第二話 王子

 年季物のコートを羽織って、必要最低限の荷物を持って。スピンはアルジャーノンと共に、城下町の外れにある飲み屋「デニス」へと向かった。

 飲み屋「デニス」は安酒場であるものの、齢四十になる太った女将の作る料理には、値段以上の美味しさがある。常連客ではないものの、スピンも何度か知人と訪れたことがある店だ。

 といってもこれから酒を飲もうというわけではなく。お目当ては「デニス」の裏手に停まった、一台のぼろ馬車だった。

 薄汚い裏通りに停まった馬車に、アルジャーノンとスピンが近づくと。御者の男がこちらに気が付いて、駆け寄ってきた。

「お待ちしておりました、アル様」

「遅くなって済まない。ラルフ、こちらは僕が雇った、用心棒のスピンさんだ」

 ラルフと呼ばれた青年に、スピンは軽く頭を下げる。

「スピンだ、よろしく」

「ラルフです。国境までの御者を務めさせていただきます。ささ、早くお乗りください」

 ラルフに言われた通り、スピンとアルジャーノンが馬車の中に乗り込むと。鞭の音と馬のいななきが聞こえ、馬車はゆっくりと走り出した。

 馬車の内部には予め用意してくれたのであろう、最低限の食料や衣類が詰め込まれており。しばらくの間は、町や村に立ち寄ることなく走り続けることが出来そうだった。

「あのラルフって男は、何者なんだ」

 揺れる馬車の中で胡坐をかいて座りながら、スピンがアルジャーノンに尋ねると、アルジャーノンは外の気配を伺いながら答えてくれた。

「前々から、情勢調査や慰問と称して、度々市街地を訪れていてね。その時に何人か、有事の際に協力してくれそうな人間を探し出しておいたんだ。ラルフもその一人というわけだ」

「随分と用意周到なんだな」

「王宮内部に味方がいないことは分かり切っていたからね。だったら外に作るまでだ」

 なるほど。だからビイト・キングダムの王子と個人的に親交を深めたりと、陰で様々な仕込みを行っていたというわけか。そして今、積み重ねてきた下準備が見事に効果を発揮している。

