scene2-2

 懐かしい風景を渡り歩いているうちに、高校生の頃を思い出す。美由や忍や園子と今日はこの道、明日はあの店、そうやって過ごしていた。いつもおまけしてくれたたこ焼き屋も、チーズや納豆が入った変わり種を売りにしていた大判焼き屋も、店を閉めていて少し寂しくなる。

 湖の見える公園のベンチで休憩中に、まだ仕事中の美由に連絡を入れてしまうことにした。

 仕事終わりの時間まで待つつもりだったけど、今声を聞きたい。あの娘の優しいソプラノ。

 ジーンズのポケットからスマホを取り出して、会社の代表にかける。仕事中はスマホの電源を切っているはずだから。

 慣れた対応の交換のお姉さんが、すぐに繋いでくれた。


「はい。お電話代わりました。麻野まのです」


 ああ、変わってない。

 以前に連絡を取った時からそれほど時間は経っていないはずなのに、妙に懐かしい。いつもは文字だけのやりとりだからだろうか。


「もしもし?」

「――み、ゆ」

「え?」


 困惑した声。かかってくるはずのない電話。


「美由、今、何処だと思う?」

「……って、え? 誰? どこって……」

「あーーー。水臭いなぁ。あたしの声、忘れちゃった?」


 悪友の軽口に数秒絶句して、美由は恐る恐る確かめる。


「――朋、生? ほんとに?」

「はーい。ぴんぽーん! 朋生ちゃんだよ」

「え、何? なに? どうしたの? 仕事中?」


 状況が全く理解できてない。ま、当然だよね。


「そっちこそ、仕事中にごめんね。あのね、来てるの」

「来てる? どこへ……え? 来てるって……に?!」

「うん。そう。来てるの。泊めてほしくて。駄目なら何とかするけど、終わる時間教えてよ。適当に待ってるから」

「駄目じゃないけど! 今日ちょっと早くは出られないかも……もぅ! 前もって言ってよ!」

「ごめんごめん。驚かせたくて」

「もう!」


 しばらく間が空いた。何か確認している雰囲気が伝わってくる。


「早くても七時」

「うん。了解。急がなくていいよ。待ってるから、終わったら連絡して」

「はーい。じゃ、後で」

「うん。後で」


 通話が切れてホーム画面に戻ると、溜息が漏れた。

 美由は一番気が合って、美人で。でもちょっと危なっかしくて、何かあったら守ってあげたくなる人だ。

 守ってあげたい。悲しみや苦しみからも。もしもあたしが男なら。男だったら、もっと違う形でそうできたのに。今の自分じゃ出来ないことの方が多くて悔しくなる。

 彼女自身、そんなに弱いわけじゃないから、これはあたしの勝手なんだろう。

 解ってる。解ってはいるんだけど……

 じり、と照りつける太陽を見上げて、煙草を咥える。


「怒る、かな」


 何も、何ひとつ、彼女に語る気はなかった。

 樹が多分電話を入れるだろう。

 きっと全てが終わる時に、きっと彼女は間に合わない。

 そうなることを望んだこと自体、怒るに決まってる。解るよ、手に取るように。

 そういうところ、あたしたちは似てたもんね。

 けれど、ね。だから、ついておきたい嘘っていうのがあるんだよ。

 全部真実ホントウで生きてる人なんていやしない。全部嘘で生きてる人なんていやしない。


 は彼女の望むことをひとつでも多く叶えてあげたかった。それはホントウ。だからあたしが智也のことを好きかもしれない、なんて思ってはいけなかった――じゃあ、これは?

 間違っていたと? 些細なことで嬉しそうに笑う美由を見ているのがとても好きだった。智也と美由が上手くいってくれればいいと思ってた。それも、嘘だと?

 一体、誰が嘘と本当を決めているのか。

 流れなかった涙も嘘なのか。


 風に流れる白い煙を、あたしはぼんやりと見送った。



   ***



「お、ひさ」


 小走りに駆けてくる美由に、とても久しぶりとは思えない態度で声をかける。


「おひさ、じゃないよ!」

「驚いた?」

「驚いた」


 拗ねたような声とは裏腹に顔は微笑んでいる。


「髪、切った?」

「あ、これ? うん。随分前だけどね。伸びてきたんだよ、これでも。美由は伸びたねぇ」


 肩につくかつかないかくらいの髪をぱさぱさと払いながら歩き出す。美由のひとつに縛られた髪は、歩くたびに背中で跳ねていた。

 もう、何度歩いたか分からない美由の家への道筋。自分の家に帰るのと同じくらいには慣れている。


「なんか、ほんとに久しぶりだよね。こうやって朋と二人で歩くのって」

「ほーんと。こうやってると高校の時みたいだよね。やっぱ、こっち好きだな」

「帰ってくれば?」

「そーしよっかなぁー」


 笑いながら、軽いノリで話しを進める。

 好きなのに。

 なのに離れた。望んだのは、自分?

