第146話 阿鼻叫喚とはこの事(裏)

 ◆ある衛兵◆


 深夜なのに町は昼のように明るかった。

 多くの住民が松明やランタンを片手に町に出てきているからだ。

 しかしそれは祭りや儀式なんて楽しい物じゃない。

 誰も彼もが悲鳴を上げて怒声をあげて砂馬車の港へ向かっていたんだ。


「急げ! 船に乗れ!」


 乗組員の居ない船に乗っても動くわけがない。

 だが人々はそんな事にも気付かずに船に乗り込んでゆく。


「おいアンタ等、何勝手にうちの船に入り込んでいるんだ! 降りてくれ!」


 騒ぎに遅れてやって来た船の持ち主や船員達が、無断で船に乗り込んだ人々を怒鳴りつける。

 けれどそんな当然の叱責に誰も従おうとはしなかった。


「船を出してくれ! 金なら払う!」


「無茶言うな! 夜の砂漠に単独で出るなんて自殺行為だ。活発になった魔物達に襲われて砂漠の藻屑だぞ!」


「精霊様のお言葉を聞いてないのか! オアシスが涸れたんだぞ! 早く逃げないと水が無くなっちまう!」


 そう、町の皆が切羽詰まっていたのは、それが原因だった。

 曰く、領主様がこの町のオアシスを守っていた精霊様の巫女に手を出した事で逆鱗に触れ、オアシスが涸れてしまったのだと。


 実を言えば数日前から精霊様よりオアシスが涸れるから、死にたくなければ早く町を出て行けというお言葉はあった。

 だが町の住人は中々逃げなかった。

 まだオアシスが涸れてないこと、逃げると言ってもどこに逃げれば良いのか。

 そして領主様が何とかしてくれるだろうという漠然とした期待。

 だが、その期待は最悪の形で砕かれた。


 あとはこの通りだ。

 正直を言えば俺も逃げたい。

 だけど俺は衛兵だから、今逃げ出したら仕事を放り出して逃げ出したとして仕事を首になってしまうだろう。

 命は大事だが、仕事が無くなっちまったら結局飢えて死んでしまう。


 周囲を魔物が跋扈する砂漠に囲まれたこの国じゃ、金がない人間は町から出る事も出来なくなる。

 だからどこかの町に避難するにしても、今衛兵の仕事を失う訳にはいかないんだよ。

 せめて領主様から今後どうするかの命令を貰えればいいんだが……


 そんな事を考えている間にも住民と船乗り達の口論は過熱していく。


「全部の船で同じ町を目指せば、魔物もビビッて近づいてこないだろ!」


「そんな簡単な問題じゃない。超大型の砂漠角クジラに見つかったら丸ごと飲み込まれて死んじまうんだ! 砂漠を舐めるな!」


「じゃあ数隻ごとに纏まって逃げたら……!」


「それじゃ強力な魔物の群れに襲われておしまいだ! とにかく、安全の為にも日が昇るまでは船を出せん! オアシスが涸れたという話は俺達も聞いた。だが家にある飲み水まで無くなった訳じゃないだろ!」


