第2話 正しき心

 本当に崩れるんじゃないのかと、思わせるほどの強い揺れ。経験したことが無い恐怖に言葉を失った……。

 きっと地震が起こった事はわかっていても、何も考えられなかったからだ。


 大きな揺れは私達の足場を不安定にして、とてもじゃないが、立つことも困難な状況である。


 そんな状況では二人で身を寄せ合い、揺れが収まるの待つしかできなかった。

 

 揺れが少し弱まった頃、ホテル内アナウンスが入り、頭が低くすることと、完全に収まるまでその場から動かないようにと指示があった。

 

 私たちは、それに従うしかなく。頭を低くし、近くにあった中に潜れる机などの下に入り、じっと収まるのを待った。


「夢羽、だいじょうぶ?」

 

 私が顔に焦りの色を見せていたためか、陽月は心配そうに声をかけてくれた。


 どうやら、彼女に不安な思いをさせてしまった。本来、こういった場面では、古い考え方もしれないが、男がどっしりと構えておかねばならないというのに。私は本当に情けない男だ。


 しかし、今からでも遅くないと、私は陽月を安心させるため、平常心を装った。


「あぁ……陽月はどうだ?」


「うん、なんともないよ……」


 そんな私の考えは見透かされていた。陽月は私に負担をかけないように考えてくれたのだろう。怖いという本音を吐かまいと、グッと我慢しているように見えた。


 私達がじっと、待っている中……。依然、地震の余震が続いていた。第一波程ではないが、それでも立って歩くのはまだやめておいたほうがいいぐらいの揺れだ。


 すると、ホテル内に再びアナウンスが響き渡る。


『ただいま大きな地震が発生いたしました。現在、係員が施設内の安全確認を行っております。同程度地震の発生の可能性もあるため、ご来場のお客様は身の安全を確保し、係員の指示があるまで、その場にて待機してください』


 私達が、アナウンス通りに待つこと数分後。

 今度はより身体を強張らせる、恐ろしい知らせが入った。


『お知らせします。只今、建物内32階より火災が発生しました。これよりお客様を順次避難誘導いたします。非常階段前にいる係員の指示に従い、どうか慌てずに移動してください』


 俺達が今居るのは24階だ。関係がない話ではない。

 平常を保てないほど、怖くなったのか。陽月は、隣で震えながら縮こまっていた。


「夢羽……だいじょうぶだよね」


「あぁ、ヒツキのことは絶対に守る。約束する。だから、安心しろ」  


 その時の私はかなり動揺していたのか、場に流されて、普段は絶対に言わないであろう、クサイセリフを吐いていた。しかし、今はそれが正解だったのだ。多少大袈裟にでも、強気でいることが陽月に安心を与えることになりえるからだ。


「うん……」


 火事のアナウンスが入ってからすぐに、外から係員の声が聞こえた。そして、私達は部屋の外に出て誘導に従い。非常階段に向かう。


 私達が着いたとき、既に非常階段には、各階に宿泊していた様々な世代の多くの人が集まっていた。


 非常階段は大人が3人並ぶのがギリギリといった幅しかなく。沢山の人で溢れかえった階段では、一段一段をかなりゆっくりとしたペースで降りていくことが自然となる。当然、危険だからだ。


「どうか、押し合わず、ゆっくりと下に降りてください!!」


 係員が安全に避難を遂行するため、そして皆の冷静を保つため、大きな声で注意を促している。


 その時はまだ、焦る者はいれどお互いを配慮する程度の余裕は、皆が持ち合わせたいたと思う。


 しかし、ギリギリで保たれていた皆の心の平安は、突如崩されることとなった。


 再びアナウンスが入り、最悪の知らせを流れる。


『お知らせします。只今、建物内16階と40階で火災が確認できました。引き続き、お客様を順次避難誘導いたします。客席扉、階段近くにいる係員の指示に従い、どうか慌てずに移動してください』


 これを聴き、階段を降りていた宿泊客から、どよめきが起こる。緊張感に包まれた場では、皆が不安を移し合う。そして、未だに治まらない余震による揺れ。

 

