小説家を売ろう#1
アパートの床を埋めつくす原稿用紙。
ぐしゃぐしゃの紙と、荒れ狂う印字に綴られた山。随所に混じるは、決まり文句に呪われた新人賞の落選通知――今後のご活躍に期待します。
屍山の頂点に座すのは、タイプライターで物語を描くわたしだ。
目に狂気の光を煌々と輝かせながら、延々と執筆を続けている。
せめてそんな光景があったら、みっともない惨状も絵になったか。
現実はもっと温くて、反面に淡々としている。ドラマチックな光景などありはしない。
ただ、役目を終えた資料の散らかったアパートで、無表情にキーボードを叩くわたしが居るだけだ。美しい光景はない。
小説の原稿用紙も、かつて夢見た数多の旅路も、全てパソコンの中にある。
新人賞落選通知も、就職活動のお祈りメールも、メモリ内部に積もるだけ。
目に見えた変化はなく、『停滞している』ことすら停滞している。
それこそが、デジタルネイティブ世代作家の残骸だ。
「いいや、作家未満の残骸、かな」
千夏が隣にいた全盛期と比較して、大幅に執筆速度は落ちた。
時間さえ経てば作品は完成するが、昼夜を悪戯に消費してばかり。
今だって丁度新作を一つ書き終えたのだが、まるで手ごたえがない。
が、生成した弾丸は撃たねば湿気るだけ。
機械的に『第72回遠野新世界大賞』公募ページを開き、流れ作業で大安売りの個人情報を入力する。出力したてのPDFファイルを添付したら、送信ボタンをクリックして終了だ。
現代の作家志望には、ポスト投函の権利も、物理媒体の重々しさもない。
吹けば飛ぶから、有象無象にいるから、最初から必要もない。
おまけに、大量生産・大量消費が前提ながら、賞への多重投稿は禁止だ。
祓いきれぬネガティブ思考が、偶然どこかの世界に当てはまって、刺激された世界から物語が降りてきた。
「新人賞選考に、新人賞選考をテーマにした作品を書いて応募する」
一瞬で目が冴えた。
物語のキャラクターは、新人文学賞の下読みに選考員。
読み手と物語の間に、自己投影からの陶酔感を生じさせ、作品を特別視させてしまえばいいのだ。
芸はなくとも、大層素晴らしいアイデアのように思えて、五週間かけ碌な睡眠も取らず執筆した。
寝落ちから目覚めた直後、ディスプレイに完成原稿を捉える。
ああ、神懸かりの奇跡に遭遇した気分だ。
珍しく晴れやかな気分になれたので、お祝いに応募要項無視の無差別爆撃をしよう。
新人賞を検索し、ジャンル不問の公募に片っ端から応募する。ページ数の過不足は、賞に応じて適当に調整した。
普段は意識しない、ライトノベル・レーベルの賞にも応募する。
ラノベなんか……といつもなら避けるが、絨毯爆撃なら無礼講。
どうせ大量に生み出されて、大量に消えていくんだ。
本当は、今回の小説だって同じでしょう?
ところが、これが意外にも受けたらしく、複数の賞で一次選考に残ってしまった。合わせて三八件の公募に応募し、三件で一次選考突破とは。
乾いた笑いが出て、呆れた。
二次選考には跡形も残らず消えていた。
原因は募集要項の違反か、或いは単なる実力不足か。
一矢報いた清々しさは、裏返しの虚しさに埋没する。
ベッドに倒れ、何がしたかったんだろう、と考える。
右端まで転がって、うつ伏せになる。
ベッドの下から様子を伺う、影色のわたしと片目が合う。
「ねえ、わたしは何がしたかったんだろう」わたしは幻影に問う。
幻影は応じずに搔き消えて、後には人恋しさばかり募る。
寂しいなぁ。明日、千冬に会いに行こうかな。
脱力して眠り、正午過ぎに目が覚めた。
シャワーを浴びて髪を梳かし、身支度を整えてアパートを出る。
恥ずかしいようなおめかし、わたしから尋ねるのは稀だったな。
思いを馳せて自転車を漕ぐと、向かい風に梳いた髪が崩されていく。
下町道路をおおよそ四十分走れば、千夏の家がある住宅地に到着した。かの凄惨な野獣邸前ホモガキ鏖殺事件が発生した現場でもある。今や騒がしい子供たちの姿はどこにも見当たらず、皮肉にも事件以前より長閑で素朴な光景が広がっていた。
いいや、これは――。
風評被害が生じる前の、在りし日の光景だ。
あの立派な東郷邸の跡地には、ただの物置が建っていた。
それを一人見つめる千冬に、わたしは声をかける。
「千夏ーっ」
突然呼びかけられた千夏は、声の主を探して戸惑いの顔色を浮かばせたが、わたしの姿を見つけると安堵した様子で手を振ってくれた。
「千冬か。来てくれたんだね」
「また、久しぶりだ」
二人並びに、千夏の家へ会話しながら進む。
「小説、読んでくれてる?」千冬が質問する。
「書くのに夢中で全然読んでないよ」わたしは答えた。
「駄目だよ、書く分以上に読まないと書けない。インプット・イズ・インポータント」
「誰の受け売り?」わたしは苦笑した。「出版社?」
早くも作品に自信を持ち始めている彼女が、どうにも羨ましい。
「……書かなくちゃ物語は進まない。一刻も早くデビューしたいから」
「焦りは禁物」
「言える立場になりたい」
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