エスケープ・タッグ~探偵と王子の逃避行~

錠月栞

プロローグ

 アルト・キングダムの国王が病に倒れてから、三日後。

 王宮の豪奢な建物の前に広がる、広大な庭園。庭師によって手入れされた生け垣や、各国から取り寄せた珍しい品種の数々が植えられた薔薇園。

 歴代の王が己の欲望のままに、手を加えてきたこの歴史ある庭園も、今は夜の闇が支配して、柔らかな三日月の明りだけが照らしていた。

 そんな庭園の一番奥。離宮の傍に設置された東屋に、小さな灯りが灯った。

「まったく、この肌寒い季節に外で食事をしようなんて、あなたも物好きですよね」

 燭台にしっかり火が付いたことを確認すると、第一王子に使える従者・エルウィスはマッチの炎を吹き消した。

 明りの灯ったテーブルの上には、パンとスープとサラダが並んでいる。庶民の家庭なら十分な量だが、王族の食事にしてはあまりにも粗末すぎるものだ。

 しかし並べられた料理を、椅子の上に座る第一王子・アルジャーノンは、何の文句を言うこともなく、むしろ楽しみにするかのような瞳で見ている。

「済まないね、こんな夜遅くに、無理を言って」

「いえいいんです。陛下がお倒れになって、大変なのはわかっていますから」

 てきぱきと二人分の紅茶を入れて、エルウィスはカップの一つをアルジャーノンへと差し出すと、自分も椅子に座る。彼はもう食事を済ませているものの、ここで王子に一人寂しく食事を摂らせるつもりはなかった。

「いただきます」

 軽く手を合わせて、アルジャーノンはパンを手に取り口に運ぶ。簡素な食事であるとはいえ、王宮の料理人が手によりをかけて作ったものなのだ、パン1つとっても最高品質の出来である。

