小説家を売ろう#2
家に着いた千夏はわたしを書斎に通すと、好きな本を選んで読むよう薦める。
「好きな本を貸してもいいよ。お父さんの蔵書だけど、あの人はもういないし」
「うーん、でも……」
「千冬はさ」千夏は真剣な眼差しでわたしに問う。「どうして作家になりたいの?」
「え、急になにさ」
「前に会った時もだけど、千冬は妖物に憑かれてる感じがしたんだ」
「そうかな」
「そーだよ」千夏はわたしを指さす。「事件の情報を知らないって言ってたけど……あんなに大きな事件があったら、普通は現代社会の情報掃射に強制被弾する」
「ネットニュース見てなかったし」
「オンライン接続されたパソコンは、乱立する情報の流れ弾からは絶対に逃れられない。なのに見てなかった、そもそも知らなかったと言い切れるのは、意識外の情報を認識できないくらい深刻な状態にあったから」
千夏は、わたしが逸らした視線を追って離さない。
「まあ……答えは単純です。わたしの話を聞いて欲しいから。いけない?」
「そんなもんだよ」
「読んでくれる人がいないのは、やっぱり虚しい」
「要するに、わたし以外にも読んでくれる人が欲しいんでしょ」
「もっとたくさん、世間相手に」わたしは肯首する。
「ねえ、千冬。新人賞の応募、一旦やめてみよっか」
「えっ……?」わたしは千夏の顔を見上げる。
「これまでの作品を全部ネット公開して、選考員以外にも見てもらう機会を作ろう」
「読んでくれないよ、ネット小説はジャンルエラー。わたしの作風には、異世界も転生もVRMMOも無双もチートもハーレムも悪役令嬢もざまぁもない。ライトノベルの類から果てしなくかけ離れているのは、千夏もよく知ってるはず」
「ネット小説が必ずしもライトノベル・フォーマットに沿う必要はない。探せばあるよ、ミステリもホラーもSFもファンタジーも現代ドラマも時代劇も政治も哲学も、小説らしいものならオールジャンルで。ジャンルエラーの印象は、とっくに表層の偏見」
千夏はパソコンを起動して、小説投稿サイトの『カクヨム』を表示した。
わたしもディスプレイに顔を近づける。
「見てて」
サイトトップ、画面右の累計ランキングには異世界ファンタジーがずらりと並んでいる。
「本は表紙に騙されないで」
マウスカーソルが移動したのは画面左中段の『ジャンルから探す』の項目。千夏は上から『SF』『恋愛』『現代ドラマ』『ホラー』『ミステリー』『エッセイ・ノンフィクション』『歴史・時代・伝奇』『創作論・評論』『詩・童話・その他』のタブを開き、各ジャンルごとの小説一覧(更新順)を表示した。いずれのジャンルにも複数のタイトルで直近一時間以内の更新が伺え、画面越しに活気を物語っている。
「まー、偏見作ってるのも」画面をスクロールしながら千夏が言う。「ブランディングを担う運営と出版社の自作自演ではあるんだけど」
やはりというか、文章的なタイトルと粗筋から察せられるザ・ライトノベルな作風が多数を占めているが――探せば存外に見つかった。ネット小説らしからぬ葛飾北斎の重厚歴史譚を筆頭に、ネット小説であることを徹底して皮肉ったメタ・ミステリ、井戸底に広がるリビドー界を幻視したファンタジー、病を患った援交少女の転落を喜劇調に描いた現代ドラマ……。
「玉石混合だけど」わたしは文字を追いながら小さく呟く。「読めば意外と面白い」
横書きで綴られた文章はディスプレイ越しの読みやすさを意識し、段落間及び数行単位の繋がりへ空白行を挿入している。大きめのフォントは相乗効果で視線誘導を強化し、体感黙読速度――実際の可変具合はともあれ――に拍車を掛けた。
本文テキストは目次から任意のエピソードを選択して表示する仕組みであり、定まったテンポを構成するページや、読書に区切りを与える栞の役目も担う。
インターネットは栞を挟めない。
故に執筆者が読者のペースを想定し、随所に『切り上げ』『復帰』の目安を『エピソード』単位で設けることで、快適な読書体験を担保していた。
「スラスラ読める。けどどうしてだろう、読んでいるというより、読まされているような感覚を覚えるのは」
「テキストの方から視界に入ってくるセミオートな読み心地だよね。通常出版物が紙面を隙間なく縫って作る文圧を、致し方なく犠牲にして生みだされた軽快さ」
「致し方なく。そういう作風じゃなくて?」
「考えてもみなよ、無限大の広がりを見せるソーシャルネット・オンラインで、どこの馬の骨とも知れない名無しさんが敷き詰めた長文を、好き好んで読みに行く人はそういない。読破後のカタルシスも約束されてない、最悪不快になるかもしれない文書を漁るのは、お金でも貰えないとやってらんないよ」
今更のように理解した。
「……凝った文章も、読まれないうちは等しく死んでいる」わたしは持参したパソコンに目をやった。「文章は書いて読まれるもので、書けば無条件に読まれるものじゃない」
「小説家を売ろう」千夏はわたしのパソコンに右手を乗せて言う。「生き長らえる文章に再編集だ」
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