 親の転勤にかこつけて、就職口が数あるからと大きな街へ出た。

 たったひとり居なくなっただけの街。それだけで空気が違うような気がして。


「いつまでいるの?」


 馬鹿馬鹿しい言い合いの途中、思い出したように美由は聞いた。


「ん? んー……と。明日、までは確実にいる、けど」


 不思議顔の美由に、あたしは笑顔を向ける。


「泊めてもらうのは今日だけでいいから。あちこち、行きたいトコあるんだよね」

「なーにぃ。もしかして長期休暇で一人旅なの? ずるーーーいっ」


 ぱしぱしと叩こうとする手のひらを笑いながら避ける。何発かはあえて受けたけど。


「智也に挨拶は?」

「あ、暇だったから行ってきた。そーいえば、今年三回忌?」

「うん。ヒマ見つけてみんなで集まるって。来るでしょ?」

「みんな暇人だねぇ」

「いやいやいや。騒げる口実が欲しいだけよ」

「知ってた!」


 答え辛い問いはのらりくらりと横道に逸らして、なるべく軽い方に持っていく。

 言える訳がない。明日、消えます、なんて。

 苦しいことも、楽しいことも、お互いがお互い話し合えてた頃には戻れない、なんて。

 強くならなければいけない? 大人にならなければ? 何を失っても、やっていけるほど?

 あたしはそれを美由に望んでる? 本当に望んでる?

 ――否。答えは否。

 だってあたしは。強かったはずのあたしは、消されようとしてるから。


「そういえば、朋、涼から連絡行ってるの?」

「――は?」


 急に真面目になった声と、その内容にあたしはかなり意表を突かれた。


「くる……けど、なんで?」

「なんで、じゃないよ。いくら鈍い私でも、涼が変わってくのくらい気付くよ! 誕生日のプレゼント選ぶのも手伝わされたし!」


 口元を綻ばせているあたり、碌な想像をしてないに違いない。


「あ、のね。あいつってそーゆー奴じゃない? 元から。なんか、友達大事にするっていうか、優しいっていうか。それに、別に変わってないよ」


 変わっちゃいない。あたしが、この街を去ってからずっと。何を考えてるのか、慰めてくれてるつもりなのか、いまだに連絡を取り合っている。


「変わんないってトコが変わってる証拠だよ」

「えぇ?……何それ。だいたい、一番最近の話では、園子そのこといい感じだとか聞いたけど」

「え?! 何それ! 聞いてない!」

「だーかーらー。あいつの話は真面目にとりあっちゃダメなの。あたしにラインするのだって、暇なのに相手がいない時くらいだって。あたしがいつでも暇だと思ってんだよ」

「……えー……」


 美由は納得いかなそうにちょっと口を尖らせたけど、その話はそこで打ち切られた。目の前には彼女の家の明かりが見えていて、美味しそうな匂いが漂っている。お腹が鳴りそうになって、あたしたちは小走りで玄関になだれ込んだ。

 美由が連絡しておいてくれたんだろう。にこにこと優しい笑みでおばさんは迎えてくれた。料理上手なおばさんの手料理を堪能して、世間話に花を咲かせる。美由がしびれを切らして腰を上げるまで。


「もういいでしょ! ほら、朋、上行くよ」

「あら。久しぶりなのにぃ。じゃあ、デザート持って行ってね」


 笑ってアイスクリームとフルーツを盛り付けはじめるおばさんを手伝いながら、美由は先に上がって、と手を振った。

 何も考えずとも階段の電気を点けられて、どれだけこの家に通ったのかと少し苦笑する。

 美由の部屋もあの頃と何も変わらない。クローゼットにかかる服が少し大人っぽくなったくらいだ。学校に近い美由の部屋は、あたし達のいいたまり場で。おやつやジュースを買い込んでは、流行りの曲をかけながらおしゃべりしてたっけ。

 ゆっくりと部屋の中を見渡すと、“最後”という言葉が胸に沁みた。

 目を閉じて、想いを噛みしめる。静かに。静かに――

 瞳に映った全ての物を、記憶の中に閉じ込める。


 ――アト イチニチ


 解ってる。解ってるよ。でも、あと一日あるでしょう? まだ一日あるでしょう?

 そっと目を開ける。正面、まだカーテンの引かれていない窓にはあたしが映ってる。その向こう、あるいは、あたしの後ろに、墓場ですれ違ったあの青年が見えた。

 そんな不条理なことでさえ受け止めてしまえる今の自分が、少しだけ怖かった。


「朋ー、開けて」

「はーい」


 美由を迎え入れるため、振り返る。もちろん、彼はいない。もう一度窓を振り返っても彼はいないんだろう。解ってる。解ってる……

 彼の存在は警告――




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