「……うん、美味しい」

 しばらく無心でパンやスープを口に運び。ある程度腹が満たされてから、アルジャーノンは細い指でカップを持ち、紅茶を一口飲む。

「医者によれば、父上が回復するかどうかは、五分五分だそうだ」

「そうですか……」

「うん。でもお見舞いに行ったら割と元気そうだったから、このまま回復してくれるといいんだけど」

 やや冷めた紅茶の水面に、アルジャーノンの儚げな美しさのある顔が映り込む。だかしかし、その表情にはどこか暗いものがあった。

「……お見舞いに行ったら、さ。父上に言われたんだよ、『お前に王位を譲るつもりはない』って」

「それは……」

「分かってるんだ、ただ僕が父上に憎まれているだけだって……それでもどうしようもなく、やっぱり認められたいって思っちゃうんだ」

「アルジャーノン王子……」

 エルウィスはしばらくアルジャーノンを見つめていたが、不意にカップを置いて立ち上がると、両手を伸ばしてアルジャーノンの肩を掴む。

「自信を持ってください、王子。陛下が何と言おうと、あなたは紛れもない第一王子なんです。次の国王はあなたなんですよ、間違いなく」

「そうだけど……」

「大丈夫です。王子ならきっと、国民に支持される良き国王になれますって。この私が、保証しますから」

「……ありがとう、エルウィス」

 幼いころからずっと、共に歩んできた従者の励ましに。アルジャーノンが素直に頷くと、エルウィスは手を放して、安堵した表情で己の席に戻った。

「ささ、早く食べちゃってください。これ以上遅くなると、明日に響きますから」

「了解。済まないね、つい弱音を吐いてしまって」

 頷いて、アルジャーノンは残ったパンとサラダを、てきぱきと口の中に押し込んでゆく。

 この国の為に、国民たちの為に。倒れた国王の代わりに、自分がしっかりと政務を行わなければならない。

 まだまだ未熟であるがゆえに、エルウィスには迷惑をかけてしまうかもしれないが。それでも自分に出来る限りのことはしようと思う。

 最後の一口を飲み込んで、アルジャーノンはカップを手に取ると、思い出したようにエルウィスへと顔を向ける。

「そうだ。君ももう16になるけど、いい相手の一人ぐらいいるんじゃないのかい」

「……へ?」

 一瞬きょとんとしてから、エルウィスは慌てた様子で手を振って見せる。

「そ、そんな人いませんって」

「でも、君は容姿も整っているし、慕ってくれる女性も多いんじゃないかな」

「からかっているんですか。たとえそうだとしても、今は恋愛にかまけている暇はありませんからっ」

 早口で否定するのが、なんだか逆に怪しい。微笑むアルジャーノンに対して、エルウィスは頬を膨らませる。

「王子こそ、浮いた噂の一つや二つぐらい―――」

 だが。さっとエルウィスの顔に真剣な色が走り、彼は腰に下げていた剣に手をかける。アルジャーノンを護るため、エルウィスは常に帯剣することを許されているのだ。

「王子、囲まれています」

「……なんだって」

 アルジャーノンが素早くカップを置くと同時に、闇に紛れていた黒ずくめの暗殺者たちが姿を現し、東屋を取り囲む。

「誰の手先だ……いや、言うまでもない」

 立ち上がり、剣を抜いて構えながら、エルウィスが呟く。

「第二王子アドニスの手先だな。大方次の国王の座を狙って、アルジャーノン王子を暗殺しに来たというところだろう」

 会話の間に、アルジャーノンは素早くエルウィスの背後に回り込む。緊急時にどう行動するかは、二人で何度も練習してきたのだ。

 アルジャーノンが懐から短剣を取り出すと同時に、剣を持った暗殺者の一人が襲い掛かってくる。

 しかし刃がアルジャーノンに届く前に、エルウィスが素早い身のこなしで暗殺者を斬り伏せる。

 だが向こうは数が多い。次は短剣を持った二人が同時に、アルジャーノンを亡き者にしようと向かってくる。

「お逃げください、王子ッ」

 襲い掛かってくる暗殺者に素早く対応しながら、エルウィスが叫ぶ。

「2番です。2番なんですっ」

 エルウィスと予め話し合い、決めておいた暗号。4番とは「エルウィスが敵と戦っている間に、アルジャーノンが逃走する」という作戦を意味する。

 確かに暗殺者たちの動きは明らかに訓練されたものであり、剣を持ったエルウィスならともかく、短剣しか持たない自身が戦うのは分が悪い。

 しかしこの多勢に無勢の状況、エルウィスを置いて逃げれば、残された彼はどうなるだろうか。

 エルウィスの強さは信用しているが、これだけの数の暗殺者を相手に、無傷とはさすがにいかないだろう。もしかしたら―――。

 頭の中に浮かんだ嫌な想像を振り払い、アルジャーノンは頷く。

「分かった。死ぬなよ、エルウィス!」

 下手に不安がって判断が鈍るよりも、エルウィスを信じて彼の言葉に従う方が、正しい判断だと信じる。

 素早くテーブルの上のティーポットを掴むと、アルジャーノンは暗殺者へと投げつける。割れた破片と熱湯によって、よろめいた暗殺者に体当たりをくらわせ、そのまま集団を突っ切って走り出した。

「追わせないですよ、絶対に!」

 背後で剣と剣が交わる音を聞きながら。肉が切れ痛みに呻く声絵を聞きながら。月明かりの照らす夜の庭園を、アルジャーノンはひたすら走っていった。

 あの暗殺者を仕向けたのが第二王子のアドニスなら、このまま王宮に留まるのは危険だ。この王宮に自分の味方は、エルウィスを含めたたった数人しかいないのだから。

 庭園の片隅にある、ウサギを模したオブジェの近くにたどり着くと、アルジャーノンは地面を探り、隠し通路を開く。

 今は王宮から出て、市街に潜伏するのが一番。自分が逃げたとなれば、行き先を聞き出すためにエルウィスが生かされる可能性も出てくる。

 地下通路に降りて、途中の小部屋に隠してある市民の服と一本の剣を装備して。アルジャーノンはひたすら真っ直ぐ前進してゆく。

 出たところに敵が待ち構えていなければいいのだが。若干息が上がるのを感じながら、それでも前へ前へと進み続けていると、やっと出口が見えてきた。

 隙間から漏れる空気を頼りに扉を開いて、アルジャーノンが地上に出ると、そこは薄汚い廃屋だった。周囲を確認するが、敵らしき人物の気配はない。

 埃っぽい空気を吸い込んで、咳き込んでから。アルジャーノンは隠し通路の扉を閉めて、廃屋の外に出ることにした。

 時間が時間だけあり、外の城下町は静まり返っていたが。空に輝く三日月だけは、庭園から見えていたものと何も変わらなかった。

「……あの三日月に誓おう。エルウィス、必ず君を助けると」

 小さい声でつぶやいて、アルジャーノンはフードを目深に被ると、一人夜の町を歩き出した。

 まずは自分に協力してくれる仲間を、集めなければならない。

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