第12話

だが俺は、それ以上は動揺しなかった。


あの時感じた親近感というか、正体を得ない、気を許せるあの感じは、きっと。


きっとこの子は、俺の実の娘なんだ。


きっとこの子は、俺と同じように、それを感じとって、話しかけてくれたに違いない。考えすぎかもしれないが、少なくとも俺からはそう思った。


間もなく、葉月は、いや、一ノ瀬は、


...いいや違う。翠は。翠は、また話し始めた。





「私って一人称を捨てて僕と言ったのも、姓を偽ったのも、斉原さんに変に意識されるのを恐れてのことだったんだ。

斉原さんのこと、すぐ分かった。お母さんが、『あなたのお父さんは、病気で声が出なかった』って小さい頃言われたの、咄嗟に思い出したの。斉原さんの名前も聞かされた。この人が私のお母さんに捨てられた人で、きっと声が出なくて、嫌になって、私と同じで、辛いことがたくさんあって、死のうとしてるんだなって分かったの。」


「次の日持っていったサンドイッチ、私にとって、すっごく大切なものなんだ。お母さんがまだ暴力を振るわなかったころ、私に教えてくれた、たったひとつの料理なんだ。料理ってほどでも、無いかもしれないけどね。まだそんなのを大事に覚えてる私って、ほんとだめだよね...。お母さんは、もうとっくに嫌ったはずなのに...」



そこまで言うと、彼女はまた泣き出してしまった。声が出せない。言葉で慰めてやれない。

今日この時以上に、声が出なくて後悔したことは、きっとなかっただろう。


それにしてもあのサンドイッチ、いやに見覚えがあると思ったら。


あの女が昔作った、サンドイッチにそっくりだったんだ。

はっきりと思い出した。


弁当に入れてくれたサンドイッチ。

ピクニックに行ったときに一緒に食べたサンドイッチ。


...もうあの女は嫌ったはずなのに、いや、本当は、まだ嫌えてないのかもしれないな。だからこそ、こんなに落ち込んでるんじゃないか。


昔の思い出が甦って、涙が出そうになる。

が、この子の手前だ。まさか泣くわけにはいかない。

それに、俺にとってこの子は...

この子にとっての俺は、たった一人の...

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