18.どうしようもない過去を思いだしながら、カニクリームコロッケを作りました。前編


「ねぇ、明典。私ね――」


 大好きだった姉が他のモノになったと同時に、『僕』と言う存在が徐々に壊れ始めていく。

 いつか、笑顔で戻ってきてくれるのではないだろうかと、何度も思っていた。

 思っていたはずなのに、姉は、戻ってくることはなく――最終的に、僕の姉は骨となって、戻ってきた。

「……」

 心が、一本の糸で繋がっていたモノが、簡単に千切れる。


「こ、殺すつもりはなかったんだッ!ただ、俺は――」

「……うるさいよ、アンタ」

 幸せにしてくれると、思っていたはずだ。誠実そうで、優しそうな外見をしていても、誰しも心なんて嫁やしない。

 男は浮気をしていた。しかも結婚する前からの関係だったらしく、結婚して半年に男は姉に浮気がばれてしまい、逆上して殺してしまったと白状した。

 男は『自殺』と見せかけて姉を殺したのだ――信じていた姉を裏切って、男は平然としながら暮らしていて、僕はそれが許せなかった。


 僕には両親はいない。


 姉だけが僕の家族で、僕が『依存』していた『相手』で、血の繋がりのある存在だから愛してはいけないと分かっていたはずだった。

 『弟』だから、自分の気持ちなど知らなくていい。姉が幸せなら、それでいいと思った。

 けど――。


 姉は、目の前の男に簡単に殺された。


「――死んでよ、『義兄さん』。僕の為に」


 僕はその時、初めて彼の事を『義兄さん』と呼んだ。

 二度と、もうその名で呼ぶつもりはなかったから。

 握りしめたナイフで僕は、まず両足を動かないように刺し、右腕、左腕、最後は腹部を滅多刺しにして――それでも、僕は満足しなかった。

 泣き叫び、許しを請う男の姿は別にどうでもよかった。ただ、この男は殺さないといけないと、わかっていたから。

 何度も、何度も。ナンドモ。

 全てが終わった時、僕の両手は血まみれで、目の前の『何か』はもう二度と動かないと分かっていたからこそ、僕は静かに笑っていた。

「フフ、ハハ……ッハハッ!」

 ああ、やっと死んでくれたんだ――歓喜の言葉は出なかった。

 そして、僕は真っ赤に染まってしまった両手を静かに見つめていた。

「……もう、この手じゃご飯作れないよね、姉さん」

 姉はお菓子料理が得意だった。

 僕は、料理が大好きで、姉の背中を見ながらレシピ本を読んだりして、簡単に作れるように料理の勉強をした。将来は小さな定食屋や喫茶店みたいなお店が作れたらいいななんて考えたこともあった。

 けど、そんな事出来ない。

 僕の両手は、穢れてしまった。

 真っ赤に染まったその手で、料理なんて出来ない。

 それに――。

「人殺しになった僕を、姉さんが許すはずないもんね」

 ましては愛してしまった人を、僕はこの手で手にかけたのだ。

 姉は絶対に許してくれないと分かっている。僕はゆっくりと立ち上がり、ベランダに出る。

 幸い、この場所はマンションの十五階の一室である。このまま飛び越えれば地面に真っ逆さまに落ちて、死ぬことが出来るだろう。

「……痛いのは嫌だけど、まぁ、仕方ないよね。アイツを刺したナイフで死にたくないし」

 今の僕は、狂っていた。

 何かを考えている事すら、余裕を持てなくなっていたのだ。だから僕は、このまま飛び降りて、死のうと思う。

 生まれ変わる事なんてしなくてもいい。

 僕は人を殺したのだから、地獄に堕ちるに決まっている。

 姉のように天国に逝く事は絶対にない。

「思えば、僕って姉さんが居ないと、何もできなかったんだよなぁ……」

 僕は、姉に『依存』していたと言う事はわかっていた。わかっていたからこそ、僕は心底姉を愛し、姉を一人の女性として見て、傍に居て欲しいと願った。

 結婚式だって、本当なら出た方がよかったのだけど、理由をつけて出なかった。きっと、弟を演じる事が出来なかったから。

 一人になって、『孤独』を感じて、そして――大好きだった姉を殺した男に復讐した後は、どうするべき?