 そのとき、既に皆の心は限界寸前まで追い詰められていた。

 

 ……負は連鎖して止まってくれない。


 本当の問題は、このアナウンスではなかったのだ。

 

 上の階から階段をドタバタと降りる強い足音が壁や階段を伝わり、聞こえてきた。


 そんな慌ただしい音と共に、火事による火傷を負った男が、上から人を掻き分け降りてきて、こう叫んだ。


「もう、火の手はこの上の階まで来ている。アナウンスは正しくないぞ!!! 逃げるんだ!!」


 こんな自分本位な男の発言が正しい保証などなかった筈なのに、その男の様子や気迫が真実味を与えてしまった。


 そこから、その一声をきっかけに場は一転とする。


 皆、混乱したかの、錯乱したのか非常階段は地獄と化した。少し前まで、一段一段降りていたのが嘘のように、皆かけ下がる。我先に逃げる人、さらに伝播するように不安を煽る発言をする人など、冷静さなど殆どの人が失っていた。


 そんな中でもホテルの従業員は必死に叫び続けていた。しかし、多くの者にその声は届くことはなかった。


「皆様、どうか冷静に!! どうか……どうか!」


 こんな状況下では愚かな事に、私も冷静ではいられなかった。その逃げ惑う人の波に呑まれかける。焦り、下に逃げようとする。


 だが……下に、下に行こうとする足は止まった。私の手を陽月の温かな手が、強くずっと握りしめてくれていたからだ。


「駄目だよ、夢羽……。周りをよく見て」


 強く意志が籠もった彼女の目が、私の目と重なる。


 陽月に言われて、私は冷静さを少しだけ取り戻し、辺りを見る。


 階段には、自分の命欲しさに他人を押し退ける人が多くいる中、混乱により転んだり、押されたりして負傷した人、元々から降りる速度が遅い人がいた。


「夢羽……力を貸して」


 ヒツキは冷静だった。そして、優しい心の持ち主だった。


 逃げ遅れた人達の所へ寄り添い、話しかけ、適切に対応していった。


 降りる速度が遅い人には降りる補助を、負傷した人には、傷の状況を確認して、簡易的な傷の手当をしていった。


 私は後ろについていくだけのオタマジャクシとなっていたが、そんな陽月に感化されてか、周りにいた他の人達も動き出す。


 負の感情を広めるのが人間なら、正の感情を広めるのもまた人間であった。


 その場にいた人達やホテルの従業員等の助けもあり、大きな傷を負った怪我人も幸いにいなかったため、残された人達はお互いが助け合い、ゆっくりと下に降り始めっていった。


 そうやって確実に降りていった私達は、先程アナウンスで言われていた16階まで到達していた。


 そこでは一人の大柄の男が係員達に取り押さえられていた。


 男は暴れ、叫んでいた。


「違うんです。まだ、この階に娘がいるかもしれないんだ!!

 下の階にはいなかったんだよ! 俺をっ!! 行かせてくれぇぇ!!」


「しかし! この階の住民はすでに全員避難をしたはずです」


「そんなの! 9歳の娘が隠れていても、誰もわからないだろ!!」


 あの発言と様子からして、男は父親と思われる。


 男が言うには、この階層に娘が隠れているらしい……。

 先程の陽月のあの行いを見て尚、その時の私は他人の事を考える余裕などなく、気持ちが冷めていた。


 男性が必死に訴える光景を見て、たぶん男の思い過ごしだろう。仮に真実であったとしても、こればかりはしょうがない。そんな他人行儀で最低なことしか、私は考えていなかった。


 男の目から流れる温かな涙と絶望に染まった目がしっかりと見えていたというのに……。

 

 私の最低さは、それだけでなかった。無力な自分には、どうする事もできないと、頭の中で言い訳を必死に探しまわり、私は自分の正当性を保とうとしていた。


 そんなことしか考えられない自分に失望していると、陽月が妙なことを言い出したのだ。


「女の子の声が聞こえる……。この階層から女の子の泣く声がするのが聞こえる」


 それは、火災発生から10分程経ったときだった。

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