4階のマティーニ

あたしはのん兵衛だけれど、酒精に甘いものや香料を足して飲みやすくしてあるものが好きではなかった。あれは、お酒の味じゃない。

日本酒でも、焼酎でも、ウイスキーでも、なんでも飲んだけど、そのままか水割りかお湯割りか。お酒そのものの味が好きだった。安い醸造アルコールでさえ、その薬っぽい味を楽しめた。


そんなわけで酒飲みであるにも拘わらず、あたしはカクテルの世界には無縁の人間だと思っていたのだった。

それが、田中にこのバーに連れてきてもらって、渡辺さんの作るドライマティーニを飲んでからこれにはまった。


薄いグラスから弾力のある冷たい塊を口に含むと、たちまち口中の全てが上書きされた。例えようのない爽快さにあたしは体が震えた。マティーニグラスの中の一杯は、瞬時に世界を塗り替える革命だった。


あとで田中に聞いたら、甘い酒が飲めないあたしに渡辺さんは特別ドライなマティーニを作ってくれたらしい。ジンとベルモットの配合割合で決まるそのあたりが、あたしの口にぴったり合った。オリーブが別皿で出てくる渡辺さんのドライマティーニを飲みにあたしは田中と、時には一人でここに通うようになった。


店名はやたら長くて覚えづらかったので、あたしたちはこの店を「4階のマティーニ」と呼んだ。ここは小さな雑居ビルの4階にあったのだ。


「あのな。昆布」

「なに?今、田中、かしこまった?」

「俺たち、29才だよな」

「田中とあたしの時間の進み具合が一緒ならね」

「結婚適齢期だよな」

「お」

「結婚できねえかな。俺たち」

「おいおいおい」


それは、田中よ。でもさ。


「ゴージャスちゃん、どうしたんだよ」

「昆布、お前、その呼び方。奈美ちゃんな、彼氏がいるんだと」

「取っちゃえ」

「無理言うな」


所属する国内営業部に中途採用で入ってきた事務の4つ年下の彼女に、田中は最近入れあげていた。

胸も腰も、ゴージャス。笑顔も、ゴージャス。性格はめちゃくちゃいい。国内営業部の男たちは色めきたったけど、悲しいかな、田中以外は既婚者だった。田中と言えば、あたし相手には言いたいことが言える癖にめっぽう女性には奥手らしい。多分、彼氏がいるという情報も、やっとやっとゴージャスちゃんから聞きだしたのだろう。


でも、だからってあたしに求婚?


「まあ、俺の話を聞いてくれ」

「そりゃそうだね。他人ごとではない」

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