高慢か偏見かもしくはその辺り#1

 東響にじいろプライド本部では、運営スタッフがテレビ局にクレームを入れていた。

「守竹彰吾という男性は男性ではなく、レズビアンのトランスジェンダー女性である。速やかな訂正と謝罪を願いたい」

 オフィスを歩く乃夫が、組織全体を外敵出現の興奮で煽る。


「皆の衆、聞き給え! 男女の区別もつかぬ報道各局は、守竹くんの口が開かないのをいいことに、彼女のセクシュアリティを捏造している! なんと忌々しき事態か!」


 扇動者が叫んだ外敵出現の報は、組織を俊足で結束させる。

 公式ツイッター担当は、連続ツイートで遺憾の意を示した。


『本日、弊団体の広報部に所属する守竹彰吾が、交通事故のため永眠しました』

『享年三七歳となります』

『ご支援頂いた皆様に、謹んでお知らせ致します』

『突然の訃報に接し、スタッフ一同も呆然としております』

『一方、ニュースにて報道各局は「守竹彰吾が男性である」との見地を示しました』


『彼女は歴としたトランスジェンダー女性であり、報道は彼女自身の尊厳を無視した、事実無根の誤報となります』

『東響にじいろプライドは、報道各局に対し、速やかな訂正と謝罪を求めます』


 ツイートには大勢の賛同者が集まる。反賛同者の荒らしも少々いたが。

 賛同者たちは手当たり次第に、テレビ局へクレームを入れる。

 各テレビ局のデスクから、電話のコール音が絶えず鳴り響く。

「クソが」幸樹は苛立を吐き、東響にじいろプライド本部の屋上に出た。

 夜風になびく虹色の旗の下、騒々しい東京の夜景を遠景から見下ろす。


 携帯端末を取り出し、ホーム画面の『アルバム』をタップ。

 表示された写真には、花婿衣装の幸樹と彰吾が写っていた。

「彰吾……」幸樹は携帯端末を両手で握りしめ、目を閉じ額に当てる。

 結婚式の日を思い出して、深く、深く、呼吸する。

「なんで死んじまったんだ」


 携帯端末がバイブレーションを鳴らし、何者かの着信を告げる。

 画面を見ると『東響にじいろプライド顧問探偵 金澤裕征』の表記があった。

 幸樹は通話に応じる。

『怒りは、最も大衆の関心度が高まる娯楽だ』


「何が言いたい」

『お前は冷静か?』

「下の奴らと比べればな」

『ほう』

「落胆したよ。あいつら、彰吾の死でオナニーしてやがる」


『話がある。すぐ来れるか?』

「急用か」

『彰吾のことだ』

「待ってろ」幸樹は通話を切った。一階に降り、駐車場の車に乗る。

 夜の東京を駆け抜けた。街の輝きの煩さに、視界も耳も防ぎたくなった。


 ギアを上げようとして、彰吾の顔が思い浮かび、どうにか押しとどめる。

 ペニスが火照り、ズボンの下で勃起していたが、収まる鞘はもういない。

 幸樹はセブンイレブンで車を停め、男子トイレに走った。

 ああクソ、どうなってやがる?

 ズボンとパンツを降ろして、個室の便座前に立つ。


 彰吾の写真を見ながら男性器を扱く。

 荒い呼吸と熱気に埋もれて、無感動に射精した。男性器はすぐに屹立する。

 衝動に任せ、快楽を削ぎ、ただ行き場を無くした愛を処理するためだけに。

 追加で八回の射精を終え、漸く男性器は萎んだ。


 股間に残った精子をトイレットペーパーで拭き取り、ハンドルを回して射出した精子を便所に流す。


 ハンドソープで手を洗い、冷えた炭酸水を買って店を出た。

 運転席で炭酸水を半分飲み干し、喉の渇きを癒そうとした。

 弾ける炭酸は気慰めにもならず、渇きを据え置き胃の重量を増すばかり。

 空いた手で吐き気を堪えて、ボトルホルダーに揺れる炭酸水を置く。

 両手で顔を叩いて喝を入れ、車を発車させた。


 二時間ぐらい運転すると、街外れに目的地が見えてくる。

 裕征宅の前で路上駐車し、車を降りてチャイムを鳴らす。

「幸樹だ」

『入れ』


 遠慮なく玄関口を開けると、古い木造建築の匂いが漂ってきた。

 靴を脱いで居間に上がると、肘掛け椅子に座った裕征に迎えられる。

「冷静に考えれば」裕生が言う。「特に知名度のない『トランスジェンダー女性の事故死』は、第三者にとって『一般男性の事故死』でしかない」

「ああ」幸樹は吐き捨てる。「分かってるさ」


「性別適合手術を受けていないトランスジェンダーの死体は、性自認を主張する術を持たないからだ。物言わぬ肉塊の性別は当人の思想を抜きにして、肉体の特徴から『男性』『女性』『激しい損傷により判別不能』と分類される」

「男性の体は、女性の体扱いで事務処理できない。肉体的男性は、子宮臓器提供者になり得ないからな」


「孕ませ盛りのエロガキでさえつく分別だ。死体は死体であることに不必要な要素が介在する余地はなく、死んだ本人すらも客観的事実に反論する術はない」

「死体をプロパガンダ・ゾンビに蘇らせたい輩は別だ」

「生きているから利用できる」裕征は重々しく頷く。「彰吾の死をダシにして、無意義な政治主張を振りかざせる。自慰目的の権力誇示だ」


「にじいろプライドの連中は」幸樹は絞り出すように言う。「理解者だと思っていた」

「今も変わらず理解者だ、勘違いしてはならない」

「違う。あいつらは彰吾の死を利用した」

「理解者であるあまりになのだよ。中心扇動者によって、我を忘れさせられている」


「なぜ言い切れる?」

「彼ら・彼女らの多くは、周囲から押し付けられる常識と自己認識の乖離より、本心を打ち明けられる人のいない幼少期を過ごしてきた。頼れる人に飢えてるんだよ――」

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