scene5-1

■ 幸せの意味を知り損ねた自分ニンゲン



 トモキ――


 誰? あたしを呼んでるの? だって、あたしはもうないのに。

 涼に「ありがとう」も「ごめん」も上手く伝えられなかった。これが“死ぬ”ということだろうか。あたしは死んでしまったのだろうか。


「馬鹿なことを考えてないで、早く目を覚ましたらどうだ?」


 頬に軽い衝撃を感じて、あたしの脳はようやく正しく活動を始めた。


「――は」

「面倒をかけるな。回収するだけで一苦労なのに」


 目の前には、サングラスをした茶髪のあの男が、片膝を立てて覗き込んでいる。

 ――回収……

 そうだ。あたしは「回収」されたんだ。

 半身を起こして、ゆっくりと周りを見渡してみる。

 広、い。

 それしか感じなかった。何もない。ただ、空間だけがそこに広がっている。どうにかすれば気が狂いそうな、そんなところ。

 軽く目を閉じて、あたしは小さく溜息をついた。


「どうした」


 男の声には感情が見えない。けれど、さっきまでより冷たく感じないのは、頭に響く声じゃなくて、直接耳で聞いているからだろうか。


「あたし、ここに放置されるの?」

「お前の処理は、あの方が決める。さあ、立つんだ」


 あの方?

 誰の事だろうと訝しく思いながら、あたしは促されるままに立ち上がり、彼の指し示す方向を振り返る。


「アリウミ・トモキで間違いないな」


 静かに、その男は言った。

 何もない空間に、まるで椅子にでも身体を預けるかのようにしているその人は、見たところ三十代の落ち着いた男性という風に見える。深いグレーのスーツに身を包み、人間然とはしているが、彼を包む雰囲気はどうにも異質だ。

 瞬きの少ない、青い瞳がそう思わせるのかもしれない。

 肘掛けに頬杖をついたような格好のまま、彼は続ける。


「警告は何の意味も成さなかったか?」

「……え?」


 質問の意味がよく解らずに、あたしは小さく声を上げる。


「“彼”は警告だった。それは解るな? しかし、何の警告かは、理解できていなかったようだな」

「――それは、三日間の猶予をくれたことですか?」


 少し緊張気味に訊く。


「そう。何のための三日だったか。トモキには最後のチャンスだった」

「チャンス……」

「回収されないための」


 回収されないため?

 何を、言うのだ。あたしは、回収されるというから、だから覚悟を決めたのに。そうと言ってくれれば、もっと――もっと……何か努力しただろうか? そこに在り続けるために足掻いただろうか。

 今考えてもわからない。どうすればいいのか、どうすれば、良かったのか。


「過ぎたことを言っても、仕方ないでしょう。時間は戻らない。彼女はここにいる」


 冷ややかな声に、はっとさせられる。そうだ。どちらにしても、もう遅い。

 スーツの人は苦笑のようなものを浮かべて、そっと目を閉じた。


「……そうだな。トモキ」

「……はい」

「トモキがヒトになり損ねた理由を理解しているか?」


 人になり損ねた……理由?

 わかるような気もするけど、あたしはゆっくりと首を横に振った。


「では質問を変えよう。タナベ・トモヤ。彼をどう思っていた?」

「――智也?」


 告げられた名前に、生きていた頃の智也の姿がフラッシュバックする。大きくは変わらない表情。時々、子供じみた悪戯を企んでいて、目が合うとにやりと笑う。ふざけるときは率先してノる癖に、さりげなくみんなに気を配っていて、集団に遅れていそうな人を最後まで待っていたりする。

 思い出は映画のように、ドラマのように、辺りに浮かんでは消える。

 彼はみんなに優しかった。誰も特別じゃなかった。あたしも、彼のようになりたかった。


「彼の“特別”になりたかった」

「そっ……! 違う。そう、思ったこともあったかもしれないけど、でも……!」


 次に周囲には美由の姿が、彼女の笑顔が、智也の姿に重なって、あるいは置き換わって、消えていく。


「マノ・ミユ。彼女と争いたくなかった。それだけのために“なかったこと”にした。そこまでは、まあ、ないことじゃあない」

「え?」


 それが理由だと、それがいけなかったのだと言われると思っていたから、驚いて、少しほっとする。


「上手く処理できないまま、彼が死んだ。時間があれば、彼女が彼と上手くいっても、結局ダメで慰めるにしても、“なかったこと”にしたココロの代わりに何かが芽生えただろう。でも、彼はいなくなった。大きな街での単調な毎日も拍車をかけた。失くしたココロが埋められなくて、徐々にトモキを蝕んでいった」


 泣けなくなった。馬鹿笑いすることもなくなった。怒れなくなった……心当たりがあって、じわりと怖くなる。


「無意識で「オズ」を探していただろう?」


 隣にいた茶髪の男が口を挟んだ。

 妙にしっくりくる例えに、あたしは茶髪の男を見上げて、サングラスの奥の瞳を確認するように覗き込む。


「オズ?」

「そうだろう? ヒトになりたがってた。いや、戻りたがっていた。そして、ヒトになる方法も知っていた」


 ……確かに、確かにそうかもしれない。あたしにココロをくれる、そんな誰かを探していたかもしれない。

 感情のない瞳はあたしを黙って見つめ返している。


「この三日は、そういうことだった」

「……でも……三日じゃ……」

「その前には二年あった。可能性も、知っていただろう?」


 涼の、ことだろうか。


「――だって……だったら、どうして……」


 サングラスの奥の瞳から、スーツの男へと視線を移して、あたしは絞り出すように言った。


「……あなたが、オズではないの?」




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