ミドリムシ

渡辺さんという初老のバーテンダーが一人でやっている小さなバーの中は、私たちの他にはカウンターに座っている中年のサラリーマンが一組。二つある内の一つのテーブル席では常連らしい老人が、一人でボトルのウィスキーを飲んでいる。


グラスを磨いていたバーテンダーの渡辺さんが、あたしのミドリムシの話にちょっと反応したので話しかけてみた。


「ね。渡辺さん。わかる?」

「ええ。私もミドリムシ飼ったことがあるんです。メダカの稚魚の餌用にですけどね。そうですね、昆布さんみたいに少し思いました」

「じゃ。渡辺さんも有神論だ」

「はは。難しい話はわかりません」


渡辺さんが向こうのお客に呼ばれたので、私は田中に続きを話した。


「ミドリムシは、ペットボトルの中をすべての世界だと思って生きてるでしょ。その閉じた系の中で食べて別れて増えて」

「ああ。まあ、そうだな」

「でも、あたしはそこが世界の全てじゃないことを知ってる。それに、ペットボトルの中のミドリムシのコミュニティを作った大元が自分自身だってことも知ってる」

「うん。成程。昆布とミドリムシの関係は、神と人間の関係と一緒だな」

「138億年前にビッグバンが起きてさ、宇宙は今だってすごい勢いで膨張してる。いつまでたっても私たちは宇宙のヘリにたどり着けない。見ることができない」

「急に話が飛んだな」

「いいから黙って聞いて。ということはさ、宇宙の外側にいて沢山の宇宙を司ってる何らかのものの事なんてわかりっこない」

「ああ。まあ、そうだな。でも、そんなものいないかもしれない」

「いるかもしれない。てか、なんか仕掛けた人がいると思わない?そっちの方が自然」

「昆布が言うならいる気がしてきた」

「ほら、田中も有神論」

「そうなるのか?でも、ほら、そうだとしても人間一人ひとりの願いをかなえてくれるような、そんな意味での神ではないよな」

「まあ、そりゃそうだ。神はあたしらの世界の始まりを作って、あとはほっといてる。あたしがミドリムシ個々の悩みに応じられないのと同じ」

「そうだな。ミドリムシはその後、どうなった?」

「初めは増えるのが楽しみでせっせと世話してた」

「うん」

「忙しい日が続いて世話するの忘れがちになって」

「わ」

「ある日気づいたら全滅。茶色い澱がペットボトルに沈んでたよ」

「ひでえはなしだな」

「神の残酷さってそういうことじゃないのかね」

「思いもかけず内容のある話だった」

「だから、あたしにとって神って、後光の差すようなイメージじゃなくて、もっとね、ちゃらんぽらんで適当な」

「ああ」

「そういう奴のような気がするね」

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