第96話 跳び馬車
森を抜けて北へ向かう街道にやってきた私達は、一路北の都へ……向かっていなかった。
「ねぇ、ニャット、何時までここにいるの?」
何故かニャットは道端に座り込むと、暫くここにいると言い出したのだ。
「もうちょっと待つのニャ」
ニャットはベッタリと地面に寝転がって、動く気配がない。
一体どうしたんだろう? 早く遠くに逃げないといけない筈なのに。
「そろそろ来るはずニャ」
来る? 何が?
「来たニャ!!」
その時だった。突然ニャットが耳を立てて何かが来たと声を上げる。
「来たって何が……ええっ!?」
一体何が来たのか? そう思った私が周囲を見回すと、街道の向こうから何か赤いものが近づいてくるのが見えた。
「え? 何アレ?」
「跳び馬車だニャ」
「跳び馬車?」
その小さな光はどんどん近づいてくる。
「深夜に走る訳アリの馬車だニャ」
あれが馬車? なんか凄い勢いで近づいてくるんだけど?
それにあの小さな光だけで松明やランタンの光も見えない。
「カコ、フードを被るって顔を隠すのニャ」
「う、うん」
私はニャットに言われてフードを被ると、更にマフラーを渡されて口元も隠すように言われた。
そして私が顔を隠すと同じようにマントとフードで姿を隠したニャットは、首かざりの赤い宝石を外してクルクルと回す。
何やってるんだろう? と首を傾げていたら、猛烈な勢いで近づいて来ていた赤い光がキキィー! という音と共に私達の前で止まった。
同時に、ブォッという感じで強い風が私の顔を撫でる。
「これが跳び馬車?」
私達の前で止まったのは、本に出てくるような馬が引っ張る馬車ではなく、なんか馬っぽい大きな生き物の背中に四角い箱をくくりつけたような形をしていた。
うわっ、この生き物足が6本あるよ。どうやって走るんだろう?
「……運賃は町一つで銀貨20枚だよ。路線は北寄りの西行きだ」
「高っ!?」
跳び馬車の首の根元にしがみ付くように乗っていた御者が居たことに驚く私だったけど、それ以上に馬車のお値段にも驚いた。
鳥馬車もお高い値段だったけど、跳び馬車も高い! 町一つで銀貨20枚はなかなかのお値段だ。
「北都の分かれ道まで頼むのニャ」
けれどニャットは躊躇うことなく頼む。
「二人で銀貨200枚だ」
「金貨で払うのニャ」
金貨を二枚取りだしたニャットが御者に投げてよこすと、御者は金貨を確認する。
「まいど。さっさと乗ってくんな」
お金の確認が終わると、御者は跳び馬車を座らせておりてくる。
そして側面のドアを開けると、横の取っ手を握って足元の窪みに足をひっかけならがら乗り込めと教えてくれた。
ああ、ちょっと大きめのトラックに乗る感じだね。
「喋ると舌噛むから気をつけな嬢ちゃん」
意外と親切に教えてくれる御者さんだね。
馬車の中に入ると、固定された背もたれの低い長椅子が、前を向いて数個並んでいた。
ちょうど映画館の席みたいな感じかな。
「出発するぜ」
私達が席に座ると、馬車の前にわずかに開いた穴から、御者さんの声が聞こえてくる。
と思った瞬間、猛烈な勢いで体が後ろに引っ張られた。
「うわっ⁉」
そのまま背もたれを飛び越えて後ろに吹っ飛びそうになった私を、ニャットの尻尾がモフンと受け止めてくれる。
「あ、ありが……」
「喋るとした噛むから黙ってるのニャ」
「むぐっ」
お礼を言おうとした私だったけど、直後のガッタンガッタンとくる激しい揺れを受けて、ニャットの言う通り口を閉じるのだった。
◆
「馬の休憩だ。今のうちに小便とゲロを済ませちまいな」
御者さんの言葉と共にドアが開け放たれると、馬車の中から蜘蛛の子を散らすように乗客が飛び出してゆく。
飛び出していくと言う割にはあまりにもフラフラとした有様だったけど。
そして辺りは大合唱と共に大惨事になった。
「お、おおお……」
周りの例に漏れず、私も大合唱の一員となって近くの木によりかかる。
「大丈夫かニャ?」
全然大丈夫じゃないです。
揺れる頭をふらつかせながら、魔法の袋に手を突っ込むと、南都で買った酔い止めを取りだして一気に飲み干す。
こ、これで暫くしたら治る筈……
「な、何であんなに揺れるのぉ……」
正直もうちょっと乗り心地を追求して欲しい。
サスペンションとかないのあの馬車? いやないか。タイヤそのものが無いし。
「跳び馬車は訳アリの連中が逃げる為に乗る馬車なのニャ」
「……逃げる為?」
寧ろあの馬車から逃げるが正解なのでは?