「さて、さよならしよう」

 姉が居ない世界なんて、興味なかったから。

 僕はベランダをそのまま飛び越え、目を閉じてコンクリートの地面に落ちる。どんな衝撃で痛みが来るのか、どんな感じで死を迎えるのは、少しだけ期待してしまった。

 地獄と言うものは、どんなものなのだろうかと想像しながら、痛みを待っていたのだが――。


「――どうせならもう少し、死ぬのを待ってみたら、どうでしょうか?」


「……は?」

 突然耳元で聞こえてきた女性の声に、僕は閉じた目を開けてみると、目の前には見知らぬ女性がジッと僕を見つめながら、立っていた。

 同時に自分が先ほどいた場所ではない、別の場所に居る。何が起きたのか全く理解が出来ず、ただ僕はその女性を見ることしか出来ない。

 見た目は外人だ。金髪の美しい髪に透き通るような空色の瞳。そして服装はゲームとかに出てくる女神のような恰好をした、女性だ。

 これは、一体何なのだろうか?

「こんばんわ、明典」

「……何、誰?」

「すみません。あなたの『死』はまだ訪れません……私はルナ、と言います」

「ルナ、さん?」

「はい」

 突然、『ルナ』と名乗った女性を僕は不思議そうに見つめながら――ルナさんは深呼吸をして、ゆっくりと答える。

「明典」

「あ、は、はい」


「……あなたの願いをかなえてほしいと言われ、私はあなたの前に現れました」


 透き通るような、美しい声で、ルナさんは僕にそのように言ったのである。


 ※


「――アーキノリ?起きてーアキノリー」

「んッ……ふぇ?」

「あ、起きましたね」

「……シオンさん」

「はい、あなたの事が大好きなシオン・フローディアです」

「……」

 夢見が悪かったのかもしれないとお客さんが全く来なかったので少しうとうとしてしまったのが悪かったのかもしれない。目の前にはキラキラと輝くイケメンが姿を見せたのである。

 クロさんのような妖艶みたいなイケメンではなく、心も体も全て清らかだと言っているシオンさんである。僕は驚くことも叫ぶ事もせず、呆然と目の前のシオンさんを見ていた。

 今日は過去の出来事を思い出させる、とても嫌な夢を見た。本来起きた出来事だったから尚更――僕は、あの時出会ったルナさんに生かされてしまった、出来事だ。

 別に後悔はしていない。僕は進んでこの『道』を選んだのだから。

 一方、笑っているシオンさんが僕の顔をジッと見つめるようにしながら立っており、思わず首を傾げてしまう。

「あの……僕の顔に何かついてますか?」

「いえ、アキノリって僕と初めて出会った時は、僕以上に穢れを知らない、ニコニコした顔でしたけど……そんな顔も出来るんですね」

「え?」


「――人を一人、殺してそうな、黒い顔、ですよ」


 耳元で囁かれた言葉に、異常に反応してしまう。

 僕の反応が面白かったのか、シオンさんの表情は、何処か腹黒い表情をしているようにも見えたのは気のせいだろうか?

 冷静を少しだけ保たなければならないと思い、軽く息を吸った後、いつものように笑顔で接する、『柊木明典ひいらぎあきのり』を演じる。

「い、嫌ですねシオンさん。僕が人を殺してそうな顔してます?」

「さっき、してましたよ」

「そんなわけないじゃないですか……僕はただ、ここで料理を作っている、ただの人間です」

「そうですか?」

「そーですよ」

「……僕は、そう思えないんですよねアキノリ?」

 不思議だ。

 本当の不思議だ。

 この人は善人なのだろうかと思ってしまうほど、シオンさんの笑いは恐ろしかった。

 もし、全てを話す事があったとしても、シオンさんには話したくない。話すならばと、咄嗟に思いついた顔に、僕は少しだけ安堵する。

 思い出したのはクロさんの顔だ。シオンさんではなく、クロさんの顔。そして同時に僕はどうしようもない気持ちになってしまった。

「おや、顔が真っ赤ですよアキノリ」

「い、いえ……なんか、恥ずかしくなってしまっただけです」

「恥ずかしい?」

「……自分はもう――」

 ――もう、好きになる人なんて、居ないと思っていたのに、と言おうとしていた。

 しかし、その言葉を呑み込むと同時に、僕は立ち上がり、近くの冷蔵庫を開ける。

「そう言えばシオンさん、今日はお食事を?」

「……ええ、コロッケが美味しくて忘れられなくて……食べさせてもらおうと来ました」

「コロッケ……では、ちょっと違うモノはどうでしょうか?」

「違うモノ?」

 僕の言葉に首を傾げながらいるシオンさんに対し、笑顔で僕が見せたのは、準備のために作っておいたものだった。

「カニクリームコロッケ、です!」

 


 

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