第8話 春告げ鳥の胸の内④
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泣き叫ぶ者、すすり泣く者、泣くことすらできずに呆然と座り込む者。
悲痛な姿を目の当たりにし、できることはないかと探す者。
率先して避難所の環境を整える者。
眷属を屠り避難を終えた
入口には見張りを立て、騎士団も避難所に入っている。
聞いたところではロアの〈獣騎士団〉と『シルヴァ』の民を無数の眷属が襲ったらしい。
天空廊の惨状はテトも確認しているし、ボロボロになった〈獣騎士団〉の騎士たちの話からも真実であることは疑いようもなかった。
「……数の暴力とはね」
一体一体はそれほど強くなく、核を砕かねば驚異的な再生能力を持つ――ただそれだけの眷属。
それがまるで――そう、一面を覆う絨毯のようだったと聞けば――驚異である。
「……ロア、大丈夫かな……」
ロアは避難を確認すると頬を引き攣らせたぎこちない笑みを浮かべ、少し出てくると言っていなくなってしまった。
己の浮島の民を護りきれず……蹂躙される
民の前で泣くことは赦されない――いや、正確には涙する自分を赦せない。
それがロアだ。
「テト。……状況はどうです? 私は徹夜明けなので少し休みたいところですが」
「いまのうちに食事を取っておけよ、ふたりとも。ロアはどうした?」
そこにレントとガロンがともにやってきた。
テトは首を振って――瞳を伏せた。
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「……〈獣騎士団〉団長……ロアと言ったか。酷い顔色だの」
「うん……ごめん。少しだけここ、貸してくれるか……」
ロアは中央塔の最上階へと足を運び、金の鳥籠の格子に背中を預けてズルリと座り込んだ。
右手で目元を覆ったロアの耳も尾も……弱々しく垂れている。
『春告げ鳥』はソファから立ち上がることはせず、そんな彼に静かに言った。
「……全部視ていたが、慰めることはせん。次の危険が迫ったときは叩き出してやろう。――だからいま、ここでは好きに振る舞うがよい」
「…………」
厳しく聞こえるようで優しい彼女の言葉にロアの肩が小さく震える。
頭を抱える左手の、白くなるほど握り締めた拳が痛々しい。
あれだけの民が、騎士が、目の前で命を奪われたのだ。
泣き叫びたかっただろうに――堪えて戦い抜いた〈獣騎士団〉団長ロアの背を見詰め、『春告げ鳥』は瞳を伏せる。
彼女は犠牲が出るとわかっていたが……彼はそうではなかったのが在り在りと見て取れた。
――心を砕かれてしまったやもしれぬの……。
それを責めることはできないと『春告げ鳥』は思う。
ロアが望めばその任を解くことも可能であろう。
――いや。むしろ、こちらから解いてやるべきなのか……。
そう考えたとき。
『春告げ鳥』は胸の疼きを感じ、困ったように眉尻を下げた。
彼女の痛みではない。器たるリーヴァの心の痛みだ。
――妾は〈島喰い〉の動向を監視せねばならぬ……すまぬが、ほんの僅かな時間しかやれぬぞ……リーヴァ。
小さく息を吐いて――『春告げ鳥』はそっと意識を預けると、静かに見守ることにした。
そうして入れ替わると……哀しみに暮れた瞳を上げ、彼女はソファから立ち上がる。
歩み寄った格子越しにロアの背中にそっと触れると、指先から温もりが伝わった。
「…………」
押し殺した嗚咽。
は、と……震えながら息を吸おうとする微かな音が聞こえる。
彼女にできることは少ない。
それでも――籠の中で声を封じられても、リーヴァは皆を救うための器たれとずっと己に言い聞かせてきた。
『春告げ鳥』が目覚めたそのときは……彼女が視るものを、感じるものを、すべて受け入れようと考えてきたのだ。
けれど……リーヴァはロアが解任を望むとは思えなかった。
彼は優しすぎるから――
彼女は格子の隙間から両手を突き出してロアの三角耳を左右にグイッと引っ張った。
「……いっ、リー……ヴァ?」
思わず顔を上げて振り向いたロアの瞳は涙で濡れて、何度も擦ったのか頬は赤くなっていて。
とても悲しんでいる……つらい思いをしているのがわかる。
リーヴァはロアと視線が重なると――大きく唇を動かした。
「……、…………?」
ロアは音の出ないリーヴァの唇を見詰め……目元を歪める。
彼ら騎士団長は声を封じられている彼女のため、読唇術を学んで意思疎通を図っているのだ。
そのなかでも毎日のように彼女のもとへと通っていたロアは、一番その術に長けていた。
「『ロアは、どうしたい?』……って……く、うぐっ……お、俺……」
「…………、…………」
「『ここでやめても、いいんだよ』……それは、でも……」
ロアは唇を噛んで目を逸らす。
真剣な表情のまま、リーヴァはロアの言葉を待った。