「厳密には逃げる為に乗る人が多い、だね」
突然見知らぬ声が会話に加わって来た事で、私は驚いて振り向いた。
実際には酔いと揺れの影響でのっそりとだけど。
「やぁ、大丈夫かい?」
そこにいたのは、私と同じようにローブとフードで顔を隠した女の子だった。
女の子と分かったのはその子の声と背丈が理由だ。
「全然大丈夫じゃないです……」
「だろうね。私も初めて跳び馬車に乗った時は盛大に吐いたもんだ」
その子はハハハッとなんでもないように笑い声をあげる。
マジかよ、全然平気そうじゃん。慣れたらアレに乗っても吐かなくなるの? いや絶対無理だ。
「跳び馬車は速さが売りで何でもいいから急いでる連中が乗る馬車だったんだけど、あの乗り心地だ。今じゃ早く遠くに逃げたい連中ばかりが乗るようになってね、すっかり訳アリ御用達馬車って訳さ」
まぁそうだろうね。普通の人はよほどの理由でもない限り、頼まれたって乗らないだろうから。
「ふん、最近の客が軟弱なだけだ」
そんな私達の会話に不機嫌そうな言葉を漏らしたのは、御者さんだった。
そういえばこの人に至っては椅子にすら座らずに馬? の首に掴まってたんだよなぁ……
「はははっ、アンタ等にしたらそうだろうね」
けれど女の子は御者さんの不機嫌そうな言葉に臆することなく笑って流す。
「彼等跳び馬車の御者達はどいつもこいつも暴れ馬が大好きな変わり者なのさ。それを活かしてとにかく早い馬車を走らせるようになったんだからありがたいっちゃありがたいんだがね」
それは変わり者が過ぎませんかね? どこの傾奇者かな?
「馬車が走り出したらまた地獄だから、今のうちに安静にして休んでおくと良い」
そう言うと、女の子は軽やかにその場を去って行った。
「これならニャットに乗った方がよっぽど乗り心地が天国だよぉ」
固定具無しのジェットコースターと嵐で転覆寸前の船、どっちが良いかレベルだけど……
寧ろなんでニャットは高いお金を出して跳び馬車に乗った訳?
「フフン、そうニャろそうニャろ。けどそれだと誰かに姿を見られる危険が高いのニャ」
ああそっか。ニャットに乗ってる姿を見られる可能性があるからかぁ……究極の選択だぁ……
「その点跳び馬車なら、良くも悪くも訳アリが多いから、万が一顔を見られてもお互いの情報が洩れる事を恐れて情報を秘匿してくれるのニャ」
「ああ、だから皆顔を隠してるんだね」
成程、皆後ろめたい立場だから、うっかり自分の事がバレないように内緒にしてくれるんだね。
「そうニャ。とはいえ、ほぼ全員訳アリ連中だからニャ、なるべく顔は隠しておくに越したことがないのニャ」
逆に自分の情報は上手く隠して、情報だけ売る人もいるから気をつけろとニャットに注意された。
「そろそろ馬車が出るぞー。出発までに戻らないと置いていくからなー」
「うう、またアレに乗るのか……」
正直言って、さっき飲んだ酔い止めの効果はさっぱりだった。
おかしい、もしかして不良品だったのかな?
