第18話 信念

 この日三人はいつものように基地に集まっていた。冬夜はどこかに出かける準備をしている。その様子を見つめながら悠人が問いかける。


「ねえ冬夜、もしも梅香ちゃんがピンチに陥ったら、冬夜は守る?」

「あ? 当たり前だろ、それが仕事なんだから」

「じゃなくて、梅香ちゃんがピンチだったら……冬夜はどんな気持ちになるのさ」


 遠回しに何か言いたげな悠人を無視して準備を進める。そして着替えを済ませると二人に背を向けた。


「じゃあ行ってくる」


 冬夜は神妙な面持ちで基地から出ていった。

 基地から十五分ほど歩くと、辺り一帯は姿を変える。この地域に建つ家はもうほとんど空き家しかない。そのうちの一軒に彼は用事があった。それは彼の実家だった。両親と共に過ごしてきた思い入れのある場所。そんな両親の十一回忌が今日なのだ。冬夜は毎年、この日になると家を訪れては花を添えている。たった一本の花を。


「毎年思うが相変わらずだよな、ここは」


 どんどん開発されていく都心とは違い、もはや廃れてしまったこの地域に足を踏み入れるものはそういない。だが、冬夜が近くまできた時、一軒家の前で誰かが佇んでいることに気がついた。灰色の髪に白のメッシュが入った少年。手には花束と、黒いスカーフを持っている。少年は冬夜に気づく様子もなく、花束を地面に置くと優しく表札を撫でた。


「あれから十年……。ねぇ、おれも大きくなったよ、父さん、母さん」


 冬夜は言葉も出ずに立ち尽くし、持っていた花を落とした。この家は冬夜の家のはずで、殺されたのは冬夜の両親のはずで。


 じゃあこいつは一体──


 その時、少年はようやく立ち尽くしている人影に気がついた。冬夜の脳内の奥底の眠っていた記憶が徐々に蘇ってくる。記憶の箱をこじ開ける鍵となったその顔を見つめながら、冬夜は声を絞り出した。


「お前……誰だ」


✳︎


 同時刻、斗狗と悠人は基地で一つのPC画面を見つめていた。


「やっぱりそうなんだよ」

「これではっきりした。冬夜とキラーは……」


 二人が覗き込んでいたのは、キラーと冬夜の関係性を調べた血液検査の結果だった。お互い、無言で顔を見合わせる。


✳︎


「うえぇ、ここどこ」


 外出するなという冬夜の指示を無視して梅香は一人で家を飛び出していた。キラーの顔を見た時の違和感の正体に気づいたからだ。あの時自分が見たのは、灰色の髪に白のメッシュ。そしてその顔立ちさえも、冬夜にだったのだ。それを伝えるべく自分の記憶を頼りに基地へ向かうも、途中で迷子になってしまった。うろうろしながら歩いていると──


「お前……誰だ」


 ちょうど冬夜とその奥でキラーが見合っている場面に遭遇してしまった。その姿がキラーの視界に映る。……が、キラーは動かなかった。ただ黙ったまま目の前の人物を見つめる。


「オレの両親を殺したお前が、なんで花束を置きにきた。……っ、お前は」


 そう尋ねる冬夜の手は震えていた。キラーは俯き、静かに言った。


「おれはこの家にいたやつらの子どもで、おれを捨てた両親を殺した。おれは、冬夜の弟だ」

「……嘘だ、オレに兄弟はいない!」


 冬夜は小剣を片手に向かっていった。それは憎悪か、悲嘆か。己の内に溜まった何かの感情を吐き出すかのように小剣を振りかざした。キラーはそれをさらりとかわすが、反撃する様子は見られない。


「おれは赤ん坊の時に捨てられた! 育てられないからって! そんな身勝手な親が、おれは許せなかったんだ!」


 キラーの言葉に聞く耳を持たない。いや、聞いてはならないと冬夜は判断した。それに苛立ったキラーは冬夜の攻撃を避けると、冬夜の後ろにいた梅香に刃を向けた。それによって彼女の存在をようやく認知し、咄嗟に庇った冬夜の右腕にナイフが当たった。キラーは思わず後退りする。


