第5話 春告げ鳥の胸の内①

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 白っぽい灰色の髪を風に流し、大きな耳をせわしなく動かしながら指示を飛ばしていた〈狼々族ろうろうぞく〉のカルトアは、こちらに歩いてくるロアに気付いて姿勢を正し、口元を腕で隠す敬礼をした。

「カルトア、首尾はどうだ?」

 ロアはぐるりとあたりを見回し、すでに動き始めた避難民の隊列に視線を這わせる。

「滞りなく。身重な者と幼子は狼車ろうしゃに乗せています」

 狼車とは八頭の狼に引かせる荷車のことだ。

 殆どが森で覆われた浮島『シルヴァ』においては使い勝手が悪く拓かれた道のみでの運用だが、既に動き出しているところを見るにカルトアの手腕が発揮されていると言えよう。

 その荷車を引く狼たちは一頭一頭が人を乗せられるほど大きく屈強で、〈狼々族〉が飼い慣らしているいわば『家族』のような存在である。

 賢く従順だが、狩りにおいても高い能力を発揮してくれる頼れる存在だ。

 ロアは近くを通った一頭の鼻先をゴシゴシと撫でると、半身を引いて後ろに控えていた紅鎧の騎士たちからカルトアが見えるようにした。

「彼は俺の右腕のカルトア。――カルトア、彼らは〈闘騎士団〉の騎士たちだ。避難を援護してくれるから手薄なところがあれば教えてくれ」

 彼らの鎧は急所を重点的に護る動きやすさ重視の簡易的なものだが、革鎧を好む〈獣騎士団〉のなかではかなり目立つ。

 胸元で拳を突き合わせて軽く腰を折った騎士たちへと敬礼を返しながら、カルトアは少し考えた。

「では……ロア団長とともに遊撃部隊として行動していただけますか」

 彼らが近くにいればロアを見つけやすいだろう。

 優しさゆえに縦横無尽に駆け回るであろうロアに、ともに動ける者を付けておきたかったのもある。

「うん? それでいいのか?」

「最善かと」

「そっか……?」

 ロアは深々と頷いたカルトアに向けて肩を竦めてみせると、すぐに気を取り直して踵を返した。

「……じゃあ早速だけど皆の様子を見にいくのに付き合ってくれるかな。そのまま要塞へ移動するから、最上階の天空廊まで身重な者と子供たちを手伝ってあげてほしい。狼車は上れないから降りて歩いてもらうしかなくてさ。あとは眷属への警戒を怠らないようにしよう」

「はっ。かしこまりました」

 返事をする〈闘騎士団〉の騎士たちは一様に硬い表情を崩さないけれど、そのうち打ち解けられるだろう、と。

 楽観的に考えたロアは手当たり次第に民を励まし、〈闘騎士団〉の騎士たちにも積極的に話しかけることにした。

 ……当の騎士たちは、ロアの風貌を恐れているのだとも知らずに。


◇◇◇


 しかし、やはりというべきか。簡単には移動させてもらえないようだ。

 天空廊へと辿り着いた〈獣騎士団〉と『シルヴァ』の民たちは――上空から飛来する白い花に気付いてにわかにざわめく。

 しかも一体ではない。

 確認できるだけで五体の眷属が上空をくるくると舞っている。

 ――このぶんだと、ほかの浮島も襲われているかもしれない……急がないと。

 そう考えたロアはシャンッと軽やかな音で双剣を抜き放つと、右の剣の切っ先を天に突き上げて声を張った。

「〈獣騎士団〉傾聴けいちょうッ! 陣を組んで民を護れッ! 〈島喰い〉の眷属に喰い付かれるなよ、中央の核を破壊するんだ! 弓を扱える騎士は数人俺と来てくれるか!」

 言い終わるやいなや身を低くして一気に駆け出したロアに〈闘騎士団〉から派遣された騎士が慌てて付いていく。

 それを遠目に確認し、カルトアは背負っていた長槍を構えた。

 ロアが向かったのは後方だ。そちらに眷属を引き付けようというのだろう。

「民を前進させてください! 相手は飛行しています、留まっていても状況が悪化するでしょう……! 我らが騎士団長の命に従い陣を組みます!」

『ギュルギュルッ』

 指示を飛ばしたカルトアの近く、一体の眷属が飛来したのはそのときだ。

「……っ!」

 恐怖に身を竦めた女性の前に立ち、カルトアは柔らかい声音で言った。

「さあ行きなさい。大丈夫、我ら〈獣騎士団〉が全力で援護します」

「……、は、はい……!」

 戦いは待ってはくれないものだ。

 カルトアの横に寄り添っていた巨狼たちが、唸り声を上げながら舞い降りた眷属へと果敢に飛び掛かっていく。

 すぐに陣を組んだほかの騎士たちも民を護るために武器を構えた。

 ……ロアは勿論のこと、カルトアを含めた多くの騎士たちは十年前の戦いを知らない。

 ロアの父親――〈獣騎士団〉の前団長も、騎士であった母親も帰らなかった――それほど多くの騎士たちが命を落としたからだ。

 得体の知れない異形に本能はビリビリと恐怖を訴えるが、それを抑えていられるだけの闘争心が心身を燃やす。

 喰らい付いた狼が一体、また一体と振り払われて地面に叩きつけられ、棘に斬り裂かれて悲痛な声を上げるなか――カルトアは地面を蹴って長槍を突き出した。


◇◇◇


「……てェ!」

 ヒュオッ!