全員が陰鬱な表情で、けれど背に腹は代えられないと馬車に向かってゾンビのように進む。
「酔い止め~、酔い止めはいかがですか~、特別効く協力酔い止めはいかがですか~」
そんな中で、さっきの女の子が怪しげなお茶のような物を持って呼び込みを行っていた。
「さっきの子だ……」
「アレが商魂逞しい商人ってヤツニャ。おニャーも見習うのニャ。おーい、一つくれニャ」
「まいど~、金貨一枚ね~」
「うわたっか!?」
跳び馬車の運賃もびっくりの価格に思わず目ん玉が飛び出そうになる。
「その分そこらの酔い止めなんかよりも良く効くよ。効果は跳び馬車に乗って確かめておくれ。おっと、効果には個人差があるから、効かなかったといって返金はしないよ。それでも良い奴だけが買っておくれ」
「くっ、背に腹は代えられん! 買った」
「お、俺も!」
「わ、私も!」
皆が一縷の希望を抱いて、財布からなけなしのお金を支払っていく。
「ほれ、おニャーもさっさと飲むのニャ」
ニャットに渡された酔い止めはいかにも怪しげな緑色をしている。
うん、とてももう一杯飲みたいとは思えない程のドロドロっぷりだ。
「ええい、女は度胸!!」
覚悟を決めて酔い止めを一気の飲むと、なんとも言えないヌルン、ズルンと言ったのど越し。
なんだろう、まるでスライムを飲んでいるような気分……
寧ろこれを飲んだことで逆に気分が悪くなるんじゃ……
◆
「うぉぉ……世界が揺れる……」
それからいくつかの町を越え、二度目の休憩に跳び馬車が止まる。
「で、でも吐き気はしない。酔い止め凄い……」
船から降りた時のようにグラグラと揺れる感覚はあるものの、最初のような気持ち悪さはない事に驚かされる。
「ははははっ、ちゃんと効いてよかったね」
「ありがとうございます。お陰で助かりました」
朗らかに笑う女の子が、さっきの休憩の時に買わなかった人達に酔い止めを売りながら話しかけてきた。
降りたばかりでもう商売を始めてるあたり、ホント凄いなこの子。
「入用の品があるならいつでも言っておくれ」
「貴方は商人……なんですか?」
まぁ酔い止めを売ってるくらいだから、そうなんだろうなと思いつつ、退屈を紛らわせるために話題を振る。
「ああ、旅の商人さ」
「へぇ、私も……」
「おニャーは小人族ニャ?」
商人なんです、と言おうとしたところで、ニャットが私の言葉を遮って会話に加わって来た。
「おや、お分かりかい?」
「おニャーの背丈と子供みたいな声の感じ、誰が見ても小人族だニャ」
小人族? この子が?
でも言われてみれば小さな女の子が一人で商売をしながら旅をするよりは納得が出来るかも……
「……小人族に何か御用でも?」
女の子の声に違和感が走る。
僅かに硬くなったような、警戒……緊張、してる……?
「売って欲しいものがあるのニャ」
「何をご用命で?」
けれどニャットの言葉にパッと明るい声になって応対する女の子、いや小人族の商人。
凄い、この切り替えの早さ、これが本物の商人って奴なのか……!?
「小人族の女の服が欲しいのニャ」
「小人族の服? 何で?」
何で服?
「そちらのお嬢さんに着せる為ですか?」
「そうニャ」
「え? 私?」
まさかの私用と言われてビックリだ。
何で私が小人族の服を!?
「成る程、小人族の服を着ているのなら、不審な子供の一人旅とは思われない、そういう事ですね」
あっ、そういう事ですね……って子供じゃないし!!
