第4話 ネックレス

 春のやわらかな風が、黒いスカーフを揺らす。灰色の短髪の奥に潜む鋭い瞳で見つめるのは、使い古されたピストルだった。ビルの屋上に座り、黙々とピストルの整備をしていた。時折ふと夜の街を眺めるその瞳はきらきらとしていて、どこか羨ましそうにも見える。整備し終えるとキラーは立ち上がり、いたずらっ子のような笑みで小さく呟いた。


「……冬夜」


✳︎


 梅香の登下校を毎日ボディーガードする冬夜。その間シリウスとプロキオンは、キラーの捜索をする。だが一向に進展しないまま、一週間が過ぎた。

 春も終わりに近づいてきた頃。梅香はいつものように冬夜と共に下校していた。周りの女子高生たちの黄色い声は未だ収まらない。その間をすり抜けるように二人は歩いていた。


「ギャラリーが多いな……ちっ」

「仕方ないですよ。あと目つき怖いのでやめてください」


 冬夜はいつにも増して機嫌が悪そうだった。最近、キラーが全く姿を現さなくなったからだ。シリウスとプロキオンが探してはいるものの、冬夜は梅香に付きっきり。冬夜にとってはつまらない時間だろう。


「どーせもう出てこねぇだろ……」


 そう呟き、冬夜は梅香をちらりと見た。その時、建物の屋上から梅香を狙う人影が目に入った。


「あぶねぇ!」


 冬夜は咄嗟に梅香を引っ張る。銃声が鳴り響き、銃弾が梅香の真横を通り過ぎた。梅香を庇いながらも冬夜の視界には、遠くから梅香に銃口を向けるキラーの姿がはっきりと映っていた。周りにいた人々は甲高い声をあげながら逃げ惑っている。

 パニックの渦の中、冬夜は必死に考えていた。ここは街中のため、発砲許可はおりない。何より冬夜の任務は梅香を守ること。

 冬夜は梅香の手を引っ張り走り出した。そして耳につけた通信機で仲間に連絡をとる。


「エリアBでキラー出没! これよりオレはエリアCに移動する!」


 通信機越しにプロキオンが返した。


「了解。シリウスに先回りさせるよ」


 キラーはビルの屋上をつたい、冬夜たちの後を追う。冬夜は時折振り返り、その様子を見ては舌打ちをする。


「追ってくるよな、やっぱ」


 冬夜たちを追いかけていたキラーの右肩を突然、銃弾がかすめた。撃たれたであろう方向を見ると、遠くのビルの屋上に小さな人影が見えた。


「あんな遠くから……どうやって……!」


 キラーは右肩を押さえながら、人影を睨みつける。その人影はシリウスだった。シリウスは狙撃銃を構えながらスコープ越しにキラーを見つめる。小さく息を吐くと、シリウスは引き金を引いた。銃弾が静かに飛び出し、キラーの頭部をかすめる。シリウスは静かに笑みをこぼした。キラーは痛みを堪えながらシリウスに向かっていく。

 逃げながら振り返り、それを心配そうに見つめる梅香。すると冬夜が梅香に声をかけた。


「心配するな、あいつの銃の腕前はピカイチだ。キラーを逃がすことはあっても、シリウスが死ぬことはない」


 接近戦に持ちこまれることを予想したシリウスは狙撃銃をその場に置くとピストルを手にした。キラーはすでに右肩、頭部に被弾している。となれば次狙うのは──


「足だよね」


 シリウスはにいっと笑いながら、キラーの足に向かって発砲した。弾は見事に命中。キラーは薄暗い路地に転がった。シリウスはビルの屋上から降り、路地に横たわるキラーを踏みつけ、ピストルを突きつけた。


「やっと……」


 シリウスが呟いた瞬間、キラーは足でシリウスの腹部を蹴りあげた。シリウスがよろけた隙にシリウスの右腕をナイフで切りつけると、その場から姿を消したキラー。痛む右腕を押さえながら、シリウスは悔しげに言葉をこぼす。


「まだ動けたのか……」


 ふうと息を吐くと、通信機に言った。


「キラーはエリアE方向に逃走。深手は負わせたからこれ以上は追ってこないと思われます」


 それを聞いた冬夜は立ち止まり、シリウスに返した。


「了解」


 ほっとひと息ついた冬夜。


「あー!」


 突然梅香が叫んだ。冬夜は驚きながら言う。


「な、なんだよ!」

「ね……ネックレスが……ない!!」


 梅香が毎日つけていた水色の宝石のネックレスが首元から消えていた。焦る梅香だが、冬夜はため息をつく。


「なんだ、それだけかよ……」

「ちょっとあたし、戻って探してきます!」

「あ、おい待て!」


 急いで戻ろうとする梅香の腕を冬夜が引っ張った。


「まだキラーがうろついているかもしれない! 今戻ったら危険だ!」

「でもネックレスが……」

「ネックレスごときでうるせぇんだ──」

「ネックレスごときなんて言わないで!!」


 梅香の叫びで冬夜はハッとした。梅香は涙を堪えながら声を絞り出した。


「あのネックレスはあたしの大切なものなんです。ずっとずっとつけていた宝物なんです……」


 嗚咽を漏らしながら必死にそう言う梅香に、冬夜は頭をかいた。


「……わかったよ。とりあえずお前は帰れ。危険な場所には行かせられない。オレが探してきてやるから」


 幸い、梅香の家はもう目と鼻の先。梅香が家の中に入ることを確認した冬夜。


「……しゃーねぇ」


 そうこぼすと、冬夜は今きた道を辿った。

 一方家の中に入った梅香は玄関でうずくまり、泣いていた。あんなに大事なものをなぜ落としてしまったのか。そんな後悔が次から次へと押し寄せてくる。涙を拭き自分の部屋に入るも、見つからなかった時の恐怖感に襲われ、何も手につかない。そんな状況が一時間ほど続いた。やがて……。


──ピンポーン


 家のインターホンが鳴った。梅香がゆっくりと玄関の扉を開けると、そこには息を切らした冬夜がいた。冬夜は梅香の手をとり、何かを握らせた。梅香がそっと手を開くと、そこにはチェーンの切れた梅香のネックレスがあった。


「最初に襲われたところに落ちてた。チェーンが錆びてボロボロになってたから、多分オレが引っ張った時に落ちたんだろ。……わりぃな。あとこれ」


 そう言って冬夜が渡してきたのは、新しいチェーンだった。


「案外チェーンだけでも売ってるもんなのな」


 梅香は呆然とした後、思い出したように言った。


「あ、ありがとう!」


 ネックレスを見つめた後、満面の笑みを浮かべた梅香。思わず冬夜の胸が高鳴る。冬夜はそれを隠すように梅香に背を向け、颯爽とその場から去った。


「じゃあな」


 そう言葉を残した冬夜。その背中に梅香は一生懸命手を振り続けていた。

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