 そう指摘されると、皆は少しだけ冷静さを取り戻す。

 そうだ、オアシスから酌んでいた水はまだ残ってるんだから今すぐ死ぬって訳じゃないんだ。


「とにかく、船は日が昇ってから出す。あんた等だって碌に家を捨てる用意をせずに飛び出してきたんだろ。今のうちに荷物を纏めて明日の朝になってから来てくれ!」


 その結果、説得された住民達は、渋々家に戻って行った。

 実際、皆着のみ着のままだったしな。


 翌日皆が荷物を纏めて港にやってくると、そこには一台の砂馬車も残ってはいなかった。


 ◆


「ちくしょう! 金持ち連中が船長に金握らせて抜け駆けしやがった!」


 これには俺達衛兵も困惑することになった。

 何せ船の船長達とは、朝になったら町の住人を順番に乗せて近隣の町に避難させる話になっていたからだ。

 しかし夜明け前に並ぼうと思って港にやって来た住人の話だと、貴族や金持ち連中を乗せた船が夜明け直前に港を出ていく姿を見たらしい。


「おい! 夜明けまで出ないんじゃなかったのか!」


 町の連中が取り残された船着き場の受付の爺さんの胸ぐらをつかんで怒鳴る。


「こ、断れなかったんじゃよ。相手には貴族が居たんじゃ」


「だが我々衛兵隊との取り決めがあっただろう。この町で他の町の貴族が好き勝手すれば、問題になるぞ」


 と、他の隊の連中が爺さんに詰め寄る。


「そ、それが、ここで船を出さなんだら、自分達の所で商売は出来んぞと脅されたんじゃよ。領主様と問題になると言っても、オアシスが涸れたんじゃ領主様も貴族の地位を剥奪されてただの平民になっちまうから、避難した先で働きたいならいう事を聞けと言われて」


「「「っ!!」」」


 爺さんの言葉に俺達は言葉もなかった。

 確かにこの国じゃ水はなにより貴重だ。

 だから貴重な水源を失ってしまえば、貴族と言えど厳罰は避けられない。

 船乗り達ももうこの町で仕事は出来ないから、断り切れなかったって訳か。


「じゃあアンタは何で逃げなかったんだ? その場にいたなら逃げれただろうに」


 やりきれない感情をどこにぶつければ良いのか分からず、若い男が爺さんに何故一緒に逃げなかったのかと尋ねる。


「儂はこの通り金もコネもないただの爺ぃじゃからな。乗せて貰えるわけがないんじゃよ。どのみち殺到した金持ち達で甲板は埋まっておってな、船の外壁にしがみ付く事すら出来んかったがの!」


 と、何とも責め辛い事を言う爺さん。


「それに儂等はこの町に骨をうずめるつもりで入植してきたしのう。今更逃げろと言われても、何処に逃げればいいやら。この年じゃ町を出ての働き口もないしの」


 そう言われてはもう何も言えなくなってしまう。


「と、とにかく、船だって貴族達を送り届けたら戻ってくるはずだ。だから皆落ち着いて家で待機していてくれ」


 よその隊の隊長が町の連中に普段通りの生活に戻る様に促すが、この状況でそれを素直に受け入れる事の出来る奴なんていない。


「そんな事言って、このまま他の貴族の領地に逃げて戻ってこなかったらどうするんだ!」


「そうだそうだ!」


「そ、それは……そ、そう! 町の人間を見捨てたら悪評が立って他の町で仕事が出来なくなる! それにこれだけ避難が必要な住民がいるんだ。商売に敏感な連中なら、全員から金を搾り取る為に戻って来る筈さ!」


