第一話 依頼

 この世界のどこにも存在する需要に応えて、アルト・キングダム王都の城下町にも、例外なく娼館が存在する。

 といっても数は少なく、値段もある程度高いのだが。よほど贅沢さえ言わなければ、庶民でも十分楽しむことはできる。

 特にこの「アプリコット」は、値段こそ標準より上だが、ある程度通い詰めると複数回使える割引券を格安で購入できるのだ。

 そんなわけで、この城下町で探偵稼業を営むスピンが情報収集を行う際に、よくこの娼館を利用していた。

 今日は床屋の奥方から、旦那が店の売り上げをちょろまかして娼婦に貢いでいるかもしれないから調べて欲しいという依頼を受けて、馴染みの娼婦に話を聞くことにしたのだ。

 といっても金を払っている以上、やることはやるのだが。

「その男なら、『ストロベリー』のエイラにぞっこんだって、噂になってるわよ」

 てきぱきと服を身に着けるスピンに対し、指名した馴染みの娼婦・イザベルが、煙草を揺らしながら答えてくれた。

「なんでも、『俺の男にならないか』って口説いてるんですって。奥さんがいるにもかかわらず、『ストロベリー』の看板娼婦を自分のものにしようとするなんて、男って馬鹿なのかしら」

 呆れたように紫煙を吐き出すイザベラの前で、服を着終えたスピンは立ち上がる。

「仕方ねえさ、男っていうのはどうしようもねえ生き物なんだから」

「そうね……そんなどうしようもない男たちのおかげで、私たちはおまんま食えてるんだものね。じゃ、また来てよスピン。あなたならいつでも歓迎だわ」

 煙草を指に挟んで、投げキッスを放つイザベラに笑みを向けてから、スピンは部屋を出て娼館のロビーへと向かう。

 支払いは先に済ませているため、あとは帰るだけだったのだが。ロビーに人混みが出来ていて、皆何やら深刻そうな顔で話し合っていた。

「どうしたんだ、一体」

 近くにいた男を呼び止めると。男は興奮した様子で、たった今飛び込んできたニュースを話してくれた。

「どうしたも何も、アルジャーノン王子が暗殺されたらしいんだ」

「アルジャーノン王子って、あの第一王子のアルジャーノン王子が、あ、暗殺されたって?!」

 国王であるアルト七世が、病に倒れたというのは知っていたが。

 次期国王になるはずの、アルジャーノン王子がよりによって、くたばる寸前の国王より先に暗殺されるなんて。確かにこれだけの騒ぎになるのも、無理はないことだろう。

「あんな国王とっととくたばって、早く王子が後を継いでくれればってずっと思ってたのによ。まさか暗殺されるなんてな……」

 男が天井を仰いで、残念そうに呟く。スピンも全く同じ気持ちだった。

 アルジャーノン王子は齢15ながら、数々の戦場で指揮を執り、多大なる戦果を挙げてきた。それだけでなく交渉術にも長け、降伏した国を尊重しつつも、アルト・キングダムに多大な利益が得られる条約を締結させ、国の為に大きく貢献してきた。

 また王子の身でありながら、税金や福祉に関するいくつかの改革案を提示してきたようだが。それは無能なアルト七世に全て突っぱねられてしまい、結果国王は国民から多大なる反感を買うことになった。

 そんな王子であるから、当然国民からの支持率は高く、誰もが彼が王になることを望んでいたのだが……。

「まさか暗殺されるとはなあ……」

 王宮内部で後継者争いが激化していると噂で聞いたことはあったものの、さすがに詳細までは知らない。だがもしもアルジャーノン王子が後継者争いによって暗殺されたのなら、何ともやりきれない気分である。

