scene2-1

■ ヒトになり損ねた理由ワケ



 きっとここにはいつも人が来ている。

 周囲の小ざっぱりとした草丈と、仏花の新しさからそれが窺えた。


「幸せモン、だね」


 海に面した丘の上の墓地に、智也は眠っている。まだお盆には早すぎるから、人影はほとんどない。

 この場にあまりにも不似合いな、一抱えもある花束をそこに立てかけて、線香に火を点けた。

 しゃがんで合わせた掌の隙間から蝉の声が漏れてくる。ジーと連続するその鳴き声は、ゼンマイが巻き戻る時の音に似ていなくもない。


「忘れちゃったな。……何がホントか、なんて」


 二年、過ぎた。

 田辺たなべ智也ともやが帰らぬ人になって、二年。

 突然の事故。よくある話。

 ずっと彼に思いを寄せていた美由みゆは、式場で声を殺して泣いていたっけ。

 彼を好きだったのは彼女だけじゃない。みんなそう、みんな。口には出さずとも、彼を慕って、集まって……

 そんな中であたしは。……あたしは――



   ***



「美由、美由? 大丈夫? 外、出ようか? ほら、立って」


 いいかげん、人の中に居辛そうな美由を連れて会場の外へ出る。ひんやりとした廊下に化粧室の表示を探して。


「ロビーで待ってるから、落ち着いたら、出ておいでね」


 小さく頷いたのを確認して、元来た廊下を戻っていく。

 人気のないロビーの椅子にすとんと腰を落として、何気なく天井を見渡してみたりして。


「有海」


 誰かに呼ばれて視線を下ろしていくと、涼の姿がそこにあった。


「……ん? 涼も、休憩?」

「いや……まぁ……。大、丈夫か?」

「何? 美由? うん。ま、ね。ショックなのは解るし……どうしようも、ねぇ?」


 苦笑したあたしを、涼は怖いくらい真直ぐ見つめていた。重さを感じられそうな沈黙に、居たたまれなくなって足元に視線を落とす。


「お前、だよ」


 ぼそりと吐き出された言葉は、誰もいないロビーだったから耳に届いたんだと思う。それでも初め、それが何を意味しているのか解らなかった。


「え? なに……?」


 再び上げた視線は、もろに涼のそれとぶつかった。


「智也のこと……お前……」

「へ……? ん、な、ぁ!?」


 裏返った声に、慌てて口を押える。

 何を言ってるのか、この人は。知るはずがない。だって、以前にうっかり零した相手は……


「……樹……樹だね? もぉーっ、余計なことをぉぉ!」


 もう涼の瞳を真直ぐ受け止めていられない。溜息ひとつ。


「全然……っていったら嘘になるけど、そんなんじゃないよ。ほら、涙も出ない。子供を助けようとして、なんて智也らしいけど、それで自分がなんて間抜けすぎて呆れちゃう。みんなを、悲しませて……」

「そうやって、」


 あたしの声の中に涼の声が紛れ込む。


「強がんなよ。こんな時くらい泣いたって、誰も何も言わないぞ」

「……だろうけどね」


 泣けないのは、仕方ないと思うんだけど。無理してる訳でもないし。

 後半は飲み込んだ。その自分の言葉さえ疑わしかったから。

 肩をすくめるあたしに、涼も小さく息を吐き出す。


「樹、心配してたぞ」

「わかってる。そういう奴だもん。心配すんなって、言っといて。美由が落ち着いたら連れて行くよ」


 涼はまだ何か言いたげな顔をしてたけど、やがて黙って背を向けた。

 遠くなる足音を聞きながら窓の外に目を向ける。そこにはいつもと変わらない日常があった。さんさんと照りつける太陽が、連れだって走っていく子供の姿が、智也が生きていた頃と何の違いも無く。

 風に揺れる枝葉の影を見ながら、少しだけ思い出す。

 好きかもしれないと思い始めたこと。

 傍にいるのが嬉しかったこと。

 いつまでもそんな時間が続くと思ってたこと――

 なのに、どうして。

 今はそんな気持ちだったことさえ疑わしい。素直に泣けない自分が恨めしい。

 冷たい人間に見えるだろう。いつからこうなっちゃったのかな。少し前までの自分なら、きっと違ったはず。違った、はずなのに……



   ***



「……じゃあね。あたしは――どこに行くんだろうね」


 いいかげん足が痛くなってきた。

 立ち上がって、大好きだった麦わら帽子を墓石の上に被せてやる。

 何処に行くんだろうね――

 きっと、智也とは違うところ。

 ふと、足元にいつの間にかひとつ増えている影に気付いた。誰か知り合いだろうかと振り向いて、身を固くした。

 触れたら崩れてしまいそうなほどの、金に近い茶の髪。黒のサングラスをして……黒のロングコートに黒のシャツ。黒のパンツに黒の――

 気のせいだったかもしれない。でも、一瞬、その一瞬だけ、蝉の声まで止んだような気がした。


「すいませ……」


 意味のない謝罪文句を舌の上に乗せて、あたしはその人物の横をすり抜ける。

 ――逃げるように。


 すれ違う瞬間、確かにそいつはにやりと微笑わらった。……嫌な感じ。

 一刻も早く遠ざかりたいのに、それでも、振り向かずにはいられない。

 黒いガラスの向こうで、見えない瞳が見つめている。見ている。


 ――ト モ キ


 誰の声? 彼の声、だった? 唇は動いてた? 誰を呼んでた?

 彼は回収を告げに来た誰か、じゃなかった?

 危険信号。脳内で赤いランプが点滅している。

 早く逃げなきゃ。はやく。

 はやく。はやく。はやく。

 一斉に鳴き出した蝉の声が合図のように、背を向けて、駆け出した。

 少し離れれば、音のある世界。元の世界。振り返っても、もうあの人は見えない。

 大丈夫、大丈夫。気にしすぎ。さすがに神経過敏になってるだけ。

 落ち着いて。落ち着いて。


 大きく息を吸い込めば、潮の香りで満たされた。

 ドキドキいう心臓を、走ったからだと無理矢理納得させる。

 さあ、次は何処に行こうか。大好きな、この街。古くて寂れてきてはいても、そこかしこに思い出がこびりついている。

 潮風に背中を押されて、あたしはまた歩き出した。




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