scene7-1

 ボウリングなんて久しぶりだから、以前使っていた十ポンドのボールでは重かった。一つ落として九ポンドにしたけど、なんか悔しい。そういうことは覚えてるのにな、と思いつつ、レーンの三角マークを確認して立つ位置を決める。ボールを胸の前に持ち上げたら、何やら視線を感じた。

 隣のレーンに人はいないし……もう少し首を向けると、ボックス一つ挟んで向こうのグループの男の人と目が合った。

 あれ。もしかして投げるの待ってる? 結構神経質な人なのかな。妙に盛り上がってたし、賭けでもしてるのかもしれない。

 慌ててあたしは向き直って、足を踏み出した。


 結果とか、聞かないでほしい。

 おかしいな。そこそこ出来ると思ってたんだけどな。ブランクのせい?

 お兄ちゃんもスコアはそこそこで、二人してなんとなくぱっとしない。


「おっかしいなぁ。お兄、パーフェクトとか出しそうな気がしたんだけどなぁ。フォーム綺麗だし」

「……何言ってんだ? こんなもんだろ、普通」

「やっぱり、かけてるのが悪いんじゃない?」

「関係ないって」


 スコア表を睨みつけながら出口へ向かう。並んでいたお兄ちゃんがふと足を止めて、振り向いた。


「アリウミ!」


 呼び声と共に伸びてきた手を、お兄ちゃんは捕まえる。

 え? 何? ナニゴト?


「人違いだ。触るな」


 お兄ちゃんに掴まれた腕を振りほどいたのは、さっき目が合った男の人だった。やや険悪な雰囲気に、あたしは慌ててお兄ちゃんの服を引いた。


「そんな言い方しなくても」

「アリウミ」


 お兄ちゃんに構うことなく、その人は視線に力を籠めてあたしを見る。


「え……っと。違います」

「違わない」


 ストレートすぎて、なんだかくらくらする。思わず後退さると、お兄ちゃんが間に割って入った。


「違うと言ってる」

「あんた、誰だ?」

「彼女の兄だが」

「アリウミに兄弟はいない。誰だ。みんなも、彼女のことになると何故か曖昧だし……あんなこと、忘れられるわけがないのに。……まさか、お前が、何か」

「リョウ!」


 別の声にどきどきしながらお兄ちゃんの背中からそっと顔を出すと、肩くらいまでのストレートの髪の小柄な女の人が彼の腕を引いていた。


「リョウ、落ち着いて。すみません。知り合いだって言い張って。ほら、違うって。迷惑だよ」


 ぴょこんとお辞儀する姿の向こうに、様子を見守っている人が二人。恰幅のいい男の人と、後ろで髪を縛ってる美人さん。みんな、あたしと同じくらいだろう。仲良いな、なんて思ったら、胸がきゅっと痛んだ。


「あ、だ、大丈夫です。こちらこそ、兄がすいません」


 あたしもお兄ちゃんの腕をとって、引っ張った。


「ほら、お兄、愛想ないんだから、せめて頭下げて!」


 ちらりとあたしを見て、眉を寄せたものの、黙って頷く程度にお兄ちゃんは頭を下げた。そのまま逃げるように外に出てしまう。何だか居たたまれない。どうしてだろう。仲良しグループが羨ましいんだろうか。あたしにもいたはずの、友達が。


「――アリウミっ」


 思いがけず、声は追いかけてきた。また振り返ろうとするお兄ちゃんを無理矢理引っ張り続ける。振り返ってはいけない気がする。車、どこだっけ。焦っているのか、停めた場所が思い出せない。


「アリ…………朋生!」


 名前の方を呼ばれて、反射的に振り返ってしまった。偶然? おんなじ、名前?

 足が動かなくなった。視線が逸らせなくなった。なんで。なんで、怒ってるの?