 とはいえ一介の探偵にどうこうできるはずもなく。騒がしい娼館を後にして、スピンは街中を歩き出す。

 アルジャーノン王子暗殺の知らせが広がっているのか、町中の至る所で市民たちが囁き合っていた。

 朝食を買いに、スピンが立ち寄った売店でも。銀貨一枚と銅貨二枚と引き換えに、サンドイッチの入った袋を渡してくれた店主が、声を潜めて教えてくれた。

「実は第一王子が暗殺されたらしくて……」

「ああ、知ってますよ。さっき聞きました」

 袋を受け取り、愛想笑いを浮かべてから。スピンは売店の前から立ち去り、自宅兼事務所である五番街のアパートへ向かって歩いてゆく。

 城下町だけあり、町中は一見綺麗に見えるが。一歩裏通りに入れば卑猥な落書きにまみれた壁の前で、乞食とネズミが肩を寄せ合って暮らしている。それがこの町の現実なのだ。

 こうなったのはアルト七世が国王になってからのことらしいが、二年前にこの国に来たスピンは、以前の町の姿を知らない。

 しかしアルジャーノン王子が国王になったら、少しはましになるんじゃないかと、ぼんやりと考えてはいた。

 考えてはいたのだが、その考えは叶わぬ望みとなってしまった。アパートの前にたどり着いたスピンはため息を吐き出すと、ポケットから鍵束を取り出す。

 階段を上がって二階に上がり、自室の前に立つとサンドイッチの袋を抱えて。大量の鍵がぶら下がった鍵束の中から、自宅のカギをつまみ出して開錠する。

 扉を開けると、誰もいない静まり返った部屋が出迎えてくれた。部屋の中に入ったスピンは、鍵を開けたままにして扉を閉める。といっても国中が騒然としているこの状況で、探偵に依頼を持ち込む客なんて来るか分からないが。

 なんとなく、月曜日に持ち込まれる依頼は厄介なものが多い気がするため。床屋の主人に関する報告をまとめる必要もあるし、今日に限って誰も来ないで欲しいのだが。

まあまずはとりあえず、腹ごしらえと行こう。来客用のテーブルの上にサンドイッチを置いて、スピンはポットの中に水を入れて、転倒したストーブの上に置く。

 お湯が沸く間に茶葉の用意をしておき、沸いたお湯の中にダイレクトに突っ込む。ちゃんと淹れるのが面倒くさくなってから、ついこうやって手を抜いてしまう。

「ま、旨けりゃいいんだよ、旨けりゃ」

 茶葉の混じったお茶をカップに注いで、ソファーに座り。サンドイッチの袋を開いて、ハムとチーズが挟まったパンを取り出す。

「いただきます」

 大口を開けて、ほんのり温かいサンドイッチに、かぶりつこうとしたまさにその瞬間。

「すみません、こちらが『アルト・キングダム城下町探偵事務所』でしょうか」

 ノックの音と共に、男にしては若干高い声が聞こえてきて。スピンは口を閉じて舌打ちをすると、サンドイッチを袋に戻した。

「開いてますよ、どうぞ」

 先程閉じたばかりの扉が開いて、部屋の中に一人の人間が入って来た。

 フードを目深に被っていて顔は見えないが、先程の声と体格から男性だということは分かる。そしておそらく、随分と若い年齢であるようだ。

「ようこそ、『アルト・キングダム城下町探偵事務所』へ。私がこの事務所の所長であるスピンです。ささ、こちらへ」

 素早く立ち上がって客人にソファーを勧めると、その男というか少年は、素直に座って膝の上に手を置いた。

 奥にあるデスクから紙とペンを持ってきて、スピンは少年の前に座ると、話を利く態勢を取る。

「まずはお名前をよろしいでしょうか。あと出来ればそのフードを取って、顔を見せていただけると助かります」

 名前を聞いて顔を確かめておけば、万が一この少年に支払い能力がない場合、親を探し出して依頼料を請求することが出来る。そう思ってのことだったのだが。

「……僕の顔を見ても、驚かないで欲しい」

 そう前置きをして、少年はゆっくりとフードを下ろした。

 そこにあったのは、ややウェーブした艶やかな白髪に紺色の瞳をして、やや幼さが残るもののそれ故に大人の男にはない、繊細な美しさのある顔だった。

 いや顔の美しさは問題じゃない。美形というのなら、タイプこそ違うもののスピンだって割と自信がある方なのだ。

 問題なのは、その少年の顔を見たことがあるということだった。半年前、オルト・キングダムとの戦争に勝利し、帰還した兵士たちの凱旋パレードで。

 彼は先頭に立って、市民たちから莫大な歓声を送られていた。それもそのはず、彼こそが戦争を勝利に導いた、指導者なのであるから。

 だがしかし。先程聞いた話が真実ならば、その少年はすでに死んでいるはずなのだ。何故なら彼は―――

「アルジャーノン、王子……」

「いかにも。紛れもなく、アルジャーノン・クリフ・ユーフォリア三世だ。疑うのなら、王家の紋章をみせるが」

 指輪をはめた細い指を動かすアルジャーノンに対し、スピンは勢いよく頭を振って見せる。

「いやいい。この国でそこまで美しい白髪を持つのは、キュルト・キングダム王家の血、即ち今は亡き王妃殿の血を引く証だ。あなたは紛れもなく、アルジャーノン王子本人だな」

