第4話 春告げ鳥の喚ぶ嵐④

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「なんだあれ……花……みたいな」

 轟々ごうごうと風が吹き抜ける天空廊で、最初にそれを見付けたのはロアだった。

 遠く果てない雲の境界線から太陽がゆるりと顔を上げる。

 五枚の細長い花片を持つ白い花のような『なにか』は天に向けて花片を閉じたり開いたりしながらヒラヒラと舞っているように見える。

 灰色の耳をピンと立て吹き抜ける風に目を凝らす彼の隣、ガロンが剣を構えたのはそのときだ。

「あれが眷属だ。俺をひと呑みするくらいのでかさがある。……十年前俺たちは――お前の父親も含め、まったく連携なんてできやしなかった。だから互いが互いを護ることが難しく対応に手間取ってな――いいか、俺のようにはなるな」

「ガロン――おう! 大丈夫だよ。俺たち、結構がんばってきたからな!」

 言い切るロアに、残った右眼を細めたガロンが口角を吊り上げる。

 鋭いナイフのような容姿を持ちながらも一番他者を気にかける〈狼々族ろうろうぞく〉――ロアは父親そっくりだ。

 あのときもし最初から彼らと共闘できていたら――ガロンはそう思わずにはいられなかった。

「とはいえ、あの距離を呼び寄せるのは骨が折れますね。弱点は花弁の内側、核のようなものだと教わりましたが?」

 そこでレントが朱色の髪を掻き上げながら端整な顔立ちで優雅に微笑む。

 ガロンは眷属を見遣りながら渋い声で言った。

「その通りだ。……なあに、そのための連携でもあるさ。そこは若い奴の仕事だろう?」

「その言い方……僕に撃てって言ってる? まあいいけど」

 あとからやってきたテトはすぐに状況を察したようだ。

 使い込んだ魔導書をぱらりと開くと、右手を前に突き出して〈島喰い〉の眷属へと向ける。

「これが僕たちの初陣ってところかな。それじゃ、派手にやるよ。――踊れ」

 途端、眷属を取り囲むように橙色の眩い槍が何本も現れ……。

炎槍えんそうッ!」

 テトが拳を握り込むのと同時に四方八方から眷属に襲い掛かった。

 花片に突き刺さった炎槍はそこで、ごう、と燃え上がり、朝日を受けながら火の粉を散らして爆散する。

 当然、この十年でテトの魔法はただ火の玉を生み出すだけではなくなっていた。

「……おおっ、すごいなテト!」

 ロアが双剣を器用に回しながら感嘆の声を上げるが、テトは眉尻を引き上げ眉間にギュ、と皺を寄せた。

「あんまり手応えがないかな……。でもこっちに気付いたみたい」

「いい牽制だテト。また腕を上げたな。――来るぞ」

 応えたガロンの言葉通り、眷属は花片を閉じて捻じり上げると……急速に加速して突っ込んでくる。

「下がれ、俺が受け止める」

「あれを受け止めるのですか⁉」

 ロアの前に体を入れたガロンが大振りな丸盾を構え、レントは目を瞠ったが……当のガロンはどこ吹く風。

「任せろ、伊達に歳を取っちゃいないさ。お前らも踏ん張れ、飛ばされるなよ?」

 そう言ったガロンの盾へと空を裂いて飛来した眷属がぶち当たった瞬間――衝撃波のようなものが弾けた。

「うわっ……⁉」

「テト、掴まってください!」

 小柄なテトが蹌踉めくのをレントが支えたのを確認し、ロアは顔の前で両腕を交差させて風を受け流すと躊躇うことなく地面を蹴る。

「おおおぉ――ッ!」

 気合一閃。

 捻れた花片がグルグルと解け、ロアの双剣がその一枚に突き込まれた。

 ズム、と鈍い感触が腕に伝わり、ロアは跳び離れて顔を顰める。

「んん……気持ち悪い感触だな。剣は刺さるけど……すぐに傷が塞がって反対に絡め取られる、みたいな……」

 その言葉が終わるより早く、眷属はギュルッと嫌な音を立てながらぐわりと花片を広げ、ロアに喰らい付こうとした。

「!」

 ロアが見たのはその中心――窪んだ深い位置に煌めく核だ。

 しかし、この花片に絡め捕られたが最期――内側を埋め尽くす細かな棘に斬り刻まれ、四肢の骨を砕かれるであろう。

「ハァッ!」

 そこに割って入ったガロンが攻撃を盾で弾き返し鋼の刃を振り抜く。

 花片の一枚、その先端をふたつに裂かれひるんだ眷属は、ガロンを包み込めるほどの巨躯を翻し上空へと舞い上がった。

「正しい評価だロア。こいつは刺しても再生していく――狙うなら花片部分ではなく核。……いけるか?」

「当然だろガロン! テト、レント。援護よろしく!」

 ロアは剣を構え直すと、しっかりと眷属を見据える。

 花片を下に向けて浮遊する眷属はゆっくりと回転しながらこちらを窺っているように見えた。