「余計な詮索は無用ニャ、モノはあるのニャ?」
私の憤りを無視して、二人は商談を続ける。
「ええ、ありますとも。と言っても用意できるのは私の着替えですので、サイズも柄も選べませんよ?」
「構わないのニャ。どうせ大した差じゃないのニャ」
「大した差じゃあるのニャ」
異議あり! どうみても子供サイズのこの人の服じゃ小さいと思います!!
「ニャが甘いのニャ。いくらニャ?」
けれどニャットは私の意義をあっさり却下して会話を進める。
「金貨1枚です。貴重な小人族の着替えですので」
はぁーっ!? 金貨一枚!? 流石にそれは高すぎじゃないですかー!?
「半額にまけるのニャ。どうせ町に着いたらその金で新しい服を買うニャ?」
そして間髪入れずに半額に値切るニャット。強い。
「はははっ、それでは商売が成り立ちませんよ銀貨90枚」
「おニャーの服に銀貨50枚でも多いくらいニャ。古着と考えれば銀貨3枚が精々ニャ。銀貨40枚」
価格を刻みながら値切り交渉を進める二人。
「減ってるじゃないですか! 状況が状況ですよ? そんな中でご用命の品をご用意するのですから、相応の対価を頂かないと銀貨70枚」
「銀貨60枚ニャ」
「銀貨65枚!」
二人の競り合いは更にヒートアップしてゆく。
「銀貨63枚ニャ」
「売った!」
そして遂に銀貨63枚で取引は締結されたのだった。
「毎度ありー」
「まったく、高い買い物だったニャ。ほれ、さっさと着替えるのニャ」
服を受け取ったニャットが私に差し出してくる。
「えっと、洗ってからの方がよくない?」
流石に買ったばかりの古着を洗わずに着るのは抵抗が……
「ご安心を、ちゃんと洗ってありますから。流石に未洗いの品だったら5倍の額を要求しますよ」
いやそれは逆では?
ま、まぁ確かに汗臭くはないし、ちゃんと洗ってあるっぽい。
私は物陰に隠れると、急いで服を着替える。
「えっと、どうかな?」
着替え終わった私だったけれど、鏡が無いからちゃんと似合ってるか分からないんだよね。
「問題ニャいニャ」
それは感想じゃねーよ。
「お似合いですお嬢様、完璧な我等の同胞ですよ!」
それは誉め言葉なのか? 何かこう、物申したい気分なんですけど!?
「ふふ、なかなか珍しいお取引をさせて頂きましたよ。まさか同胞に化けた人族の子供のフリをする同胞に出会えるとは……」
「え?」
「ニャ?」
突然どういう事!?
何で設定が一周回って戻ってきてる訳!?
困惑する私達だったけれど、小人族の商人はちゃんと分かっていますよと言わんばかりに手をパタパタと振る。
「はははっ、中々面白い変装の仕方ですが、一つ欠点があります」
「ええと、それは一体……?」
一体どんな欠点なのさ。
「人族の子供にしては半端に対応が利発すぎます。もっと道理や状況を理解しない子供っぽさを出さないと」
「は、はぁ……」
「はははっ、同胞のよしみです、気付かなかったことにしておきましょう」
「…………はぁ?」
なんだか分からないアドバイスを残して、小人族の商人は酔い止めの販売に戻っていく。
ええと、つまり私は賢過ぎるって事かな……?
「……どうやら、おニャーの絶妙な子供っぽさと小賢しさがお仲間認定されたみたいニャ」
「って小賢しいってどういう意味だぁーっ!!」
しかもなんか本物にお仲間認定されてるんですけどぉぉぉぉぉぉーっ!?
ちょ、ちょっと待て! それってつまり、私が小人族も認めるミニマムサイズって事かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!! いや服のサイズは不本意にもピッタリだったけどさ。
「納得いかぁーんっ!!」
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