「お前、なんでここにいるんだよ!」

「えっと……」


 梅香は状況を把握するのに精一杯で冬夜の問いに答えることができない。冬夜は血が流れ出る右腕を脱力さえた。動かせないほどの痛みではないが、無理に動かそうとすれば傷口はもっと開いてしまうだろう。キラーはどうやら冬夜と戦いたくないらしく、様子を伺うだけで攻撃はしてこない。


「そこどいてよ冬夜! その子を殺せばおれはもう逃げるから!」

「逃がすかよ! ぜってぇ捕まえてやる!」


 冬夜は小剣を左手に持ち替えると、また攻撃を仕掛けにいった。キラーの中に苛立ちが募る。


「なんでだよ……なんでおれが悪いんだよ……」


 キラーは自分の胸を押さえると、冬夜に向かって走り出した。


「冬夜だって、憎かっただろう? 辛かっただろう? ずっと虐待されてたんだから!」


 黒いスカーフを操り、冬夜の右腕に絡みつかせると勢いよく引っ張った。冬夜は痛みのあまり左手に持っていた小剣を落とし、地面に倒れる。そして冬夜の体を足で押さえつけたキラーは歪んだ笑顔を見せる。


「親が死んで、嬉しかっただろ……?」


 冬夜の脳内に親との記憶が蘇る。毎日のように怒声が響く家。熱湯をかけられたことも、火のついたタバコを押しつけられたこともあった。苦しかった。辛かった。毎日のように泣いていた日々だった。それでも……。冬夜は起き上がり、キラーに蹴りを入れた。


「それでも親だったんだよ! 死んで嬉しいはずがない!」


 キラーの中で何かが音を立てて崩れた。信じていた人に裏切られたような気持ちが彼を襲う。


 ああ、冬夜もと一緒なんだ。自分とは違うんだ。


 そう思った瞬間、キラーは静かに笑みをこぼしていた。黒いスカーフをその場に置くとキラーは地を蹴り、冬夜めがけてナイフを振りかざす。その眼はもう、確実に『人殺しキラー』の眼だった。


 冬夜も殺す。


 キラーの心の中に芽生えた殺意はもう、誰にも止められない。小剣を拾う冬夜の頭を切りつけたキラーは、そのまま梅香に牙を剥いた。自分の体内から溢れる血液など気にもせずに、冬夜は必死に守ろうと動く。梅香の手を勢いよく引っ張り、キラーの攻撃をかわすと、手を繋いだまま梅香を背中に隠した冬夜は小声で言った。


「お前は絶対オレが守る」


 梅香の心臓が大きく高鳴った。

 梅香を守りながらキラーと戦わなければならない冬夜は、キラーよりも不利な状況にあった。キラーが冬夜の左から攻撃を仕掛ける。冬夜は避けようと右に動いた。梅香も右に動くが、冬夜に真正面に構えられたため敵の動きが見えず、一歩出遅れた。そこをキラーが襲ってきたのだ。舞い散る血飛沫と共に、つけていた水色の宝石のネックレスが落ちる。


「梅香!!」


 冬夜の脳裏に悠人の言葉がよぎった。


『梅香ちゃんがピンチだったら……冬夜はどんな気持ちになるのさ』


 梅香はこれまで幾度となく危険にさらされてきた。そのたびに冬夜は同じ気持ちを抱いてきていた。それは仕事で守らなければならないという域を超えるほどの恐怖だった。キラーを捕まえることも、梅香を守ることも、彼の信念なのだから。

 さらに攻めかかったキラーに対し、冬夜は小剣を振りおろした。梅香の甲高い叫びと共に血飛沫が舞う。キラーは腹部から、冬夜は右肩から左脇腹にかけて血が噴き出している。そこで意識は途絶えた。

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