scene4
「回収は免れないか?」
男はゆったりと言を紡いだ。
「手遅れなのでしょう?」
振り向きもせず、もう一人の男は抑揚のない声で答える。
「……その姿、だいぶ定着したな」
「そうですね」
「戻る気になったかな?」
「なぜ? この姿は警告です。彼女にも解りやすい、目に見える」
先に声をかけた男は、ゆっくりともうひとりに近付き、サングラスを外してその瞳をしげしげと覗き込んだ。
「それにしては、芸が細かい」
「何を言いたいのです」
男の手からサングラスを取り返した茶髪の男は、冷静に一歩引いた。
「懐かしくなったのかと思ってね。彼女は、言わば君のお仲間だ」
「人になど、戻りませんよ。彼女もどうでもいい。俺は貴方の言うとおりに動いているだけ」
「そうか……それで? 反応は?」
「多少揺れたようですが、決定を覆すほどじゃない。おそらくこのまま、何も変わらない」
顎に手をやり、少し思案して、男はその場に腰掛けた。あたかも、そこに椅子があるかのように。
「時間、とやらは? 期限まではどのくらい?」
「あと少し……あちらの単位で一時間を切りましたから」
***
星を見に行こうよ。
二十三時を過ぎた時計を見ないふりをしながら、あたしは涼を促した。
「……いーけど。そ、いや、お前、今日どこ泊まんのよ」
「ここ」
「は、ぁ? 俺、明日も仕事なんですけど」
「いいよ。涼は帰っても。この車はもらった!」
「なんてこった!」
いつも冗談しか交わさない会話が、こんな所で役に立つなんて。少し皮肉のような気もするけど、でも、本当のことを言ったところで信じてもらえないなら、同じこと。
今日なら、満天の星が見えるはず。最高の場所をあたし達は知っている。
広い広い湿原の一角。すれ違う車も無く、深い闇の中を滑るように走っていく。
樹から美由に連絡は行ってるんだろうか。行ってるはずだな。二人ともきっと半信半疑なんだろうな。で、まずあたしに電話して、繋がらないからって涼に電話して。見えるみたいだ。
あたしのスマホは電源を切ってしまってる。涼のは……たぶん、上手い具合に圏外なんだろう。郊外に連れ出したのはそういうのも期待してだった。
あたしが消えるっていうのは、存在が消えるだけなのかな。痕跡まで消えて、みんなの記憶からも消えてしまうんだとしたら――
あたしはそこで目を伏せて考えるのをやめる。
消えた先を心配したってしょうがない。あたしは、そんなことを考える必要もなくなるのだから。
「寝るなよー」
「……寝てないよ。ちょっと考え事してただけ」
「お前でも、考え事っ」
「そーーよぉ。あたしくらいになると、考えることが山積みでっ」
「ばか。世の中なんてのはなぁ、考えない方が上手くいくんだって。俺を見ろ!」
「我儘女に付き合わされて、遅くまでドライブさせられてる男が見えます!」
「勘弁してよー」
ひとしきり、お互いふざけて。
でも、と、言葉が浮かんだ。
でも、忘れられたくない。
我儘かもしれない。調子のいいことかもしれない。でも、それでも、それくらい言わせてほしい。本当は、もしかしてずっと昔からそう思って生きてきたのかもしれない。離れていく時はいつでも。
エンジンの音が止まって、ヘッドライトも消える。
少し緊張しながら外へ出て、空を見上げた。
「――――――」
しばらく二人とも声も無かった。声も無く、身動きも出来ずに、ただ空を見上げていた。
こんなに星ってあっただろうか。天の川は、けぶったように霞んで空に横たわっている。それを挟み込むように、こと座のベガとわし座のアルタイル。織姫と彦星が一際明るく輝いている。天の川の中に、はくちょう座のデネブを見つければ、夏の大三角を完成させられる。以前にみんなで来た時も、指を差しつつ探したっけ。
柔らかい風が頬を撫でると、周囲の草がさわさわと揺れた。
どのくらいそうしていたのか。あたしは時間がないことに気付いて、張り付きそうな喉をこじ開けた。どれだけ、話せるだろう。
「……涼」
「……ん?」
「今日、ありがとう。急だったのにあちこち……ご迷惑かけて、すいませんでした」
「いえいえ、別に」
呼吸をひとつ、整える。
「もしも、あたしがいなくなっても、みんな、変わらないかな」
「あ?」
上を向いていた涼が、あたしの方を向く。向いた、気がした。
「いなくなる?」
声が硬い。
この暗さでは、手の届く距離にいたって、顔なんか見えない。辛うじて月明かりで人の輪郭が見えるくらいだ。
「ごめん……」
「っあぁ?! お前……どーしたのよっ」
「迷惑かけるかもしれない。だから、ごめん。樹には手紙、書いたんだけど――」
あたしも星から目を離し、真直ぐ涼の顔を、涼の顔だと思うところを見つめた瞬間、だった。
何を言いたかったのか、どうしたかったのか、頭の中が白一色に染まった気がして、息を呑んだ。
何度も聞いた声。頭の中に響く声。
――タイム・リミット
「涼っ」
知らず、あたしは叫んでいた。
「忘れないでっっ――」
涙のひとしずくが落ちたのを誰も――本人さえ、知らずにいた。
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