「人使いが荒いなぁ……。それじゃ、いくよロア。目には目を――花には花をってね。咲き誇れ――氷花ひょうか!」

 テトの声に空気が白銀の粒を纏い急激に気温が下がる。

 粒はたちまち寄り集まって巨大な蕾となると、眷属のさらに上空で弾けて丸い花を咲かせた。

 その花片は氷のつぶて――その集合体だ。咲いて広がる氷の花は眷属へと降り注ぎ、眷属は押しやられるように降下していく。

 それを見上げていたテトは金色の髪を弾ませて次の魔法を放った。

「逆巻け――風鎖ふうさッ! 行ってロア!」

「おう! ありがとな、テト!」

 風の鎖が絡まり合って循環を始めると……ロアが駆け出す。

「はっ!」

 彼はその風を踏み台に――上空へ高々と跳ね上がった。

「――レントッ!」

「お任せくださいロア!」

「おおぉ――ッ、いけえぇ――ッ!」

 ロアは回転する眷属のさらに高い位置まで到達すると逸らしていた上体を鞭のようにしならせ、落下の威力を上乗せした一撃を叩き込む。

『ギュルギュルッ……』

 眷属はその勢いで取りついたロアごと堕ちていき――その真下、左足を前に右腕を引いて構えたレントが息を吸った。

「……見えました、そこですッ!」

 吐き出す言葉とともに右腕が突き出され、ロアがその声を合図に離脱。


 ゴウッ、と。


 レント曰く〈闘気〉だという凄まじい威力を以て――彼の拳が眷属の中心に煌めいていた核を打ち砕く。

『ギュルギュ――』

 白い花片は抗うように大きく広がり、びくん、と鼓動して……霧散。

 あたりには吹き抜ける冷たい風の鳴く音だけが残された。

 新たな騎士団長の共闘を見守っていたガロンは――喉の奥が熱くなるのを唇を噛み締めながら飲み下す。

 ――これなら勝てるはずだ。

 そう思い、期待に胸を焦がしたのだ。

「……やったな!」

 そこで天空廊へと着地したロアが尾を勢いよく振りながら歓声を上げる。

 テトは「ふう」と息を吐くとぐるりとあたりを見回した。

「ここにいるのはとりあえず一体だけかな。この先は浮島『砂漠アレーナ』……ガロンさんの島だね」

「ああ」

 天空廊の先に広がるのは砂色の浮島。

 ガロンは薄紫色の瞳を眇めて少し考える素振りをみせた。

「――各浮島の避難が始まるはずだ。おそらく世話役たちが先導するだろう。俺たちはそれを援護しなければならん。……各騎士団の状況と避難準備は?」

「〈獣騎士団〉は問題ないはず。避難準備も進めてある……ただ、子が産まれる季節なんだ。身重や幼子の数が多いから避難に時間がかかると思う」

「〈闘騎士団〉は民の殆どが騎士のため避難に時間はかかりません。すぐに動けるはずです」

「〈魔導騎士団〉も動けるよ。避難もなんとかなるでしょ」

 ガロンは応えた三人に大きく頷くと渋い声で言った。

「わかった。〈鋼騎士団〉も問題ない。――では〈闘騎士団〉は『シルヴァ』に騎士の一部を派遣してくれないか。ロア、指揮は執れるな?」

「おう、大丈夫! ありがとな、レント」

「かしこまりました。気にしないでください、ロア」

 レントはロアに頷くと、空を振り仰ぐ。

 晴天のもと、空気はまだ朝特有の清々しさに満ちていた。

「……昼までには避難を完了したいところですね」

「そうだね。今日中に〈島喰い〉を相手にするかもしれないし、僕も明るい方がいいな。……〈魔導騎士団〉も急いで移動するよ、避難が終わったら援護に回るから。……あと、そうだ、これを」

 テトは懐から水晶を取り出し、三人に差し出した。

 拳大のそれは磨き上げられており、朱色、水色、白色にほんのりと光を帯びている。

「なにかあったら適当に砕いて。僕が認識できるから優先的に援護に向かうよ」

「おお……! すごいなテト! じゃあ俺はこの水色にする!」

 ロアが唇の端を持ち上げ、犬歯を覗かせて笑う。

「では私は朱色を」

「残りで構わん、恩に着る。……避難が終わり次第、各自援護に回れ。眷属の動向にも気を付けろ。……さて、オッサンは体に鞭打つとするかね」

 ガロンはそう言いながら剣と盾を収め、左眼の傷に触れる。 

「――ふ。なに言ってるんだよ、ガロンは全然問題ないだろ? それじゃ、またあとでな!」

 ロアが底抜けに明るい声を弾けさせると……皆はそれぞれ頷いて踵を返す。


『春告げ鳥』の喚ぶ嵐は――南十字サウスクロスト浮島群とそこに住まう彼らの未来を呑み込まんとしていた。

 

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