23.いつか、別れを言わなければいけない運命だから


 ――すべての願いが叶った時、全てが終わりを告げる。


 わかっていた事なのに、正直気持ちが受け入れなかった。

 これは、この世界に来て、願いを叶えてもらって、それで終わりのはずだったのに、僕には一つだけ、やり残してしまった事が出来てしまった。

 それは、クロさんの事。

 彼は僕の事を好きだと言ってくれて、愛してると言ってくれて、僕もいつの間にかそんなクロさんの事を好きになっていたのだと思う。姉とはまた違う、何かの『依存』のような存在になっていた。

 僕の『愛』は歪んでいる。

 昔から、それは変わらない。

 誰かに『依存』していかなければ、僕にとってそれは『愛』とは言わない。

 姉の時も、僕は周りの人間を受け入れるフリをして、姉の事しか考えていなかった。

 だから姉が結婚した男に殺された時は、簡単に殺すことが出来た。

 地獄に堕とさなければ意味がなかったのだから。

 僕は善人ではないし、自分の『世界』を守るためならどんな事でもする。包丁を持って殺すことが出来るし、僕は『店長』として、『仮面』を被っているのだから。

「……」

 ジッと、僕は洗い物をする為のお皿を見つめている。

 今は客は誰も居ないので、一人だ。クロさんもまだ来ていない。

 ――怖い。

 不思議と、『終わり』を考えると、怖くてたまらない。

 終わってしまったら、僕はもう二度と、クロさんに会うことが出来なくなってしまう。

「……それなら、せめて」

 僕は今きっと、よからぬ事を考えている。

 刃物に手を伸ばし、野菜も肉も、切るものなどはない。

 強く握りしめながら、ジッと刃の先を眺めながら、静かに呟いた。

「……これで、ブスっといけるかな」

 以前、クロさんとラティさんの戦いを見た事がある。本当にファンタジーの世界なんだなと思いながら、僕の目の前で『魔法』と言うモノを見せてくれた。

 因みに僕はそんなモノ使えない。

 唯一使えるのは、この店を満月の、月の力で具現化し、店を出す事だけ。そんな僕があんな攻撃するような魔法を作れるはずがない。

 包丁でブスっとさす事なんて、絶対に出来ない。ましてやクロさんに。

「……絶対に嫌われるな、うん」

 蔑んだ目をするクロさんがちょっと想像出来ないなと思いながら、僕は包丁を閉まった後、冷蔵庫から取り出したのは大きなアイスクリーム――ブラットオレンジの味がするアイスクリームだ。

 カップを開けて、お皿に簡単に盛り付ける。

 頭を冷やすならアイスクリームだと、僕の頭はそのように結論付けたのだ。

「何より、実はちょっと気になっていたんだよね、ブラットオレンジの味のアイスクリーム」

 普通のオレンジでもよかったのだが、今回はあえてブラットオレンジにしてみたのだ。しかも、大人のアイスクリーム、と言う感じだ。

 少しだけなのだが、このアイスクリームお酒が入っている。ほんの少しなので、実は僕は昔からアルコールと言うモノが苦手でお酒を飲んだことはないのだが、少量は大丈夫だ。

 アイスクリーム用のスプーンで軽く掬って一口、下に乗せた瞬間、味が広がってくる。

 ちょっとだけ酸っぱく、オレンジの味がして美味しい。僕は思わず口を押えながら肩をあげ、堪能する。

「んー……美味しい……酸味があって、いいなぁ」

 僕は昔から、こういう系のモノが好きだ。今でも好きだと、思いたい。

 ただ、最近食べていなかったなと思いつつ、もう一口と、口の中に入れてみる。オレンジの味がしっかりしていて、美味しい。

 自分で作ったアイスクリームではないからこそ、美味しく作られているからこそ、美味しいと思えるのではないだろうかと、何度も考えてしまうが、今はそんな事どうでも良い話だ。

 僕は誰も居ない『場所』で一つ、冷たい物を食す。

 人の話し声すら聞こえない店内の中で、僕はもう一度月の神様の――ルナの事を思い出していた。

 願った願いは、一度しか叶えられない。もう、これは決められた事なのだ。

「……はぁ、ダメだなぁ、欲張りで」

 クロさんの隣に居たいなんて――そんな願いを考えてはいけないと、わかっているはずなのに、頭で否定してしまう。

 本当の願いは――。


『明典』


「……姉さん」


 笑顔で手を振っている姉の姿を思い出した僕は、思わずその言葉を口にしてしまった事で、目の前でジッと見つめているクロさんに気がつく事はなかった。

 ジッと自分の顔を見ているクロさんに気づいたのは、それから数十秒後。

 思わず持っていたスプーンを放り投げそうになってしまった。

「うぉぉおッ!?」

「面白い叫び声を出したな、店主」

「え、えっと……いらっしゃいませクロさん、いつの間に?」

「店主が『姉さん』と呼ぶ前から来ていたぞ……何か深く考えていたから声をかけづらかった」

「す、すみません……あ、いつものパンケーキ、用意しますね」

「アキノリ」

「は、い?」

 名前を呼ばれた事に一瞬驚いてしまったが、クロさんは僕に視線を向けている。

 まるで、何かを言いたげなように。

 クロさんが僕の名前を呼ぶのは珍しく、変な声で返事をしてしまった。

 しかし、クロさんは何も言わず、静かにため息を吐きながら口を開いた。

「……うん、いつものぱんけぇきを頂こう」

「はい、クロさん」

「……」

 きっと、クロさんは聞きたいのであろう――姉の事、自分の事、僕の全てを、聞きたいのに決まっている。

 本来ならば、言わなければならないはずなのだが、僕は言えなかった。


 ――せめて、それまでは。


 僕は唇を噛みしめながら、クロさんにパンケーキを用意するために、調理を開始するのだった。

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