 スピンの言葉に、アルジャーノンは安堵したように頷く。

「あなたは暗殺されたと聞いたのだが。生きていたのか」

「私の従者が逃がしてくれたのだ」

「へぇ、身代わりにでもなってくれたのかい」

 てきぱきともう一杯のお茶を淹れながら、つい口を滑らせたスピンに対して、アルジャーノンは眉をひそめて見せる。

「彼の生死は分からないが、ここに来るまで死んだという噂は聞かなかった」

「だったらどうするんだい」

「生きていると、仮定して動くつもりだ……死ぬなと、約束したことだしね」

 心配と信頼の入り混じった瞳で俯くアルジャーノンの前に、茶葉が混じったお茶の入ったカップを置いて、スピンは椅子に腰かけて腕を組んだ。

「で、死んだはずの王子様が、俺に何の用なんだ」

 スピンの問いに、王子は背筋を伸ばして、依頼内容を告げた。

「君に依頼したいのは、国境までの護衛だ。私はこれから隣国、ビイト・キングダムへと亡命する」

「それはまた……って、俺は探偵で、用心棒じゃないんだが」

 一応自分の身を護れる程度の戦闘術は身に着けているものの。あくまで護身用であり、誰かを護るためではない。

 そもそも用心棒を雇うのなら、専門のギルドが存在するためそちらを当たるべきだ。間違っても、一介の探偵なんかに依頼するべきことじゃない。

 しかしアルジャーノンは、優雅な仕草で一口お茶を飲むと、カップを置いて当然とばかりに言った。

「大手のギルドなんかは、大体監視の目があるからね。こういう個人経営の穴場で、かつ頼れる男に依頼するのが、一番だと思ったんだが」

「……そりゃどうも」

 正直、頼れる男と言われて悪い気はしないのだが、あまり買い被られても困るというものである。

 沈黙を肯定と受け取ったのか、アルジャーノンは依頼の内容を話し始めた。

「王宮を逃げ出してから、個人的に親交のあったビイト・キングダムの王子と連絡を取ったんだ。向こうの王子が国境付近に使者を送ってくれるから、合流して一旦ビイト・キングダムへと亡命し、そこで準備を整えてからこの国に戻るつもりだ」

「なるほど。亡命すると言っても、残して来た従者とやらを見捨てるわけじゃないんだな」

「当り前だ。私一人ではあまりにも無力だからな。ビイト・キングダムや母上のキュルト・キングダム。そのほか色々な国を回って、十分な後ろ盾を得たうえで僕が父上の正当な後継者であるということを示そうと思う」

「もし、国王陛下がそれでもお前を認めなかった場合は」

 スピンの問いに、アルジャーノンは一瞬目を伏せてから、顔を上げる。その瞳には、強い意志が宿っていた。

「その時は武を以って王に盾突くまで。私は暗殺という手段で、国を追われることになったんだから。それ相応の反撃は、覚悟してもらわないと」

「……やっぱりな」

 頷いて、スピンはお茶を一口飲む。茶葉が混じっているせいで、苦みが強かった。

 彼には他国の指導者を説き伏せて、自身の後ろ盾にするということも、国を戦火に包み血をつながった王を殺害することも、自分には可能であると確信しているのだろう。そう確信できるだけの、才能と経験があるのだ。

 だとしたら、このまま見捨てるにはあまりにも勿体ない人間である。長年に渡って染みついた感覚が、スピンにそう訴えかけてきていた。

「この国の民としては、王族の後継者争いで国が戦火に包まれるのは、とんだ迷惑だというとこだろう。だが―――」

 話を聞いて断られると不安になったのか、言葉をつづけたアルジャーノンを、スピンは片手で遮る。

「いや、生憎俺は二年前に、この国にやって来た人間でね。ここは良いところだが、愛国心があるかと言われれば別だ」

「じゃあ―――」

「それでも戦争はごめんだが、一応この国に住む人間として、あの無能な国王陛下に好き勝手される方がもっと気に食わねえって思いもある。ただし引き受けるかどうかは、お前が報酬を支払える根拠を示せたらの話だがな」

 スピンの言葉に、アルジャーノンの表情が明るくなる。いくら聡明とはいえ、やはり十五の少年といったところか。

「国内にいくつか、個人的な財産を隠してある。依頼を達成してくれたら、隠し場所を教えよう」

「……いいだろう。この話、乗った」

 手を叩いて、スピンは立ち上がる。危険な任務だが、隠し財産の話が本当なら十分割に合う仕事だろう。

「ありがたい。ではさっそく―――」

「まあ待てよ」

 腰を浮かすアルジャーノンを遮って、スピンはテーブルの上に置いてあった袋に手を伸ばし、冷めきったサンドイッチを取り出す。

「お前が来たせいで、朝食がまだなんだ。出発の前に、腹ごしらえさせてくれよ」

 アルジャーノンはちょっとだけ顔をしかめたものの、素直に頷いて座りなおす。「こんなことをしている場合じゃない」と、喚かないところに好感が持てる。

 早くもなく、遅くもなく。いつも通りのペースでサンドイッチを平らげると。スピンは手に付いたパンくずを払って立ち上がった。

「それじゃ出発しますか、王子様」

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