第97話 雪を舐めてはいけません

「さ、寒い……」


 一面の銀世界に私達はいた。

 周囲は夜なのに白い。

 凄まじい轟風と共に白い塊がぶつかって来る。

 吹雪だ。

 その白い塊と風によって、私の体から体温が凄い勢いで失われていくのが分かる。


「寝るニャー! 寝ると死ぬのニャー!!」


 ニャットが何かを叫ぶけど、吹雪にかき消されてよく聞こえない。

 ああ、寒い。

 一体何でこんな事になったんだろう……


 ◆


「北行きの客はここで降りてくれ」


 夜の道を猛烈な速度で移動していた跳び馬車が止まると、御者席からそんな声が聞こえて来た。


「ニャー達はここで降りるのニャ」


「う、うん」


「おや、ここでお別れですか」


 私達がフラつきながら席を立つと、同じ馬車に乗っていた小人族の商人が声をかけてくる。


「酔い止め、お世話になりました」


 正直あの酔い止めは凄く助かった。

 アレが無かったら今頃馬車の中は大惨事だっただろう。スプラッシュ的な意味で。


「はははっ、お気になさらず。商売ですから。縁があったらまたお会いしましょう。次にお会いする時も良い商品を用意しておきますよ」


「楽しみにしておきます」


 短い別れを終えて、私達が馬車を降りると、跳び馬車は初めて見た時と同じように物凄い勢いで去って行ったのだった。

まいどありーという、なんともぶっきらぼうな言葉と共に。


「はー、地面がグラグラする~」


 ここに来るまでも何度か馬車を降りて休憩していたけど、やっぱりこの感覚は消えないなぁ。


「さて、それじゃあ急ぐのニャ」


「え? でももうだいぶ遠くまで早く来たと思うよ」


「目端の利く連中ならニャー達が跳び馬車に乗った可能性を考えるのニャ。だから夜のうちに進むのニャ」


 さっさと乗れとばかりにニャットが体を伏せてきたので、私はふらつく体をその背中に乗せてしがみ付く。

 気分はコアラの赤ちゃんんである。


「では行くのニャー!!」


「おぉぉぉぉぉぉっ!!」


 久しぶりのニャットの背中は、少し寒かった。

 きっと北の地が近いからだろう。

 代わりにニャットの毛皮は温かいので、背中だけが寒い感じかな。


「でも、風を感じるから、馬車の中よりは気分が良いかも」


 馬車の中は何人もの人で埋まった密室だったからなぁ。それに比べると開放感が段違いだよ。


「はー、空気が美味しい」


 だってほら、馬車が止まる旅に草むらとかで大惨事が起きていたからね。

 一応皆口をゆすいでいたけど、その後にあの特製酔い止めを飲んでいたからなぁ……

 なので久しぶりに風を感じるニャットの上はとても気分が良かった。

 冷えた空気も今の酔った体にはとてもが心地よい。


「いけいけニャットー!」


「ニャーハッハッハッ!! やっぱり自分の足で走るのが一番だニャー!!」


 ◆


「あれがアカンかったかぁ……」


 跳び馬車を降りた後の事を思い出した私は、何故こんな事になったのかを改めて理解した。

 あの後、外を走る爽快感で悪乗りした私達はかっ飛ばした。

 ニャットも気分良く走っていた事と、最初にたどり着いた町の門がまだ朝早すぎて開いていなかった事もあって、私達はこの町で休憩する事を止めて次の町に行くことにした。


 そして次の町に行く途中で軽く朝ご飯を食べ、お腹が膨らんだら次の町へ向かって進む。

 けれど、次の町は入るまでの行列が長く、更に原因として何らかのトラブルが起きていたみたいでいつ列が進むか分からなかったので、この町も無視して進むことにしたのだ。


 幸い、ニャットが走るついでに遭遇した魔物を退治していたので、食料に困る事はなかった。

 で、同じような事を繰り返していた私は、ある重要な準備を忘れていたのである。

 それはズバリ、北の大地への備えであった。

 つまり、防寒着を、買い忘れた、のです……


「寒いよぉ……」


 そんな訳で絶賛遭難中です。

 気付いたのはご飯を食べようとニャットが止まった時。

 周囲を見ると、チラチラと雪が降ってきていたのと、地面が真っ白な雪に包まれていたからだ。

 今までは寒いなぁと思いながらも、体の半分はニャットの毛に覆われていたので、背中の寒さは風の寒さかと思い込んでいたんだよね。


そして雪の勢いはあっという間に増していき、気が付けば吹雪になった訳です。

悪い事は続くもの。地面が雪に覆われているから、道が分からない!!

 周囲に旅人の姿は無し!!