 ロアの号令で空を斬り裂いて放たれた矢が三体の眷属へと突き刺さる。

「こっちだ眷属! 相手してやる!」

 右の剣、その切っ先を一体へと向け……ロアは腹の底から叫ぶ。

「次の矢、いけます!」

「おう! よく引き付けろ――てェッ!」

 騎士の声に再び号令をかけると同時――三体の眷属が次々と花片を閉じて蕾型へと変貌していく。

 数本の矢は突き刺さったが、眷属が止まる気配は微塵も感じられなかった。

「来るぞ! ――狙うのは核だ! レントは一撃で粉砕したし、頼りにしてるからな〈闘騎士団〉!」

 ロアはこんなときだというのに犬歯を覗かせてニッと笑ってみせる。

 その少し恐いけれど整った精悍な顔付きには、どこか親しみやすさがあるような、ないような。

〈闘騎士団〉の騎士たちは互いに顔を見合わせ、次いで敬礼。

 ロアも敬意を払い口元を腕で隠す敬礼を返すと、一気に地面を蹴って駆けだした。

「おおぉ――ッ!」

 吐き出す気合とともに先頭の一体を躱し、擦れ違いざまに右の刃を食い込ませる。

『ギュルルッ!』

 ぐわぁっと五枚の花片を拡げた眷属は空を泳ぐように巨躯を翻し、ロアを追った。

 真っ直ぐ走るロアの正面からはもう一体が突っ込んでくるが――ロアは迷わず地面を蹴り、結んだ灰色の髪をなびかせて跳んだ。

「は――!」

 そのまま正面の一体が花片を開くところを踏み付け、前ではなく後ろへ向かってくるりと体を返す。

 まるで曲芸のような動きは持ち前の敏捷力としなやかな筋肉によるものであり、〈闘騎士団〉の騎士たちからすれば驚愕以外のなにものでもない。

「おおぉッ!」

 ロアは自身を追ってきた眷属の真上から双剣を深々と突き刺して叩き落とし、冷たい青色をした瞳をキッと鋭くした。

「牽制頼むッ!」

「は……はっ!」

 我に返った〈闘騎士団〉の騎士たちは体を跳ねさせるようにして戦闘に参加。

 まだ宙に留まっている一体は弓を持った〈獣騎士団〉数名が牽制し、ロアが叩き落とした一体と踏み台にした一体を〈闘騎士団〉が取り囲む。

『ギュギュルッ――』

 何度も何度も剣を突き込むが、眷属の傷はみるみる塞がっていく。

 再び飛び上がろうとするその花を懸命に押さえ込み、ロアは犬歯が見えるほど歯を食い縛って唸った。

「ロア団長ッ! こちらに花を向けてください!」

「……! おう! ……このっ、こっちだ!」

 そこで意を決した〈闘騎士団〉のひとりが前後に両足を開いて呼吸を整える。

 ロアは剣を引き抜いて離脱し、眷属の意識を自分へと向けた。


 ……そして。


「いくぞ!」

 駆けるロアを追うように地面スレスレで白い花が巨躯を返す。

 その先で深く腰を落としていた〈闘騎士団〉の騎士が深く息を吸う。

 騎士の拳が届く範囲に花が向くよう、ロアは軌道を調整しながら疾走した。

「――いまだ!」

「はいッ!」

 突き出される拳にロアが急停止して後方へと跳ぶ。

 眷属はロアが止まったのに付いていこうとし――闘騎士の前で大きく隙をさらけ出す。

 ……しかし、踏み込みが甘かったのか、ロアに当たらないかと心配してしまったのか――。

「――ッ、浅い……しまっ……」

 騎士の拳は核を捉えきることができず、その双眸が絶望に瞠られる。

 狙いを変えた眷属が花片を大きく開いて彼を呑み込まんとした――そのとき。


「よくやってくれた、あとは任せろッ!」


〈獣騎士団〉団長ロアが両手に握る双剣を閃かせ……騎士の腕すれすれを滑らせた。


 ガキィィンッ……


 砕け散る核はどこか水晶にも似ている。

 ロアは霧散する眷属を横目に、震える騎士の肩をトンと叩いて柔らかい声を紡いだ。

「大丈夫だ――ひとりじゃない。ありがとな」

「――は、はい……!」

 裏返った声で返事をする騎士に犬歯を見せてニッと笑ってみせ、ロアはくるりと双剣を回す。

「さあ次だ、いこう!」

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