 確かに、他の町から事情を知らない砂馬車がやってくる可能性は高い。

 そこで連中が俺達を見捨てたと知れたら、そんな連中の船に乗ったらどんな目に遭うか分からないと敬遠するようになるだろう。


 心情的に納得は出来ないものの、理解は出来た連中が家に戻ってゆく。

 一部の連中は未だ納得できずごねているが、どのみちここでごねても無意味だ。

 そしてさらに残った連中は、ここで他の町から砂馬車が来るのを待つ構えのようだった。


 だが、いくら待っても砂馬車はやってこなかった。

 それもその筈。この町はここ数日、賊を逃さない為と港を封鎖していたからだ。

 あの件が糸を引いて、近隣の町では事件が解決したという情報が出回るまで、この町を迂回するルートが取られるようになっていたんだ。


 結果、この町に砂馬車がやってくることはなく、俺達は完全に水の涸れたオアシスに閉じ込められる事になってしまった。


「参ったな。マジで砂馬車が一台も来やしねぇ」


「このままだと俺達死んじまうぞ。こうなったら歩いて砂漠を渡るしかねぇ!」


「馬鹿野郎! そんなことしたら魔物に喰われちまうぞ!」


「でもよぉ、このままだとマジでどうしようもないんだぜ」


「それは……」


 町は限界に近付きつつあった。逃げる道を失った住民達は、万が一の可能性に賭けて歩いて砂漠を横断するか否かを真剣に検討し始めたからだ。

 逆に不幸中の幸いだったのは、町に滞在していた冒険者の中に、水属性の魔法に長けた魔法使いが居た事だった。

 彼等のお陰で俺達はギリギリで水を得る事が出来ていた。

 対価として法外な水代を請求されてしまったが、魔法使い達の消耗も大きかった為皆文句は言えなかった。


 そんな事情もあって、水が無くなるか、蓄えが無くなるかの瀬戸際に追い込まれた人間が鬱憤のはけ口を求めたのも仕方のない事だった。


「こんなことになったのも領主の所為だ!」


 誰かがそんな事を叫ぶと、皆のやり場のない感情は次々に領主へ集まってゆく。


「そうだ! 領主だ! 全部アイツの所為だ!」


「領主に何とかさせろ!」


「領主を引きずりだせ!」


 町の住人達は口々に領主に責任を取らせろと叫ぶと、領主の館へと駆け出した。

 正直に言えば、流石にこの状況じゃ領主様でもどうにもならないだろうと思った。

 だがそれを口にするほど馬鹿じゃない。


 そんな事を言えば、領主様に仕える衛兵である俺達にとばっちりが来るのは目に見えていたからだ。

 だから俺達は、当事者でありながらも完全には町の住民達と同じ立場に立てず一歩引いた気持ちでこの光景を見つめていたんだ。

 逃げ場のないこの状況で領主様を裏切らず、同時に町の住民を刺激しないように俺達は息を潜めて状況を見守るべく彼等の後をついてゆく。


「これより先は領主様の館だ!勝手に入れば重罪だぞ!」


「帰れ帰れ平民共! 貴族相手に無礼を働けば奴隷落ちか死罪だぞ!」


 屋敷の門を守っていた衛兵達は迫りくる暴徒達相手に毅然として立ちはだかる。

 彼等は鬼気迫った様子の住民を前にして、明らかに見下すような態度で追い返そうとする。


「アイツ等、領主様の直属の部隊だな」


 と、うわさ話に詳しい同僚が呟く。


「知ってるのか?」


「ああ、お前は最近入ったばかりだから知らんのも無理はない。領主様の館で働いているのは領主様がここの領主になる前から仕えていた連中なんだよ。だから町の住民から衛兵になった奴らと比べてやたらと偉そうに振舞うんだ」


 ああ、直属の部下の……確か陪臣って奴だっけ。

 しかし凄いな。この状況であんな態度を取るなんて、流石直属の部下だけあって忠誠心は大したも……


「うるせぇ! どうせこの町はもうダメなんだ! 今さら領主もクソもあるかよ!」


「さっさと入れないと酷い目に遭うよ!」


「「うわぁぁぁぁぁ~っ!!」」


 あっ、駄目だった。

 うん、まぁそうだよな。切羽詰まってる上に、数を集めてやって来た暴徒相手に貴族の権力が通じる訳無いよな。


「門を開けろー!」


 衛兵達を力ずくで押しのけた、というか踏み潰した住民達は、屋敷の門をドンドンと叩く。

 けれど流石に領主様の館の門。町の住民が殺到した程度で開けれるほど薄っぺらくはなかった。


「いい加減にしろ平民共! 領主様に逆らうものは見せしめだ!」


 その時だった。館を囲う壁の上から、見慣れぬ衛兵達が姿を見せると、上空から矢や魔法で攻撃してきやがったんだ。


「って、マジかよ!?」


 幾ら暴徒でも町の人間だぞ!?


「うわぁーっ!」


「ひぃー、逃げろぉー!」


 衛兵達の実力行使を受け、町の人達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。

 流石に命の危険にさらされたら誰でも逃げ出すよな。


「おいお前達!」


 と、壁の上から見知らぬ衛兵達が俺達に怒鳴ってくる。


「その目障りな平民共の死体を捨ててこい!」


「捨てろってアンタ、この人達は町の住人だぞ!?」


 流石に横暴にも程があると感じた俺は憤りを隠すことなく文句を返す。


「うるさい平民上がりめ! お前達下級衛兵は俺達の命令を聞いていればいいんだよ!」


 その暴言と同時に、上空から弓矢が俺達をかすめる様に飛んでくる。

 下級衛兵だって!? 何言ってやがんだ。衛兵には上司部下はあっても、上級も下級もねぇっての!


