第3話 ヒの記憶

 私にも聞こえていた……。でも、わかっていて、わからない振りをした。


「おい……陽月まさか、変なことを考えるなよ。

 そんな声聞こえないし。何より、消防隊がもうすぐ来て、救出してくれるさ!」 


 私はどこまでも他人だよりで、こんなことしか言えない根性なしの自分が情けなくなった。

 でも、しょうがないだろ……。誰だって、こういった場面では自分の命を、大切な人の命を選択するだろう。


 しかし、陽月は違った。  


 私に沢山のものをくれた彼女は、私の様に情けない人間ではなかったのだ。


「夢羽……今は大地震で、この街のそこら中から助けを呼ぶ声がある。救助隊の助けなんて待ってられないかもしれない」


「そうだとしても、陽月がいくことはないだろ!」


「ねぇ……夢羽。救える命は貴重なんだよ。

 …………ごめん。守るって約束してくれたのに」


 彼女の顔はとても悲しそうだった。私の情けなさを見ての顔なのか……。私と陽月が交わした約束を破ることが悲しくての顔だったのか、その時の私は、その意味が分かるほど、陽月を理解しきれていなかった。


 それだけ言い残し、陽月は煙が充満しかけているホテル通路に向かって、走っていってしまった。

 私は何故この時、なんで何も言い返せなかっただろう。

 なんで手をしっかりと掴んでいなかっただろう。


 今の、このほんの一瞬の出来事が一生の後悔のように、記憶にこびりつき反復した。


 陽月は押さえつけられている男の横を通り抜ける。


「貴方の娘さんは、私が連れ戻すから安心してください!」


「おい、君! なにをしているんだ!! 待ちなさい!!」


 ホテルの係員の静止も虚しく、陽月は声がする方向に一直線に向かっていく。


 そんな陽月を追いかけるように、私もいつの間にか走っていた。


 何故、走り出したのだろうか……。

 

 止めるためか、一緒に少女を助けるためか……。正直、何も考えてなかっただけかもしれない、ただ反射的に走っていただけだ。


 私は火が廻りかけた廊下を無我夢中に走った。


 心の中では、無謀だともう一人の私が赤い警報を鳴らしている。 

 だが、そんなことは知ったことではない。私はこれ以上、彼女に情けない姿は見せたくない。あんなにも手が震えていた彼女を独りにしたくない。それだけの思いで動いていた。


 どれだけ走ったのだろうか……。


 そんな事も判断できなくなっていたときに、前を走っていた陽月が、1つの部屋に入っていて行くのが見えた。私も直ぐにその部屋に入ると、そこには恐怖で動けなくなった少女をあやし、説得する陽月がいた。


 本当にいた……。どこかに隠れていたのかもしれない。幼い子だ、恐怖で何をしたらいいのか、わからなくなったのだろう。


「もう、だいじょうぶだよ。怖かったよね……。

 貴方のお父さんがとても心配していたよ。だから、お姉さんと一緒にお父さんの所まで行こう」


「うん……」


 納得した少女を立ち上がらせようと、陽月が手を差し伸べたと思った瞬間。


 既に限界がきていたのだろう、気を抜いたのか陽月は崩れるように倒れてしまった。


 私は咄嗟に駆け寄った。


「おい! 陽月だいじょうぶか!?

 しっかりしろっ!」


 陽月は呼吸を苦しそうにしている。


「なんで……来たの? ゆう?」


「当たり前だ、お前を独りにするわけないだろう!」


「はは、夢羽は約束を守ってくれるんだ。うれし……な」


 そう言った陽月の力がより一層抜けたのがわかった。


「駄目だ! 駄目だ!! 陽月!!! こんな事はあってはいけない。絶対に助けてやるからな!!!」


 考える時間が惜しい、動くこと。ここから抜け出すことだけを考えろ!


「今から、お兄さんが君をおんぶするから、このハンカチでしっかりと口元を抑えておいて」


 私は陽月を抱え、少女をしっかりとおんぶして先程来た道を大急ぎで戻る。

 

 辺りの様子は来る前より、激しく燃え上がり、そして煙の海に視界が阻まれる。呼吸が上手くできない、足は縺れ、何度も転けそうになる。


 しかし、不思議なものだ。もう何も考える余裕なんてない、思考は停止している筈なのに、この抱えているものだけは、絶対に離さないという意志だけは持ち続けられた。


『死ぬかもしれない。ただせめてこの二人だけは必ず……』


 私は必死の気力で煙の海を抜ける。


 そして、階段にはホテル従業員と少女の父親が待ってくれていた。


 よかった……。私はもう………。


 彼らに2人を託し、その場で倒れて込む。

 

 なんだか、胸が苦しい。頭が痛い……。

 身体中の皮膚がジリジリと痛む。


「息はある。急いで下に降りるぞ!!」


 そうか……息はあるのか……。


 きっと陽月は助かる、あれだけ善行を重ねてきたんだ、神様はきっと救ってくださる。


 まぁ神様なんてもんは、信じたことはないが、今ならわかる、救いを請う理由が……。   

 努力では、自分ではどうする事も出来ないことに直面すれば、誰かに頼りたくなる。それが例え虚構の存在だとしてもだ。


 にしても、はやかったな人生……私の役目は終わったのだ。

 きっと、これが私のちっぽけな人生での成すべきことだったんだ。


 二人の命を救うこと……。


 ありがとう、二人者の命を、大切な人を救える人生を歩ませてくれて、ありがとう……。


 眼から冷たいモノが流れた。これは決して悲しみによるものではない。嬉しさからだ。

 

「よし!! 貴方も降りるぞ。おい! 立てるか!? だいじょうー」


 意識がさらに薄くなっていく……。視界は濁り、何もかもが見ずらい。それでも、最後に私は陽月をひと目見ようと顔だけをあげた。


 最後ぐらい、彼女に格好いい所を見せれたかな……。約束は守れ……。


 私は最早、この世界を退場する人間には、知る意味もないことを考えていた。

 そして、知ろうとする私を無視して、意識の線は抵抗も許されず、呆気なく千切られた。

 

 意識が途絶えた次の瞬間、自分の体の感覚は消え、暗闇に落ちた。


 そして、時間と空間の概念はなくなり、昼の日差しのような温かさと、夜のような暗さが混じった空間で『何か』と出会った。


 その謎の存在と意思を、言葉がない会話で創通した気がした。そのときに、どのような内容を話したかは思い出せないし、認識も出来ないが、とても、とてつもなく重大な話を交わしたのは確かだ。その後、再び私は空間的に深く、時間的に短い暗い眠りについたのだった。


   


       ※後書きです。


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