高慢か偏見かもしくはその辺り#2

「渇望が」

「その上でだ」裕征は幸樹に説明する。「自我形成過程に本心を打ち明け、頼れる人を持ちえていなかったから、子羊たちは正しい頼り方を学習していない」

「頼れる人を妄信してしまうのか」

「ああ。実在しない万物の専門家を、頼れる個人の中に幻視してしまう」


「過大評価するとどうなる?」

「距離感を掴めず、言動認識に好意で補正がかかり、情報の取捨選択が疎かになる」

「理解者への信仰か。悍ましく無責任な思考放棄だ」

「放棄はしていない。考えてはいるさ」

「なら」幸樹は両手を強く握りしめ、静かに怒った。


「落ち着いて聞け」裕征は幸樹を宥める。「興奮は人を盲目にさせる」

 裕征と幸樹は無言で見つめ合った。

 裕征は幸樹から興奮が消えた頃合いを見計らって、再び口を開く。

「扇動者は先回りして結論に至るレールを敷き詰め、情報の断片を逆算して伝える。考察の結果、意図的に偏らせた解答が生じるよう仕向けて」


「周りくどい手間だな」

「当人たちにはそうでない。扇動された者たちはパズルピースを組み合わせた思考の末、最初から自分で考えたつもりになって、事前準備されたレールの上に収束する」

「体験提供か。敢えて論理構築段階を踏ませ、聞き手の体感信憑性を向上させる」


「とんだアトラクションだ」裕征は鼻で笑う。「漏れなく同志も同じ答えに帰着するぞ、めでたく感動を分かち合おう。苦労して考えた甲斐があったものだ、団体の結束は強まり、扇動者への信仰は力を増す」

「同等の手法で『自分たちで考えた結果、リーダーは信頼に値する人物だった』と思わせれば、扇動者の極端な思想も疑いなしに信じ込ませる土壌が作れる訳だ」


「普段はな」

「動くべき機会が訪れれば、有無を言わせぬ勢いで考察過程を省いて扇動し、扇動者自身の思想運動に同調するよう企てた」

「常日頃から信頼に足る人物と認識させておき、いざ行動機会が到来した際には、信奉者から自我の指揮権を簒奪するのだ」


「物事には例外が生じるがな」幸樹は自嘲した。「目が覚めた気分だよ」

「理解したか」裕征は満足げな顔をする。

「どうも」

「前置きが長くなった。本題に移ろう」

「裕征さんはいつも前置きが長い」


「お前が自分の置かれた状況を、沈着に俯瞰できるよう話しているんだ。ひと呼吸置いた冷静な判断ができるようにな……」

 裕征は椅子を立ち、奥のパソコン机に向かう。

「彰吾は以前から野獣邸前ホモガキ鏖殺事件について、夏乃洲治本人から直接取材したい旨を話していてな」


「聞いていない」

「そうなのか?」

 裕征はパソコンの前にあった、夏乃洲治の単行本を取った。

 彼のデビュー第二作目にして、事件関係者独占取材を帯の売り文句にした、野獣邸前ホモガキ鏖殺事件題材のベストセラー小説だ。


「突然の大スクープで、他ならぬお前を驚かせるつもりだったのかもな」

「ああ、小洒落たことを考える奴だった」幸樹は懐かしそうな顔をする。

「俺は出版社の伝手を駆使し、作者の写真を送ってもらった」

 裕征は本を開き、挟んでいた一枚の写真を幸樹に見せる。

 出版社内の打ち合わせ途中に、盗撮された女性の写真だ。


「御堂千夏。覆面小説家、夏乃洲治の素顔だ」

「予想外だな、トランス男性だったのか」

「後は探偵の真似事を少々やって、御堂千夏の自宅を特定」

 裕征は写真をひっくり返し、住所の記載された裏面を幸樹に見せる。

「彰吾には偶然を装い接近するよう助言した」裕征は幸樹に写真を投げ渡す。「今朝、いよいよ取材に行くと張り切っていたよ」


「彰吾は千夏の取材中に事故死した……」幸樹は受け取った写真を睨む。

「ところで、御堂の名に聞き覚えはないかね」

「御堂、御堂……? どこかで聞いた気が……」

「御堂牢滋郎」

「事故死した野獣邸テロ手配犯、まさか」幸樹はハッとした顔になる。


「御堂千夏は御堂牢滋郎の娘で、事件関係者は著者自身を指す」

「しかし彰吾の死と夏乃洲治の素性に、どんな繋がりがある?」

「テロリストの娘だ。いかな『教育』を受けていても不思議はない」

「トラックの運転手は彰吾が『急に飛び出してきた』と」

「証拠はあるのか」


「ドライブレコーダーの映像を見た」

「彰吾の背後には誰かいたか」

「誰もいなかった」幸樹は首を横に振る。「カメラの死角が発生する瞬間を狙い、急接近して押したとも考え辛い。弁明の余地もなく、彰吾は自分から飛び出していた」

「相当に焦っていたのだろうな。追われて逃げていたのか、もしくは」


「取材相手を追っていた」

「ふむ、千夏は点滅する信号で彰吾を撒き、焦った彰吾が信号を渡ろうとしてトラックに轢かれた。話の筋は通る、父から追手の撒き方を教えられていたのだ。敵対派閥に、娘を交渉の人質に攫われないよう」

 裕征は納得した顔で言う。


 筋は通るが、幸樹は腑に落ちなかった。

「違う。テロリストの父親が娘に施した教育が、追手からの逃げ方だけとは温すぎる」

「確かに共産主義思想過激派は、暴力で平等社会を目指す革命派だが」


「家族に思想を継がせるのなら、やはり『守る力』ではなく、『変える力』であったと考えるべきだ」幸樹に考えが閃く。「そもそも取材日中に事故死とは、因果関係を考えない方が不自然さ。彰吾は証拠の残らない形で、千夏に殺害されたんだ」


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