オズを探して
ながる
scene1
■ 行動するために必要だった
前略。
ペンをとるのも久しぶりで、いきなり何かと思うでしょうが、とりあえずお元気ですか?
メールやラインだと折り返し連絡が来るのは目に見えているので、あえて手紙にしてみました。
なんだかちょっと緊張する(笑)
毎日、毎日毎日、同じことの繰り返しで飽き飽きしてることだろうね。
あたしもつい今朝まではそう思ってた。
こんなことを言って、信じてもらえるか、なんてことはちょっと横に置いておく。
とりあえず誰に話せば――話しておけば、いいのか。もしかしたら誰にも伏せておくべき?
それでも、
嘘をつくのは得意だけど、たくさんの嘘をついてきたけど、樹は
樹。あたし――――――
***
「お世話になりました」
辞表と書かれた封筒を机の上に差し出して深々と頭を下げると、係長は「は?」と間抜けな声を上げた。
そのまま踵を返したあたしを慌てたように追いかけてくる。
廊下で捕まって、案の定なぜ辞めるのかを問い質された。
あたしはもっともらしい言い訳をつらつらと述べて、申し訳ないけれどもう気が変わらないことを強調する。本当のことなんて言ったって信じてもらえない。別に本当のことを言う必要もない。
急すぎると苛立ちも露わに「もうしばらく」と引き止められても答えは変わらないから。大切なのは。あたしにとって大切なのは。
ジカンガナイヨ。ジカンガナイヨ。
見計らったように頭に響く、あたしを急かす声。
うるさいな。ちゃんと辞めたじゃない。
どうせ、あたしじゃなくとも仕事は回る。すぐに変わりが見つかるはず。だから、仕事の心配なんかせずに青筋立てる係長を振り切った。
あたしはその足で
帰宅途中の車の列も慣れたハンドルさばきで追い越して。
家路とは反対方向の忍のアパート。いつものように二度クラクションを鳴らすと、窓から眠そうな顔が覗いた。
うたた寝してたな。
にやにやしながらフロントガラス越し、手を振った。
「なーしたん。この頃来ないから、忘れられたかなーって思ってたんだぞ」
「あはは。悪いっ。お元気だった?」
「元気元気。ちょっとストレスは溜まってるけど。上がんないの? おいでよ。お茶くらいしか出ないけどね」
サンダル履きで運転席を覗き込むように、全開の窓に手をかけていた忍はアパートを指して身を引いた。
「充分。じゃあちょっとお邪魔します」
頷いて先に行く忍の、すらりと長身の後ろ姿をしばし眺める。モデルのような体型は羨ましいと思うのだけれど、胸の薄さは密かにコンプレックスらしい。さっぱりとした性格の割に恋愛は奥手で、そんなところも可愛いと思うんだけどな。
階段を登りきったところで振り返られて、あたしは慌ててギアをバックに入れた。ふと、助手席の口の開いた鞄の中の煙草が目に留まる。忍に見つかったら怒られるな。「身体に悪いんだから!」って。
別にいつも吸ってる訳じゃない。昔、男連中に興味本位で一本もらって試した時も、美味しいだなんて思わなかった。ただ、なんていうか、カッコつけたいというか。こういうシチュエーションには煙草が似合うような気がして。
煙草をふかしながらクールに(あるいはニヒルに)笑う『カッコイイ』あたし。チュウニ的と言われればそうだろうか。忍と顔を合わせていると、余計にそう思うのかも。気持ちが学生の頃に戻っていく。
鞄の口をしっかりと閉めて、車を降りた。
外の空気は夏にしては冷えたもので――
このアパートもそこに立つ忍も、しっかりと目に焼き付ける。
「
「あーー、今行く」
とりとめのない話をしよう。いつものように。居心地のいい空間。大切な場所。
忍の運んできたグラスの氷が麦茶の中で小さく音を立てた。
「明日ね、向こう行ってくるつもりなんだ。みんなに何か伝言あるなら伝えるよ?」
口元で傾いたグラスが、少しの間動きを止めた。ちょっと上目づかいで睨むような顔は拗ねている時の表情。
「明日ぁ? いいわね。お休み?」
私も行きたいって、口にしないけど顔に書いてある。
「うん。ていうか、辞めちゃった。会社」
「え?」
さらりと言ってみたものの、何か感じたのか忍は訝しげに眉を寄せる。
「へ、え。そう、なんだ。次の当てがあるとか?」
