先でつまみ上げた。
「危険物ではありません」とエマ。「したためられた言葉には、やや危険な過激さを感じますが」
「エマ」
「はい」
「もしかして、面白がっているのかしら?」
「とんでもございません。お嬢様を思ってこその解説でございます」
本当かなぁ。
だけど彼女は真顔だ。信じてあげよう。
「読んでも大丈夫かしら」
「恋愛経験値ゼロのお嬢様には耐性のない愛の言葉が並んでいます」
え。絶対に面白がっているよね?
「読むのが恐ろしいのでしたら、私が読み上げいたしましょう」
「結構よ!」
ばくばくいう心臓をなだめながら、手紙に書かれた文字を見る。
「お嬢様」
「なあに」
「腕をめいっぱい伸ばして目を半開きにしても、手紙の内容は変わりません」
「……私はこのスタイルがいいの」
「そうでございますか」
ああ。なんだか令嬢アニエスが壊れている気がする。だけど怖いものは怖い。かといって確かめないのは、もっと怖い。
マルセルからの手紙は、エマの言った通りに(残念ながら熱烈な)恋文だった。どうやら舞踏会から帰る寸前に、ディディエまで溺愛レースに参加して怯えていた私に、心を奪われたらしい。
チンパンジーのようにバルコニーからぶら下がっていた私が見せた、か弱き乙女の様子。これは自分が守らなければ、と思ったそうだ。なのにリュシアンに遅れをとって悔しかったという。
そう、ゲームでマルセルの好感度が上がるのも、か弱き乙女な様子を見せることだった。
マルセルは女嫌いだけれど、原因は五人の姉だ。生まれたときから彼女たちにおもちゃとして扱われた(実際はただ可愛がっていただけのようだ)彼は、女とは恐ろしくて自分勝手な生き物との強い思い込みがある。
だから男たちに囲まれて怯える姿は、新鮮に見えたのだろう。
深い深いため息をついて、手紙を置く。
一応マルセルには常識があるようでそれの最後は、デートに誘いたいがまずは姉のお茶会に来てほしい、のちほど招待状を送るとの文でしめられていた。
「お嬢様」
「なあに」
「いったい昨夜は何をなさったのですか。モテ期到来にしても唐突すぎます」
全くもってその通り。
「……なにも、おかしなことはしていないわ」
ボルダリングを思い出してバルコニーにぶら下がっていたことは、絶対に話さない。今度こそ本当に悪魔払いを呼ばれてしまうだろう。
「アダルベルトさんから聞いた四人の青年とマルセル様、他に注意すべき方はいらっしゃるのですか?」
「いいえ」
ロザリーの名を上げるか迷ったものの、やめにした。友達になる約束をした。友達なのに注意すべき人のくくりにいれるのは、よくない。
「五人の方に共通点はないようですし、何なのでしょう」とエマは首をかしげる。
「そうね」
五人はゲームの攻略対象キャラという共通点があるのよ、とも言えないので分からないふりをする。
だけれどゲームでだって、彼らが初日にヒロインに落ちるなんて展開はない。小さいことを積み重ねていっての結果だ。
なぜだろう。
私の行動が突飛だったとしても……
そこでハッとした。
博愛主義者のジスラン以外の四人には、ヒロインの好感度が一気に上がるキーポイントがある。それを昨夜、私は当てまくってしまった。本当ならば、ゲーム途中にやることだ。
もしかしなくても、突飛な行動のせいだ。
となるとこれ以上、好感を積み重ねないようにすればいいのかな。私がヒロインポジションに収まっているのなら、ヒロインのノーマルエンドを目指せばいい。たぶん。
それからポジションをロザリーに返す。
どうやって?
こっちはより難しそうだけど、なんとか考えなければ。
「お嬢様」とエマが扉のそばから声をかけてきた。「お見舞いがいらっしゃいましたよ」
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