「もしかして完全に迷った!?」


「馬車の轍も見えないから、道が分からんのニャー」


 うおお、寒い、めっちゃ寒い!!

 来た道を戻ろうにも、既にニャットの足跡は消えていて、来た方向が分からない。

 最悪途中で道が逸れて戻るどころか明後日の方向に行ってしまう可能性もある。


「とにかく進むニャ!!」


 そんな訳で再び進んだ私達だったけど、やっぱり町は見えなかった。


「あうう……さ、寒いよぉ……」


「こうなったら迂闊に動かずにここでビバークするのニャ」


 そう言うや否や、ニャットはポーンポーンと跳ねて地面を踏み固めると、猛烈な勢いで地面を斜めに掘り進んでいった。


「この中に入るのニャ!!」


 ニャットに掘った穴に入ると、ほんのりと暖かかった。


「ああ、かまくらの要領かぁ」


「これニャら風が無い分外よりはマシなのニャ」


 確かに。でも暖房が無いからやっぱり寒いよぉ。


「何か食べるのニャ。食べる事で体が温かくなるのニャ」


 ええと、カロリーを燃料に体温を上げるんだっけ?

 なんかの漫画で読んだ気がするよ。

 私は魔法の袋から食べ物を取りだすと、それをナイフで一口大に切ろうとしてある事に気付いた。


「うわっ、寒さで硬くなってる」


 どうしよう、無理に切ろうとしたら怪我しちゃうかも……


「マジックアイテムを使うのニャ! 火を出す奴があった筈ニャ!」


「あっ、そうか!」


 私はアルセルさんに納品して貰った種火を出す杖と水を出す短剣を取りだす。


「それでお湯を沸かすのニャ。魔力を消費するから、一気に使うニャよ」


「うん」


ニャットが雪の地面に鍋を乗せる為の四つの短い脚を作ってくれたので、その上に水が少量入った鍋を置くと、脚の隙間から杖を差し込んで火を産み出す。

薪があればよかったんだけど、生憎周囲に木は見当たらず、直接杖の火で鍋を熱する。

そして体から魔力が抜けて行く感覚が強くなってきたところでようやく中の水がふつふつと泡を出してきたので、私は日を止めてカップにぬるま湯をそそぐ。


まずは一口。


「ほわぁ、暖かい」


 体の芯から温まる気分だよ。

 アルセルさん、ありがとう!!

 次いでカチコチになった食べ物をぬるま湯に突っ込んで柔らかくすると、モフモフと食べる。

 そして再びぬるま湯を飲む。

 冷えた食べ物を浸したから、ぬるま湯もだいぶ温くなっちゃったな。


「ふぅ」


 多少なりとも体が温まった事で、人心地がつく。


「吹雪が止むまでここで待つのニャ」


 けれど、吹雪はなかなか止まなかった。

 食料に余裕はあったのだけれど、問題は暖房が圧倒的に足りない事だった。

 種火の杖は小さな火しか作れないから、薪が無いこの状況じゃ魔力があっという間に尽きてしまう。


「これは覚悟を決めて行くしかないのニャ」


だから、私達は一か八か外へと飛び出した。


「ガチガチガチガチッ」


 さ、寒い……町は見当たらない……


「寝るニャー! 寝ると死ぬのニャー!」


 何度目かのニャットの声が、どんどん遠くなっていく。

 ああ、今度こそ女神様の下に行くのかぁ……

 来世は温かい土地に生まれたいなぁ……


 ◆


「……」


 目が覚めると、暗い天井が見えた。


「……?」


 暖かい。天国? それにしては薄暗いからもしかして地獄?

 あの世には罪人を窯茹でにしたり、炎の中に放り込んで罰を与えるって何かの番組で見たような気が……


 ……朦朧としつつも、頭を動かして周囲を確認する。

 すると、部屋の隅に海外ドラマや映画に出てくるような薪を燃やす暖炉を発見した。

 暖炉の中ではパチパチと薪が燃えていて、アレのお陰で暖かいのかとぼんやりとした頭で察する。


「目が覚めたか?」


 その声に振り返れば、少し離れた位置にあるテーブルの椅子に誰かが座っていた。


「……えっと」


 部屋の中は薄暗く、その人の顔が良く見えない。


「スープだ、飲めるか?」


 その人はテーブルの上に置かれた鍋の中身を深皿によそうと、私のもとへと運んできてくれた。

 どうやら良い人に助けられたっぽい。


「ありがとう……ございます」


 そこで初めて私は、暖炉に照らされた声の主の姿を確認する事になる。


「うわっ、すっごいデッカイお爺ちゃん」


 その人は、女神様ではなく、とても逞しい体をしたお爺ちゃんだった。

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