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■ たったひとつの真実ホントウ



「突然すみませんでした。お世話になりました」

「まだいてもいいのよ? 美由は仕事だけど……」

「行くところもありますんで」


 名残惜しそうなおばさんに笑顔を向けて、軽く会釈する。


「朋ーーー。母さんもいいかげんにしてっ。行くよ」

「行ってらっしゃい」


 呆れ顔の美由に半ば引きずられるようにしながら、あたしはにこにこと手を振っているおばさんに手を振り返す。

 世間一般、通勤時間と呼ばれているこの時刻、空気はまだ爽やかさを含んでいる。

 晴れて、良かった。

 漠然と、そんなことを思った。

 昨日遅くまで話していたせいでいささか寝不足だけど、そんなことも忘れてしまえるくらい気分良く晴れている空。夕方にはきっと最高の夕焼けが見られて、陽が落ちれば最高の星空になるだろう。


「――朋」


 もう、会社に着くという時、不意に美由は真顔になった。


「……ん?」

「涼のこと……涼と、今のままでいいの?」

「何? 今頃」


 昨夜はそんな話カケラも出なかった。


「今だから聞くんだよ。なんか、あったんでしょ? だから、急に……」

「えぇ? そう、かな? そう、見える?」


 流石に何かあったことはわかっちゃうか。一瞬強張った顔を、すぐに笑顔へと変える。


「涼、嫌い?」

「まさか」


 じゃなきゃ、連絡なんて取りあわない。


「……あんまり、無理するんじゃないね」

「大丈夫。お姉さんは能天気ですので。ほら、遅刻するよ」


 美由が何を心配してくれているのか、よくわかっているつもりなので、微笑んでガッツポーズをとるだけにとどめておく。

 何度か、彼女の前で泣いたことがある。どうしようもないような、そんなことで。

 ただ、智也の葬式以降は誰の前でも微笑わらっていたような気がする。辛いことも、悲しいことも、誰かのために怒ることも、無くなったような気がする。

 元々強がりで、だから、今もきっとひとりで何かを抱えていると思われたのかもしれない。

 こんな軽装で長期旅行? いくらなんでもおかしいと気付かれて当然だ。

 何度も足を止めては振り返る。そんな美由が完全に見えなくなるまで、あたしはそこに立って手を振っていた。



   ***



 三日なんて、あっという間なんだなぁ、なんて、しみじみと思ってしまう。

 小さな地方都市の繁華街なんて、見るところもほとんどない。太陽は本領発揮というように照り付けて、気温をぐんぐん上昇させていた。あたしは街をそぞろ歩いた後、唯一の映画館で適当な映画を一本見て、近くのカフェでランチを取った。

 昼休み後半の煙草タイムを予想して、涼に電話をかける。これで繋がらなかったら美由の時みたいに会社に直接かけるしかない。あたしは色んな意味でドキドキしながら、コール音を聞いていた。


 規則正しく繰り返される音を三十以上は数えただろうか。繋がる様子のなさに溜息をつく。一旦切ると、スマホの画面を睨みつけた。

 会社にかけるべきだろうか。いや、もう一度。もう少し時間を空けて……

 冷めてしまったカフェオレのカップを持ち上げた時、置いたばかりのスマホが震えた。表示された名前を見て、慌ててタップして耳に当てる。


「も、もしもし」

「もしもし……電話、何?」


 不機嫌そうなのは、仕事の邪魔をしてしまったからだろうか。それでも折り返してくれたことに感謝する。


「うん。ごめんね、急に」

「いや……うん。なした?」

「んーとね、仕事終わったら、会えないかなって」

「あ? お前、何ふざけてんのよ。週末じゃあるまいし」


 初めの声が大きく響いたからか、途中から涼の声は妙に潜められた。誰か傍にいるのかもしれない。


「ちょっと、今日しかなくて。今、こっちに来てるから。だから……遅くなる?」

「は? 来てる? ちょっと……わかんね」

「そっか。じゃあ、終わったら連絡して? 適当に時間潰してるから」

「本当に何時に終わるかわかんねえぞ?」

「いいよ。だったら。待ってるから」


 少し、間が空いた。


「お前……マジ? 本当にこっち来てんの?」

「嘘言ってどーすんのっ。電話までして騙したりしないよ」


 不審そうな声に、思わず強めに返してしまって、慌てて辺りを見渡す。

 信じていても、いなくても、とにかくあたしは待つつもりでいたから。何時間でも。来ても、来なくても。最後に涼には会っておきたかった。それだけ。


「……わかった。なるべく早く終わらせる」

「いいよ。急がなくても。来てくれれば。じゃ、お仕事中ホント、すいませんでした」

「はいはい。じゃ、な」


 通話が切れても、しばらくあたしはスマホを耳から離さなかった。

 あたしに残っている時間はあとどのくらいある? その時間で出来ることはどのくらいある?

 樹への手紙はもう着いてるだろうか。でも、樹がそれを見るのはもう少し先の話。

 あたしがいなくなって、何か変わるものがあるんだろうか。変わらないでほしくもあり、変わってほしくもある。何もないなんて、少し哀しい。

 親が転勤族だったあたしは、何度か同じような気持ちを味わっていた。いつも離れていく方だったから、残される方の気持ちは想像しにくいんだよね。


 智也がいなくなって、彼を中心に集まっていたあたし達は少し変わった。相変わらず何か理由をつけてみんなで集まってはいたけど、少しずつ個々で取る連絡が増えていった。それは進学や就職で、学校で会うようにはいかなくなったせいでもあるんだけど。

 樹と忍、あたしと涼、涼と園子、美由と樹……想いの絡んだもの、絡まないもの。あたしと涼は、どうだったんだろう。


 智也がいるときは二人で連絡なんて取らなかった。彼がいなくなって、樹に話を聞いて、涼はあたしに同情したのかもしれない。この街を離れてからの方が頻繁に連絡をくれるようになって、ちょっといい雰囲気になったこともある。でも、その度お互い誤魔化した。遠距離なんて無理無理。そう言って友達からはみ出すことはなかった。

 だから、最近園子と連絡取ったり遊んだりしてるって聞いても、そうだよなって、それが自然な流れだよなって納得していた。確かに、少し寂しさはあったのだけれど。

 遠い街に暮らすあたしは、その寂しさと仲良くやっていくしかない。


 昔のこと、最近のこと、とりとめもなくつらつらと頭の中を流れていく。

 目の前には一本の道しかありはしないのに。

 最後に、そこに辿り着いた時、ようやくあたしはスマホをしまい、涼しいカフェから照りつける夏の太陽の下へ足を踏み出したのだった。




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