「国境までは、約三日というところだろう。頑張ればここにある物資でも持つだろうが、馬の疲労も考えると、一度途中の村に停泊したほうがいいかもしれない」

「その際に、追手が来たらぶちのめすのが俺の仕事だってわけだな」

「そうだ。期待しているぞ、スピン」

 スピンが頷くと、アルジャーノンは「それから」と付け加えた。

「僕のことはアルジャーノンではなく、『アル』と呼んでくれ。どこに追手が潜んでいるか分からない今、身バレのリスクは少しでも減らしたいんだ」

「了解。じゃあアル、一ついいか」

「何だ、スピン」

「こう、なんか筒的な物ってあるか」

 スピンの言葉に、アルジャーノンは首を傾げつつも。積み荷を漁って、紙を一枚取り出す。

「これを丸めて、使えないだろうか」

「ありがとよ、十分だ」

 渡された紙を丸めて筒を作ると、スピンは身に着けたポーチから針を一本取り出し、筒の中に入れる。

 そして馬車の後部から顔をのぞかせると、筒の端に口をあて、狙いを定めて鋭く息を吐いた。

 放たれた吹矢は、馬車から少し離れたところを走っていた馬の鼻先へと突き刺さる。死にはしないが、強烈な痛みと痺れの走る、特製の毒薬が塗ってある。

 暴れだした馬を、騎乗する男が何とかなだめようと慌てているのを見やって、スピンは馬車の中に引っ込んだ。

「アル、尾行されていたみたいだ」

「なんだと」

「憲兵に扮しているが、腕の腕章が微妙に違うから偽物だ。走るルートを、少し変えた方がいいだろう」

「分かった、ラルフに伝える」

 アルジャーノンがラルフに、進路変更を伝えている間。スピンは他にも追手がいないかと、馬車の後方を確認する。

 今のところ、他に追手はいないようだ。あまり大っぴらに追跡すると、暗殺されたはずのアルジャーノンの生存が知れ渡ることになるため、少数で動かざるを得ないのだろう。

「ラルフ伝えてきた。少し北西に迂回することにした」

 スピンが再び引っ込むと、ちょうどアルジャーノンがラルフへの伝達を終えたところだった。

「それにしても、君は外の様子を伺っていなかったはずなのに、何故尾行されていると分かったんだ」

 アルジャーノンの問いに、スピンは面倒くさそうに答える。

「馬の足音だ。馬車を引いている馬の他にも、同じ歩調で走る馬の足音が聞こえた」

「この雑音だらけの状況で聞こえたのか」

 確かに馬車はがたがたと揺れ続けており、意識を集中させないと、少し離れたところで走る馬の足音なんて聞こえないだろう。

 だが実際に、聞こえてしまったものは仕方ない。

「……俺は耳がいいんだよ」

 適当にそう言って、スピンは再び後方の監視に戻る。

 一向に衰えてくれない、長年の習慣も案外役立つものだ。追手がいないことを再度確認して、スピンは顔を引っ込めると、頭の後ろに手をやって息を吐き出す。

 この調子なら、しばらくは大丈夫そうだが。このまま最後まで、何事もなくことが運んでくれればいいのだが。

 ちらりとアルジャーノンを見やると、彼は何か考え込んでいるようだった。

 見られていることに気が付くと、アルジャーノンはちょっと微笑んで見せる。

「君、ただの私立探偵にしては、随分鋭い勘をもっているようだね。諜報部隊にスカウトしても、問題ないんじゃないか」

 一瞬ドキリとしたものの、スピンはすぐに頭を振って見せる。

「……お断りだ。俺は探偵業が天職だと思ってるんでね」

 もう二度と、誰の下に使えるつもりもない。依頼を受けたから全力を尽くすものの、何者かに忠誠を誓うつもりは微塵もないのだ。

 積み荷を漁って毛布を引っ張り出すと、スピンはそれをアルジャーノンに投げて寄越す。

「さ、どうせしばらく走りっぱなしなんだ。俺が見張っててやるから、休めるうちに休んでおけよ、王子様」

「王子様はやめてくれないか……」

 ちょっと顔をしかめつつも、アルジャーノンは素直に毛布に包まった。

 揺れる馬車の中。時折後方の様子を伺いながら、スピンは依頼に集中しろと、己に静かに言い聞かせた。


 日付が変わる時刻までひたすら走ったところで、一度休憩をとることにした。

 森の中にちょうどいい湖があり。そのほとりに停車したラルフは、馬具を外して馬に水を飲ませ始める。

「アル様もスピンさんも、今のうちにお食事などを済ませておくとよろしいかと」

 ラルフの言葉に、アルジャーノンは頷き、積み荷から食料を下ろしててきぱきと食事の支度を始める。

「スピン、水を汲んできてくれないか」

 ポットを差し出すアルジャーノンに頷いて、スピンが湖の水を汲んでくると。彼は薪になる小枝を集めて、手際よく火を起こしていた。

「随分と手慣れてるんだな」

 火にポットをかけるスピンの横で、干し肉と乾パンを分けるアルジャーノンは、事も無げに答えた。

「これでも何度か、戦争に赴いているからね。このくらい自分でできなくちゃ、とてもじゃないが生き残れない」

「でもお前は大将だろう。普通の兵士よりもずっと良いものが食えて、身の回りの世話だって配下の兵士どもがやってくれるんじゃないのか」

 食料を受け取ったスピンに対し、アルジャーノンはちょっと顔をしかめてから、湖へと支線を逸らす。

「戦死してほしいが故に、父上は十二歳になったばかりの息子を戦争に送るっていうのに、そんな待遇受けられると思うのか」

 憎しみと悲しみの、入り混じった声だった。

 湖に映る月を、アルジャーノンは半ば睨みつけていた。まるで輝く月の幻影に、父の面影を見ているように。

 だがすぐに目を閉じて息を吐き出すと、アルジャーノンは沸いたお湯をカップへと注ぐ。

「……いや、何でもない。忘れてくれ」

「あ、ああ」

 先程のことなんてなかったかのように、アルジャーノンは干し肉を食べ始める。

 王宮で極上の料理を毎日食べているはずなのに、硬くごわごわとした干し肉を、何の文句も言わず食べているところが。彼の悲惨な経験を裏付けているように思えたが、スピンは黙って己の分の干し肉にかじりつく。

 酒が欲しいと思ったが、仕事である以上飲むわけにはいかない。心の中でため息を吐き出して、スピンは湯冷ましで干し肉を流し込んだ。

 その後やって来たラルフと共に食事を済ませた後、この場で三時間ほど休息をとることにした。

 といっても見張りは必要であり。その役目は用心棒として雇われた、スピンが買って出たのだが。

 毛布にくるまって、横になっているものの。隣でいびきをかいて熟睡しているラルフと違って、アルジャーノンはなかなか寝付けないようだった。

 一通り馬車の周囲を回って、スピンが戻ってくると。アルジャーノンが起き上がって、カップに残ったお湯を注いでいた。

「眠れないのか」

 スピンが近づいて声をかけると、アルジャーノンは驚いたように顔を上げて、素直に頷く。

「休まなきゃいけないのは分かっているんだが、どうも寝付くことが出来なくて」

「王宮のふかふかなベッドじゃないと眠れないってか」

 冗談めかしてスピンが言うと、アルジャーノンは少し笑った。

「残念ながら王宮のふかふかなベッドでも、眠れない日は多かったさ。あそこにはたった数人を除いて、数人を除いて僕の敵だらけだったから」

 疲れのせいか、アルジャーノンは己の一人称が「僕」になっていることに、気が付いていないようだった。

 スピンが正面に腰を下ろすと、アルジャーノンは手に持ったカップに視線を落とす。

「実を言うと、ずっと不安なんだ。僕のやるべきこと、取るべきことは間違ってないのかって。こうしている間にも、エルウィスが手ひどい暴行を受け、無残に殺されているんじゃないかって」

