第11話

「母子家庭なんだ、私の家。」


「お父さんはいるんだけど、1ヶ月もしないうちに、変わってくの。せっかく仲良くなったお父さんも、すぐ出ていっちゃうから、すっごく寂しくてね。その度に、お母さんに気づかれないように泣いてたんだ。そのせいで、もうお父さんと仲良くなるのはやめようって思った。」


「でも、それが裏目に出ちゃったみたいで。私がお父さんと仲良くしてないと、『そのせいでお父さんが家を出てくんだよ』って怒られて、酷い時には殴られるんだ。そんなわけないのにね。お父さんが出てくのは、きっとお母さんのその性格のせいだよねって、思ってたけど口には出せなかった。ほんとに殺されるって思った。死にたくなかったわけじゃないんだけど、死ぬときは自分で決めたいって思ったんだ。」


「そっから、とうとうお母さんも出ていっちゃって、私一人になったんだ。お小遣いなんてくれなかったから、親戚の人から毎年貰ってたお年玉切り詰めて、なんとか生活してたんだ。でも、もうお金が底を尽きちゃって、学校にも行けなくなって」


「ごめんなさい、上手くまとまらなくて...

本当はもっと話したいこと、言いたいこと沢山あるはずなんだけど...」


俺は、黙って彼女の話を聞いていた。

まだ泣き止まない彼女の背中を、ゆっくりで大丈夫だよ、と優しく撫でた。


「それでね。もう、頃合かなって思って。この屋上に来たんだ。飛び降りようって思って。もう終わらせようって思って。」


「そうしたら、斉原さんがいたんだ。私さ、小さい頃からお母さんが厳しくて、誰にも悩みを話せなくて、でも、なぜかこの人には話せるんだって、直感で思ったの。」


そこまで言って、葉月は黙り込んだ。


この子は、俺と同じだ。

俺も、家族に捨てられた。まだ家族と言っていいような規模ではないが、たしかにそこには、いや、この子も同じ。俺たちの「永遠とも思えた日々」は、いとも簡単に奪われたんだ。

はは、すごいよな。一人の人間に捨てられただけで、声がなくとも前向きに生きようとした自分を一瞬にして裏切るように、後ろ向きになり始めるんだ。

でも、この子は違う。それ以上だ。俺は虐待なんか受けたことないし、金銭的に生活難に陥ったこともないが、彼女の表情を見ると、それが痛いほど伝わってくる。


それにしても、不思議だな。彼女も俺のことを、出会ったその時から「この人なら信頼できる」なんて思ってくれていたのか。

どうしてだろうか...


「...ねぇ、斉原さん。」


「私さ、ひとつだけ、大事なこと隠してるんだ。これを言っちゃったら、斉原さんともう話せなくなるような気がして、ずっと秘密にしてたんだけど、もう、私の方が耐えられない。」




「......」





沈黙が続く。






「私の名前。葉月翠って、嘘なんです。」



...え?どうしてそんな嘘を...?




「一ノいちのせ 翠。私の本当の名前です。」




え.....?


『一ノ瀬 翠。私の本当の名前です。』


聞き間違えるはずがなかった。何度も頭の中で反芻した。



一ノ瀬。その姓は間違いなく。




......





俺を捨てた、あの女のものだ。

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