~3~

 集中治療室の前で、まるで自分が死んだかのような顔をしている湊の元に、綾木は静かにやって来た。ベンチに座る湊の、すぐ隣に座る。

「……綾木さん」

「何ですか?」

「また……ボクのせいで人が死ぬんでしょうか」

「死にませんよ」

 力強い返答に、湊はノロノロと顔を上げた。

「片桐刑事はタフですから。こんなことで死んだりしませんよ」

「君も知っているでしょう?」と微笑まれ、湊は肩から力を抜いた。

「死にませんか?」

「死にません」

 自信たっぷりに断言され、ようやく湊の瞳に光が戻る。

「オジサンが起きたらお説教するんです」

「おやまぁ、それは怖い」

「私情を優先するなんて刑事らしくありません」

「それはそうですね」

「だから」と言って、湊は泣きそうに顔を歪めた。

 ここで泣けたら、楽だろうに。綾木はポツリとそんなことを考えた。泣き喚いていいのだと、泣いて縋っていいのだと、誰もこの少年には教えてやらなかった。自分を含めて、誰も。ヴァーリの死の際にさえ泣かなかったこの少年は、一体その悲しみをどうしているのだろうか。全て呑み込み、独り、抱えているのだろうか。だとしたら、それはとても悲しいことで、自分たち大人の失態だ。誰かが、この少年と関わった誰か一人でも、「泣いてもいいんだよ」と教えていれば、こうはならなかったのだろう。……だが、今更遅い。遅いのだ。

「オジサン、早く起きないかな」

 ポツリと呟かれた氷河のような言葉。溶かしてやる術を、綾木は知らない。きっとそれは、片桐にしか分からないのだろう。湊が唯一、『家族』として選んだ、彼なら。


 一般病棟に移るまで、数日を要した。負った傷の深さを考えたら早い方なのだろう。だが、湊には長い数日だった。

「おはよう、湊」

 開口一番がそれで、湊は思わず言いたかった不平不満を呑み込んだ。

「寝坊だよ、オジサン」

 冗談めかして言えば、「っと、そんなに寝てたか?」なんて調子良く乗ってくれる。

 ああ、帰ってきた。

 帰ってきた、愛しくて大切な居場所が。

 笑おうとして、湊は失敗した。俯いてしまった湊を、ベッドで上体を起こした片桐が眉を下げ困ったような顔をした。湊が自分を好いてくれているのは自負ではないだろう。それと同じくらい、片桐も湊を想っていることを、恐らくこの少年は知らない。護りたい『家族』であるが故に、どこまでも平行線ですれ違う二人。どうすれば上手く伝えるのか。片桐には分からなかった。ただ、俯いた背中にそっと手を置くことしか出来ない。

 ふと、ドアが開く音がして、金髪の少年が花束を持って入ってきた。

 見覚えがあるな、と考え、片桐はこの事件の際に湊の隣にいた少年だと思い至る。他の場所でも会った気もするが生憎と思い出せなかった。

「あれ、きみは……確か、先日の事件の時の?」

「……っす」

 小さく首だけで会釈する少年を見て、片桐はニッと笑った。

「きみ、花束が似合わないな」

「余計な世話っすよ。……で、そいつは?」

 抱えていた花束を床頭台に下ろし、少年は俯いたまま動かない湊に目を向けた。来たことに気付いていないわけが無いのに、湊は顔を上げなかった。仕方ないので、柔らかく背を叩いた。

「……湊……湊、お客さんだ」

 ようやく顔を上げた湊は、酷く弱々しかった。そうさせたのが自分であることに、胸に刺さった。

「ええと、きみは…………ええと……」

 ボンヤリとした口調。それで思い出した、湊がいつもわざと間違える苗字の少年。生憎、間違えすぎてどれが本名なのかが片桐は覚えていなかった。

 今は、おそらく少年が誰かも把握していないのだろう。間違える苗字も、本当の苗字も出て来ないようだった。

「いい、いい。今は何も考えるな。オレはすぐ出てくから、片桐はここに居てやんな」

「…………」

 力無く項垂れる湊を見、片桐を見て一つ礼をしてから少年は去っていった。

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