「ううん。なんか性に合わなかったっていうか」
「えー? 朋生にしては思い切ったんじゃない? それで、あっちに行くなんて、あっちで仕事探すつもり?」
「それはないよ。一人暮らし出来るお金なんてありませんって。三日以上いる気はないから」
笑いながらも、ひやひやしていた。忍は結構鋭い。
「ほんとにぃ? 誰かさんの傍から、離れたくなくなるんじゃない? そのまま帰って来なかったりして」
不覚にも途切れた会話を、どうやって元に戻そうか。
意地の悪い笑みが、見当違いの所で真実に近い場所をつついているのに気付いてない。
カエッテコナカッタリシテ。
「だ、あれのことを、言ってるのか、な?」
「言っていいの?」
楽しそうに言葉を繋ぐ。こんな風に人をからかうのは、あたしの方が得意だったはずなんだけどな。
一緒にいるうちにお互いがお互いの影響を受けている。いい影響も、悪い影響も。
そしてこれは樹の影響もあるんだろうなぁ。
彼は友人たちの中で一番あたしと性格が似ていた。だから傾向と対策を立てやすいんだろう。あるいは、ダシにされてるのかもしれない。恰幅のいい樹とすらりと背の高い忍が並んでいるのは少しコミカルではあるけど、似合わない訳じゃない。
小さく息を吐き出してにっこりと笑う。
「ところでさあ」
「はぁ?」
無理矢理の話題転換に間髪入れずに入る突っ込みの声。
笑いが重なる。大丈夫。大丈夫。変わってない、何も。気付かれることはない。
残されたのはあと三日――
***
今までにないというほど片付いている部屋。
自殺する人が部屋を片付けたがるという心境がよく解る。パソコンの中の見られたくないデータもUSBに移してしまった。とりあえず、鞄の底に放り込んでおく。
書きかけの手紙から顔を上げ、ボールペンを置いて煙草に手を伸ばす。
誰が信じるっていう?
樹だってきっとすぐには信じないよ。がんを宣告されたのよりタチが悪い。
吐き出した煙を目で追う。冷ややかに。
何をこんなに落ち着いてるんだろう。
いや。落ち着いてないから、煙草をふかしたりしてるのか。
自嘲気味に口角を持ち上げる。
――消える、なんて。
抹消、なんて。
いったい何を間違えたらそう思い込めるのかって、精神病院に連れ込まれたっておかしくない。
おかしいのは疑ってないことだ。自分が、何より疑うことさえしていない。
ヒトデハナイココロ
機械仕掛けの――
そうかもしれない。こんな時に涙も出ない。
ナリソコナイ
煙草をもみ消して、また手紙に意識を戻す。
これを書き終えたら、家族にも書かなくちゃ。いやに現実的な両親に別れを告げるのは難しい。
ユウヨ ミッカ カイシュウキゲン ミッカ
突然目の前に現れた、黒づくめの男の最終宣告。
樹。あたし消えてしまう。
生きること、なんてもんじゃなくて、存在することを否定されてしまった。
誰に? なんて聞かないでよ? そんなのあたしにだってわからない。わからない、けど。
あたしは生きていないのと同じだから、ココロがヒトではないからって。
ヒトになれなかったんだって。
強制宣告。今日から三日後。日と日の境に。
手紙は明日の朝一番でポストに入れるつもり。当日までには届くんじゃないかな。
きっとその日は
『オズの魔法使い』ではブリキの木こりはちゃんと『心』をもらうのにね。それとも、持っていたはずのそれを失くしてしまったのが、悪いのかな。
あたしが居なくなっても、誰か覚えててくれるかな。心の隅に、少しでも。
纏まりがなくてごめんね。一方的に告げるだけになるのもごめん。あたしもよく解ってないから。
これでも結構テンパってるのかも。
樹。忍のこと頼むよ。頼んだから。強がってはいるけど、人一倍弱い
好きだってことぐらいバレてるよ。行動素直だもんね。ガンバレ。遠距離で難しいかもしれないけど、頑張れ。
今までたくさん迷惑かけてごめん。ごめん。
そんで、ありがとう……
追伸
もしも、三日後に何も起こらなくて、あたしがまだそこにいたとしたら、甘んじてお叱りを受けようと思います。その時は、思いっきり笑って、一緒に飲み明かそう?
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