 追いついてきた彼の友達が、肩と腕を掴んで彼を引き留める。それをさらに振り払おうともがいて。なんで、そんなに――

 お兄ちゃんが、見るなというように、掌であたしの目を覆って引き寄せた。


「朋生! ふざけんなっ! 忘れんなって、お前が言ったんだろ! お前がっ、忘れてっ、どーすんのよっ!!」


 言葉が、突風のように吹きぬける。

 どっと涙が溢れた。膝の力が抜けて、顔を覆ってその場にしゃがみこむ。

 ああ。知ってるんだ。あたし、この人を。


「…………涼……」


 声にならない声でその名が口をついて出て、頭の中の霞が風に攫われていく。今までどんなに見ようとしても、この街にかかる霧のように後から後から湧いてきて、そこに居座っていたのに。

 全てがクリアになればスッキリするかと思ってたのに、降ってきたお兄ちゃんの溜息が、どうしてか心の奥をざわつかせた。



   ***



「トモキ」


 また違う声で呼ばれて、びくりと顔を上げる。

 お兄ちゃんも、涼も、誰もいない空間。前に一度見た景色。スーツを着た男の人が目の前に座っていた。

 相変わらず、椅子は見えない。

 体中がひやりと一気に冷たくなる。どう、したんだろう。ううん。どう、なるんだろう。

 涙を拭いて、ゆっくりと立ち上がる。


「……あたし……」

「大丈夫。これは夢だから」

「夢?」


 首を傾げるあたしに、男の人は微笑んだ。


「そう。夢。いつか見た夢。トモキが思い出した時に、思い出すようになってる」

「……思い出さなかったら?」

「それはそれで、また別の夢を見るんだろう。でも、思い出したんだろう?」


 頷いていいものか、少しだけ迷った。それが彼の望んでいたことか判らなかったから。


「トモキ、それはそれほど重要じゃない。オズは見つかったかな?」

「……わかりません」


 正直に答える。あたしは人間ヒトになれているだろうか。


「まあ、ゆっくり探せばいい。調整は上手くいってる。。片方は亀の如きだがな」

「ふたり?」

「聞いていただろう? 『ヒトの世界ではヒトのココロに干渉できるのはヒトだけ』」


 男の人は少しだけ意地悪く笑った。


「頑なに戻りたくないと言い張るから、少し長居をさせすぎた。出来れば戻ってきてほしくないんだが。ねぇ、トモキ」


 あれ? これは、この夢は、もしかしてあたしのために見せられてるんじゃない?

 質問を口に乗せるよりも先に、男の人は立ち上がって、綺麗な角度で頭を下げた。


「よろしく、頼んだよ」


 うわ。ずるい!

 なんか、もの凄くずるい頼み方をされた!

 何を、がどこにもないのに、まして夢だと言い切られていても、こんなの気にせずにはいられない。


「な、何をですか」


 我ながら、弱い。しらを切るなら、もう少し上手くやらないと。

 案の定、男の人は口元に笑みを浮かべたまま、小さく頷いた。


「夢だからね。解らなくてもいいんだ。無理強いをする気はないよ。それでも――ようやく見つけた可能性だから」


 男の人はお兄ちゃんがしたように、掌であたしの両目を覆い隠した。まるで、見えているところに答えはないというように。


「……初めから、それが狙いだったなんてことは」


 せめてもの反撃に、ふふ、と笑う声がする。


「トモキに不具合が出ていたのは間違いない。緊急性があったかどうかまでは、答えないがね」


 ええ……それって……もう。勝手だなぁ。何にも変わらなかったらどうするつもりだったんだろう。それとも、そんなことはお見通しなんだろうか。怒ってもいい事案だとは思うけど、怒りは湧いてこない。それは、あたしがヒトに戻りきれてないからなのか……


「トモキ。あの場所ではしっかりと自我を保たないといつの間にか空間に溶けてしまう。姿形だけではない。ココロも溶けていく。ヒトには自分を保つのは難しい。そういう場所なんだ」


 あたしは黙って頷く。長くいると文字通り消えてしまうかもしれない場所。あの人がそこに戻るのを、この人は――もしかしてあたしも――望んでない。

 これは、あたしが勝手に見てる夢だから、それが正しいかなんて誰にも分からない。

 だけど……つまり、きっと、たぶん、理由が必要なんだ。思い出してもなお、続けられる理由が――




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