「待て、それよりもこの人達の手当てが先だ!」


 言い返そうとした俺を、同僚が小声で止める。


「生きてるのか!?」


「まだ助かる! 医者か僧侶の所に連れて行くぞ!」


「わ、わかった!」


 あんな連中よりも町の住民の方が遥かに大事だ。

 俺達は町の人達を助けるべく運んで行き、連中の目が届かない場所までくると、遠巻きにしていた人達に叫ぶ。


「この人達を医者か僧侶の所に連れて行ってくれ! 俺達は他の怪我人を連れてくるから!」


「……」


 しかし町の住人は俺達に敵意の視線を隠しもせず、また動こうとする奴はいなかった。

 くそ、俺達もあいつ等と同じって思われてるのか。


「俺達はこの町で生まれた人間だ! アイツ等領主の犬とは違う!」


「っ! そ、そうだ! 俺達は同じ町の人間だ! だから手伝ってくれ!」


 同僚の言葉に慌てて俺も追従すると、町の皆の気配に戸惑いが生まれる。


「俺、そいつ等が壁の上にいた衛兵達から矢を撃たれたのを見たよ」


「ああ、なんていうか、上にいた奴等、同じ衛兵なのにスゲー見下してるみたいだった」


 あの光景を見ていたらしい住民の証言を受け、皆の視線はだいぶ柔らかくなった。


「分かった。俺達がこの人達を教会まで運ぶ。あんた等は屋敷の傍で倒れている人達を運んできてくれ」


「分かった! そっちも頼む!」


 こうして俺達は町の皆と協力して、怪我人の救助を行う事になった。

 そして同時に、俺達は領主様、いや領主と完全に袂を分かつ決意も固める。

 もうここまで来たら、あの男に義理立てする意味なんてありゃあしないからな。


「コイツで最後だ!」


 最後の一人を運んできた俺達がそのまま教会まで運ぼうとすると、老人達が立ちはだかる。


「その人達は儂等が運ぶ。あんた等は領主の館を攻める方に回ってくれ。戦う為の訓練は受けたんだろ?」


「分かった。その人達は任せるよ爺さん達」


 近くにいた男に案内されて領主の館への攻撃隊が集まってる場所に行くと、そこには何本もの大きな柱が地面に並べられていた。


「港の建物の一部を解体して用意した柱だ。これを使って門に突っ込んで破壊する」


 成程、攻城槌代わりに使う訳だな。


「突撃する連中を守る為に、弓や魔法を撃って来る奴には石を投げて応戦してくれ」


「「「おうっ!!」」」


 俺達は柱を抱えて屋敷に突っ込んでいく。


「射て! 射て!」


 壁の上から魔法や矢が放たれる。


「うわっ!」


「ぐぁっ!」


 矢を受けた連中が悲鳴を上げて脱落してゆく。

 けれど無事だった連中がそいつ等の分まで勢いをつけて門に柱を叩きつける。

 ズドン、ズドンという音をたてて門が軋む。

 駄目だまだ足りない。もっと叩きつけないと。


「殺せ殺せ! 領主様に逆らう連中は皆殺しだ!」


 再び壁の上の連中が矢をつがえる。


「投げろ投げろ! 下の連中の邪魔をさせるな!」


「ぐあっ!」


 けれど連中の矢は後ろから石を投げてくれた住民達によって阻止され、矢は明後日の方向に飛んで行く。 


「今だ!」


 門から距離を取った俺達は今度こそと勢いをつけて門に柱を叩きつける。

 すると門はバキバキという音をたてて遂に倒れた。


「よし、中に突っ込め! 領主を捕まえろ!」


 こうなったらもう連中も屋敷を守る事は出来なかった。町中の人間が門へと殺到し、館の中へと入り込んでゆく。

 中の衛兵達は彼等を追い出そうとするが、住民達が持ち込んだ棒や角材、箒に鍋、空の木箱、その他諸々を投げつけられ、叩きつけられては堪らない。

 弓兵も魔法使いも距離を詰められたらどうにもならない。


「このやろう! よくもやってくれたなぁー!」


「ひえぇー!」


 こうして館を守っていた領主直属の衛兵達は、圧倒的な人の波に押しつぶされていった。


「領主を探せー!」


 障害を無くした俺達は領主を捕らえるべく屋敷の中を探して回る。

 だが、屋敷のどこにも領主の姿は無かったのだった……

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