「……だ、れも……死んでほしく、なかった。死なないって……死なせないって……思って……俺」
ボロボロと涙をこぼすロアの耳が伏せられる。
リーヴァはこくりと頷いた。
「なあ、俺……うぬぼれ、てた? ……俺、うぐ……こんな、弱い……弱かった、なんて……でも、でも……」
ロアは眉を寄せ、必死の形相で体ごとリーヴァに向き直り――格子を掴む。
「戦うしかッ……できないんだ! 恐いさ……! 俺のせいで……皆死んだ……。でも、いま、立ち止まったら……俺は」
――きっと逃げた自分を赦せない。それも……恐いんだ……。
なんと自分勝手な思いだろう。自分の指揮でまた誰かが命を落とすかもしれないのに、残ろうとしている。
――カルトアなら、もっと上手く騎士たちを配置できた……。
言葉にできず歯を食い縛ったロアに、リーヴァは優しい笑みを以て応える。
ぼたぼたと涙をこぼすのは不様で格好悪い。
けれど涙は止まらず、眷属の降り注ぐ絶望的な光景を思い出すと尾を巻きたいほどに体が震える。
泣きながら視線を上げたロアは……リーヴァの言葉を正しく読み取った。
『それでいいんだよ、ロア』
「……ッ、リー……」
呼びかけた名は――聞き届けられない。
ゆるりと瞼を伏せた彼女が次に顔を上げたとき――ロアは「は……っ」と息を吸って首を振った。
「あ……『春告げ鳥』……?」
「……うむ。お前には妾とリーヴァの見分けがつくようだの。あまり長くは代わってやれなんだ――すまぬ。ただ、リーヴァから伝言だ。『ひとりじゃない』と」
「…………」
ロアはその言葉に唇を開き……もう一度引き結ぶ。
格子を掴んだまま涙の滲む瞼を下ろし、彼は「ふーっ」と息を吐き出した。
「――うん。ありがとう『春告げ鳥』」
「心は決まったのかの?」
「いや……決まらない……。でも……恐がっていていいんだって、リーヴァが……そう、言ってくれた……から」
ロアは格子から手を放してごしごしと目元を擦り、瞼を上げる。
赤くなった目を無理矢理細め、彼はぎこちなく笑みを作った。
「戦う。恐いけど……それだけは」
その言葉は決意めいていて、まだどこか危うく見える。
けれど『春告げ鳥』は胸の内で安堵するリーヴァの気持ちと――ロアの向こう側、扉を開けた『彼ら』の姿に、きっと大丈夫なのだと微笑んだ。
「……そうか。そんなお前をほかの騎士団長たちが捜しにきたようだの」
「え? ……あ……皆……ち、ちょっと待ってくれるか」
振り返ったロアは慌てたように俯くと再び目元を擦る。
腫れた瞼は隠しようがないが、気恥ずかしいのだろう。
「ロア、少し落ち着きましたか?」
そんな彼に最初に話しかけたのはレントだ。
ロアは顔を上げて苦笑した。
「ごめん。大丈夫だ」
レントはほっとしたように頬を緩め……少しだけ眉尻を下げたまま口にした。
「うちの騎士が助けられたと話していました。どうか背負いすぎないでほしいと伝言です」
「え、助けられたのは俺のほうだよ……その、レント。ありがとな」
「その点、どうやらうちのフルムは迷惑をかけたらしい。すまなかったな。ただ――お前のことを『つ、潰れたら……勿体ない、とは……思います』と言っていた。……あいつにしては珍しい。なにぶんあの性格でな……やはりお前の元に行かせて正解だったと思っている」
続けて言ったのはガルムだ。
彼にしては珍しく戯けたように言葉遣いまで真似ていたので……ロアは口元に笑みを浮かべ首を振った。
「ありがとなガロン。フルムみたいな凄い戦力を回してくれたこと、感謝してるよ」
そして最後、テトは深緑のローブの裾を揺らしながら腰に手を当てる。
「――そんな君に〈獣騎士団〉の騎士たちから伝言だよ、ロア。『貴方に牙は剥きません』だって。……信頼されているんだね、ロアに付いていきたいと思っているんだ、皆。……哀しみに押し潰されている者も確かにいるけれど、だからってロアにそれを背負わせたいはずがないでしょ。……あのさ、僕はもっと水晶を改良するよ。割った瞬間、僕の魔法を遠隔で炸裂させられるようなやつにする。そうすればもっと早く助けられるから――次はもっと――いや、ごめん。いま言うことじゃなかった」
「……テト……。いや、俺……やっぱりどこか自惚れていたんだ。悔しいけど、そんなに強くはいられなかった――でもひとりじゃないって教えてもらったから。……恐いけど――戦う。それだけは絶対だ」
赤く腫れたロアの瞼は痛々しくもあるが、その先で燃える冷たい青色の瞳はしっかりと前を見詰めている。
そんな彼らが頷き合ったところで――。
「――さて、纏まったようだの。丁度集まってくれたことだし少し話をさせてもらうぞ。騎士団長たちよ」
『春告げ鳥』はそう言って笑みを深くした。
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