野獣邸前ホモガキ鏖殺事件#4

「……ニュース見てなかったの?」千夏は怪訝な顔をする。

「病んでてそれどころじゃなかった。だから詳しくは知らない」

「結構、世間を騒がせたと思ったんだけど」

「知ってるのは、事件とお父さんの法事があったことくらいで」

「わたしが一週間前に送ったメール以上の情報は知らないんだ」


「ごめんね」わたしは頭を下げる。

「別にいいよ」千夏は苦笑した。「人間、本当に必死になると周囲のことなんてどうでもよくなる」

「だから今聞く。知らなかった分も合わせて全部聞く」わたしは真面目な顔で言う。

「そうだね。それがいい。伝聞よりも一次ソースの方が信憑に値する」


 言葉の空白を置いてから、千夏は事件の話に戻った。


「覆面グループは次に、ホモガキの生き残りを人質として野獣邸へ籠城した。これが事件の第二幕、共産主義者による野獣邸占拠」

「彼らの目的は?」

「大東亜淫夢共栄圏の破壊、インターネット天安門事件、文化大革命オンライン……なんとでも好きなように言えばいい」


 野獣邸を占拠した共産主義者は、オンラインの生中継を通して、中国本土に向けて高らかに宣言する――。


『我らが偉大なる最高指導者を侮辱した淫夢文化は、反共統率の敵性文化であり、徹底的に消し去らねばならない』


 共産主義には、何かと言いがかりをつけて文化を破壊したがる文化がある。そのくせ、自らの文化を破壊したがる文化に限っては、潔癖に純潔を守り抜く傾向があった。

 彼らが淫夢文化を危険視したのは、四年前にYouTubeとbilibiliで投稿され、ニコニコ動画にも無断で転載された論説動画『野獣先輩中共国家主席説』に由来する。


 野獣先輩に関連する淫夢のコンテンツは、インターネット拡散の過程において、複数の独自文化をも育んでいた。その一種に今回の事件で中国の共産主義与党が危険視した、論文発表の体裁で進行される動画群『野獣先輩新説シリーズ』がある。『真冬の昼の淫夢』並びにその関連作品に登場する野獣先輩(と同じ役者が演じるキャラクター)の特徴を抽出し、実在・架空を問わぬ著名な対象と共通する特徴を照らし合わせ、『それこそが野獣先輩の正体である』と結論するバーナム効果を用いた遊びだ。


 これには野獣先輩が二〇〇〇年初頭の出演作を境にコンテンツから姿を消しており――単に役者が成人向け媒体への出演を辞しただけであろうが――突如として現れ、突如として消え去ったホモビデオ界のスターたる彼は一体何者であったのか、そうした論争がおふざけの要領でインターネット掲示板にて勃発したことが源泉にある。

 故に投稿される論説も、徹頭徹尾冗談や皮肉に準じたものばかりだ。


 そうした背景のある『野獣先輩新説シリーズ』を利用して、中国人ユーザーが現共産主義体制への痛烈な風刺を行った。こともあろうに現存する中国与党の主席と、成人男性向けゲイポルノビデオのキャラクターを同一視し、また同一人物であると揶揄したのだ。オリジナルの動画は教産主義支配に不満を持つ層やアジア圏のユーザーを中心に反響を呼び、絶大な支持を獲得するもアカウントごと削除されてしまう。


 三年後、与党陣営は中国内におけるボーイズラブ作品の規制を実行した。名目上は『青少年に誤った価値観を植え付ける不良文化の排除』と定義しているが、実情は反教の隠れ蓑に成りうる可能性を秘めた、カウンターカルチャーの流入と発達を防ぐためである。しかし淫夢文化はとうに中国/台湾のコアなネットユーザー間で浸透しており、独裁者の後追いは何ら有効性を発揮しなかった。


 ならば文化の本丸を討つのみ――となったか否かは不明だが、淫夢文化の象徴的存在である野獣邸前で共産主義過激派の襲撃が発生し、多くのホモガキが見せしめに拉致殺害された。中国本部は公式声明で『末端分派が身勝手に行った惨劇』と事件関与を否認、被害者へ哀悼の意を示している。


「でも、どうして首都圏の住宅地でそんな事件を起こせたんだろう」

「野獣邸一帯の住宅地は、ホモガキの蔓延でどうしようもなく地価が下がっていたから。騒音に耐えきれず出ていった人が残した家を、三年の間に共産主義関係者らが中華資本で安く買い叩いていたみたい」


「ああ、冷やかしに訪れるにはいいけど、住むにはお金もないしうるさい場所だから……もしかして、近所のお爺さんもここ三年以内に越してきたばかり?」

「うん。覆面グループはわたしのお父さんを除いて、全員がそう」

「元々支持者だった千夏のお父さんが、他の支持者を手引きしてテロの準備を進めていたの? 年で一番多くの人が野獣邸前に集まる、八月十日の祝祭を狙って」


「そういうことになる。トラックも含めて、必要な道具は直前まで私有地に隠しておけば、決行当日に過密状態の住宅地でも、滞りなく攻撃準備を進められるし」

「買った土地で生活すれば、野獣邸への道筋も誰に怪しまれることなく下見できる。そこまで頭が回るのに、どうして文化弾圧の万能性を妄信するのやら」

「わたしにも理解できないよ。お父さんがすっかり遠いの」


 千夏は窓の外に視線をやった。

 わたしもその視線を追ったが、そこに何かがあるでもない。

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