 エルウィスというのは、残して来た従者のことなのだろう。アルジャーノンの逃亡を手助けした彼は、王宮内部で数少ない味方だったということか。

「それにしても、王宮の内部で後継者争いが激化してるとは聞いたが、何で第一王子であるお前がそんなにも追い詰められてるんだ。母親も正式な王妃だし、血筋的にも問題ないはずだろ」

 己のカップに湯を注ぎながら、スピンが尋ねると。アルジャーノンはゆっくりと顔を上げた。

 湯の入ったカップを揺らして、スピンは頷いて見せる。

「探偵として、情報は多いに越したことはねえんだ。話してくれよ、お前のこと」

「……ありがとう」

 礼の言葉に、スピンはつい頬を掻く。気遣いがないわけでもないのだが、人気があるアルジャーノンの身の上話は、いいネタになると思ってしまったのも事実なのだ。

 だがしかし。話すことでアルジャーノンの心が、落ち着くならそれでいい。スピンはお湯を一口飲んで、アルジャーノンの話す言葉に耳を傾けた。


 アルジャーノンの両親、即ち今の国王と亡き王妃は、王が即位する際に結婚した。

 国王のアルト七世は即位する前から、酒色に溺れた無能だと噂されていたが。王妃となるキュルト・キングダムの第七王女、クェイス王妃は聡明な人物として名高かった。

 アルト七世が無能でも、クェイス王妃が支え国を良い方向に導いてくれることを、国民全員が願っていたのだが。

 結婚するとすぐに、アルト七世はクェイス王女を離宮へと追放し、本殿には結婚前から懇意にしていた、愛人たちを住まわせるようになった。

 アルト七世は自分より頭のいい王妃を疎んだのだと、王宮内部では専らの噂だった。彼女に国を奪われるのを、恐れたのだと。

 それでも一応夫婦として、最低限のつながりはあったようで。離宮に追いやられた直後クェイス王妃の妊娠が発覚し、アルジャーノンが生まれたのだ。

 だがアルジャーノンも母と同じく、決して父に愛されることなく。幼い彼は公式に認められた日以外、王宮に立ち入ることすら許されなかった。

 それでも未来の王になるからと、クェイス王女はアルジャーノンに厳しい教育を施した。愛人との間に生まれた、第二王子や第三王子が甘やかされて育つ中、アルジャーノンはひたすら勉学や武術に励み、この国の指導者となるべき素養を身に着けて行ったのだ。

 そしてアルジャーノンが十一の時、クェイス王女が病に倒れてそのまま亡くなった。

 王妃が死んだ直後、アルト七世はアルジャーノンに対して、貿易問題で長年争いの続いてきたウラト・キングダムへの進行を命じた。

 まだ幼いアルジャーノンにとってそれは、死刑宣告と同じことだと、誰もが思っていた。しかしアルジャーノンはウラト・キングダムの拠点を次々と攻め落とし、ついには和平交渉まで持ち込んだのだ。

 戦争での勝利に、国民は一気に湧き上がったものの。溺愛する第二王子アドニスを王位に就かせたいアルト七世にとって、アルジャーノンの出した結果は不快極まりないものだったのだろう。

 それから何度か、アルト七世はアルジャーノンを戦地へと向かわせたが。そのたびにアルジャーノンは戦果を挙げ、アルト・キングダムへと帰還した。

 自身が無能な王と噂される一方で、英雄ともてはやされる息子に、アルト七世の憎悪と自己嫌悪は増すばかりであり。

 いつしか王の酒量は倍以上に増え、ひと月前のあの日、不摂生が祟って病に倒れることになったのだ。

 このままアルト七世が死んで、絶対的な法律の定める継承順位に基づいて、アルジャーノンが王になったなら。国王の寵愛を受けて、血税で贅沢の限りを尽くして来た愛人や他の王子たちは、間違いなく王宮での立場がなくなるだろう。

 だからこそかれらは、アルジャーノンを暗殺しようと踏み切ったのだろう。アルト七世ととても良く似た、第二王子アドニスを新たな王とするために。

 もっとも。その企みはアルジャーノンの忠実な従者、エルウィスによって阻まれることになったのだが。


「どれだけ建前を並べても、結局は何の根拠もない僕の心が、エルウィスの生存を願っているんだ。彼の主としてではなく、一人の友人として」

 星の輝く空を見上げて、アルジャーノンは冷めきったお湯を一口飲んだ。

「離宮で暮らす母と僕の面倒を見てくれたのが、エルウィスとその両親だった。四面楚歌なあの場所で、彼らのことだけは唯一心から信頼できたんだ」

 もう一口、湯冷ましを飲んで。アルジャーノンはカップを置くと、毛布を体に巻き付け直して横になる。

「……話したら、少し眠くなってきた。改めてありがとう、スピン。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ、アル」

 スピンも自分のカップを置いて、再び見回りに行こうと立ち上がる。

 いくら王子とはいえ、彼はまだたった十五年しか生きていないのだ。気丈に振る舞っていても、本当は不安で仕方がないのだろう。

 ラルフのいびきに混じって、静かな寝息が聞こえ始めたのを確かめると。スピンは軽く伸びをしてから、再び見回りに戻っていった。

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