野獣邸前ホモガキ鏖殺事件#2
『すっごい大きい』『見とけよ見とけよぅ』『きつかったゾ~ウ』『イキスギィ!』『おおっ、そうだなあ』『早くしろよぉ~う』『まぁ、多少はね』『冷えてっか~』『駄目みたいですね』『イキますよ~』『そうだよ』『えっそれは?』『ンアッー!』『うるせえ!』『あのさぁ』『大丈夫っすよ』『しないです』『人間の屑かこの野郎』『のどか、喉乾かない?』『ありがと茄子』『この人頭おかしい』『もうやだあああああああ』『アーイキソ』
耳を塞げ。神経を逆撫でする、不快にして甲高い無数の声音に。千夏は以前買ってきた耳栓を装着した。
『YO!』『悪い子はお仕置きだど』『えぇ』『出ますよ』『ブッチッパッ!』『やべぇよやべぇよゥ……』『やめろォ!ナイスゥ!』『見てないでこっち来て』『まずいですよ!』『お腹減ったなぁ』『朝飯食ったから』『ケツの穴舐めろよ』『白菜かけますね~』『誰だよ、お前の彼女か?』『堕そうと思えば』『そのための右手』『そのための拳』『ココア・ライオン』『これもう分かんねぇなぁ』『なんてことをッ』『いい世、来いよ!』
聞こうとするな。千夏は画面の原稿用紙に意識を集中させるが、タイプ音に強く出た苛立ちが疲弊を加速させる。
「役立たずめ」
凝った肩をほぐし、使い物にならない耳栓を床に捨てる。
叫びたい気持ちを堪えて背凭れに身を預け、ぼうっと天井を見上げた。
『まずうちさぁ』『壊れるなぁ』『ふざけんなッ!』『壊れちゃーう』『溜まってんじゃんアゼルバイジャン』『そうだよ』『ヌッ!』『しょうがないねえ』『やめてくれよ』『許してください!』『ん?』『今何でもするって』『やだよう』『とぼけちゃってえ』『じゃあブチ込んでやるぜェ!』『止めてくださいよ本当』『はっきり和姦だね』『ガバガバじゃねえかよお』『ああっ、待ってくださいよぉ』『なんてことを』『デデドン!』
変声前の甲高い男声が頭に乱入して部屋を埋める。
止めどない発言は複雑な語彙を有するように思えて、すぐに定型文の繰り返しに移行する。流行り芸人の一芸を模倣するように口ずさまれる、ホモビデオの汎用名言抜粋集――俗称『淫夢語録』は、多様な文章表現技法を要求される執筆活動の天敵とも言えた。何せ、頭の中に浮上した素晴らしいテキストを、外部から闖入する淫猥下賤で単調な語録集が上書きしてしまうのだから。
これがせめて意に富んだ会話ならば、まだ執筆の刺激になり得た。
現実は壊れたレコードの反復再生だ。色彩豊かな文章を思い描けど、出力時には粗悪乱造の荒波にテンポを奪われてしまう。
千夏は『今、行くよ……あ、少し待っててくれ』という台詞を思い浮かべた。
出力時、それは『アーイキソ……あ、待ってくださいよ』に変換されていた。
千夏は『月の孔を眺めろ』という文章を思い浮かべた。
出力時、それは『ケツの穴舐めろ』に変換されていた。
「もう末期だ」絶望してキーボードに頭を落とす。
こうなると、元の文章さえ自分で思いついたものであるか疑わしい。
千夏は気分転換のため、一家が氏子に属する生杉囲神社で、台風の通過によって荒れてしまった境内の掃除に向かった。
狛犬の泥を拭き、賽銭箱に溜まった雨水を捨て、若く散った葉を箒で搔き集める。彼方へ吹き飛んだ仏花を回収し、云われも知らぬ地蔵の頭へ水をかけると、新しい仏花に供え直した。台風の直撃に耐えた社の裏の落書きを恨めしく睨み、持参した薬剤で跡形も残らないよう溶かす。
「悪いものばっかり残るよ」
掃除を終えて鐘を鳴らし、千冬との復縁を祈願する。二礼・二拍手・一礼。神社の外に出ると、道には既に招かれざる客の姿があった。
俗に言うホモガキの群生である。
三人組は神社の看板を指さし、何がおもしろいのか「イキスギ神社、イキスギ神社」と妙に興奮した様子で連呼した。
このままでは彼らに神社への侵入を許してしまう。
千夏は鳥居の前で掃き掃除をして入り口を塞いだ。
三人組は適当にふざけ終わると、すぐに神社への興味を失ったようで、来た道を引き返し野獣邸の方角へ歩き去った。
確認してから掃き掃除のふりを止め、足跡へ清めの塩を撒く。
「二度と来るな」
三人組は午前十一時四十分の炎天下、人だかりのできた野獣邸前に到着する。
自販機にはアイスティーを求める客が殺到し、歩道には納まりきらないほどのホモガキが密集していた。彼らも喜び勇んで、その群衆へ溶けていく。
道路は辛うじて車が通れるだけの隙間は確保されているものの、数分おきに通行車両のクラクションが鳴り響いた。
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