scene3-2
予想通り……と言おうか、夕刻にはそれは見事な夕焼けが広がっていた。空を赤みがかった紫からピンクを混じえた朱、そしてオレンジへとグラデーションさせて黄色い太陽が海へと沈んでいく。
晴れた日にいつもこんな空が見られるという訳じゃない。海からやってくる霧が街をすっぽりと包みこんでしまうことも多いからだ。街灯の明かりが夜霧にぼんやりと滲む光景も風情があるけれど、今日ばかりはこの景色が見られて良かった。
春夏秋冬、それぞれを表した女性の像がある、そこそこ有名な橋の上で、あたしは欄干へと身体をもたせかけていた。
空の色は秒刻みで変わっていく。こんなにゆっくりと空を見たのは初めてかもしれない。最初で、最後になるのかも。
河口近くに建つ商業施設は、開業当初こそお洒落な店が入ったデートコースだったけど、今ではほとんど撤退してしまって、市場と観光客相手のお土産屋ばかりになっている。それでも併設された小さな植物園や、護岸に見える炭火焼と書かれたテントにぽつりぽつりと人が出入りしていた。
この場所なら景色を見ても、建物に入ってベンチに座ってもいられる。涼の会社からもそう遠くないし、分かりやすい。現在地を涼に地図付きで送って、あたしはのんびりと待っていた。
待つことには慣れている。
心の中で呟いて。
時刻表示は十九時ちょっと過ぎ。
待っていられる。きっと会える。たとえ、秒単位だとしても。
カモメが目の前を横切った。風が髪を攫う。空の色は次第に蒼を濃くしていく。もうすぐ、闇に変わる。
――アッテ ドウスル?
不意に、目の前の、闇に溶けかけている蒼が声を発した。
欄干の向こう、重力なんて初めから無いもののようにそいつは立って――浮いて?――いる。
「うるさいな。いいでしょ」
――ナニモ カワラナイノニ
「それは、あたしの自由、だよ」
――ジカンガナイ
「まだ今日は終わってない」
――オマエナド スグニワスレラレル
男の嫌な笑みに眉を顰めて、思わず睨み返す。すぐに言葉が出なかったのは、図星を刺されたからだ。
「……いいよ。それでも」
サングラスの向こうの瞳が、わずかに細められる。
「それでも、あたしが会いたいんだから」
くくっ、と声を出さずに喉の奥で笑いながら、男はあたしの耳元に顔を寄せると呟くように言った。
――ジコデモオコシテナイトイイ スコシ メカクシスルクライ ワケモナイコト
一瞬、時間さえも止まったかと思った。
あたしだけじゃなく、涼にも干渉するっていうの? 何のために? 「人」ではないから、出来るっていうの? 出来るっていうんだとしたら、だと、したら――
許せない。
あたしの回収は涼にはなんの関係もないことだ。それで涼に被害が及ぶのは納得できない。
頭に血が上って、勢いで欄干にかけた手に力を入れて身体を持ち上げる。この上に登れば、一発くらいあいつをぶん殴れるかもしれない。
「――有海!!」
腰を掴まれ、ぎょっとして振り向く。
「何やってんだ! ばかっ!!」
欄干から引き離されて、見たことも無いような顔で怒鳴られる。何故怒鳴られたのか解らなくて、ぽかんと涼の顔を見上げてしまう。
「……涼?」
「なんだよ、その顔……」
相当間抜け面だったんだろう、顔を顰めて涼が離れてから、あたしの心臓は騒ぎ出した。
お、どろいた。驚いた。驚いた!
「何度呼んだと思ってんだよ。泳ぎたいなら、プールにしとけよ」
「お、泳ぎたかった訳じゃ……」
目を向けても、もうあの男はいない。ばくばくいう心臓を軽く押さえる。
どういうつもりで、あいつは。心の中で悪態のひとつでもついてやる。
「もっと、良く見えるかなって……」
「あぁ?」
すっかり闇に沈んだ海にはぽつりぽつりと漁火が見える程度。そうか。飛びこむかと思われたのか。
「とりあえず、乗れよ。適当にしか停めてないからやばい」
「あ、う、うん。ごめん」
涼の車は斜めに停まっていて、運転席のドアは開けっ放しになっていた。車通りが多くないとはいえ、これはよろしくない。
涼は運転席に乗り込んで、まず煙草を一本咥えた。火を点けて、窓を開けてから発進させる。
外に吐き出す煙がいつもより細く長い気がして、あたしはもう一度謝罪した。
「……ごめん。勘違いさせちゃったみたい?」
「んー? ちょっと? 電話も急だったし」
「驚かせようとは思ったんだけど、別の方向になっちゃったなー」
軽い調子に、涼は左手を伸ばしてあたしを小突いた。小さく笑う。
空気が解れたところで、ぼんやりと光る時計表示に目が行って、あたしは息を呑んだ。二十一時ちょうど。
あの男とそんなに長く話してはいなかった。時間を、刈り取られた? そんな。まさか。涼と会うのを邪魔したいような雰囲気だったけど、そんなことまで? だったら、だとしたら……あたしなんて。
改めてぞっとして、思わず自分を抱きしめる。
「――寒いか?」
横目で見て、窓を少し上げながら、涼が聞く。
「寒いわけ、ないでしょ。エアコン、入れてる?」
「入ってます」
夜でよかった。少しでも表情が隠せる。隠してどうなるものでもないのだけれど……
「で? どーすんの?」
「そ、だねぇ。とりあえず……夜景、見に行きたいねぇ」
「夜景? わっかりました。コンビニ寄っていい? 腹減って」
「いいよー。あたしも食べてない」
「食ってないのかよ。なんか食うか?」
「コンビニでいいよ」
なるべく、人目のある場所は避けたかった。
――ドウスル?
男の声が耳に残っている。そうだよ。何もできないよ。だけど、だけど……そう、せめてお礼くらい。お礼くらいは言っておきたい。優しかったこの人に。なんだかんだ無茶を聞いてくれるこの人に。
何をどう告げればいいのか、まだわからないけれど――
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