第3話 母親

「あの……」


 梅香が戸惑うのも無理はなかった。なぜなら彼──ベテルギウスに原因があった。


「あ?」

「ベ、ベテルギウス……さん」

「それはコードネームだ。一般人がいるところでは折田おりた冬夜とうやで通せ。オレの本名だ」


 スタスタと歩き出す冬夜。梅香は慌てて追いかける。


「冬夜……くん、あの……学校の前で待たないでほしいなぁ、なんて……」

「あ? なんでだ」

「その……」


 梅香は周りを恥ずかしげに見回す。女子高生たちが黄色い声をあげながら二人を見ていた。みんな、冬夜の顔立ちの良さに見惚れているのだ。だが彼はそんなことには気づかず、ほら行くぞと歩き続ける。梅香は茶色い長髪を耳にかけると、慌てて冬夜の後を追った。

 学校から家までは徒歩三十分程。それまでの辛抱だ。梅香はそう思いながら冬夜の背中を見つめた。束ねた灰色の長髪が歩みに合わせてゆらゆらと揺れている。ところどころに白髪も混じっているようだ。


「何見てんだよ」


 梅香は冬夜の横に並ぶ。


「いえ、綺麗に染まってるなと思ったので」

「染めてんじゃねぇ、地毛だ」

「え、これで地毛なんですか!?」


 驚く梅香は冬夜に睨みつけられ、失礼なことを言ってしまったと思い慌てて口を塞ぐ。

 十分程歩いたところで冬夜が止まった。


「おい」

「あ、はい!」


 冬夜はとあるお店を指さす。


「ここ入るぞ」


 冬夜のさした方向を見た梅香の表情が固まる。


「ここ、ですか……」


✳︎


 ふんわりとしたソファにどかっと座る冬夜。向かいでは梅香が顔を真っ赤に染めながらちょこんと座っていた。天井にシャンデリアが吊るされているこの場所は、近場では有名なおしゃれなカフェだった。周りはカップルだらけのこのお店。梅香は恥ずかしそうに冬夜を見つめる。


「……良いんですか? あたしだけ頼んで」


 梅香がちらりと厨房の方を見ると、店員と目が合い慌ててそらす。

 テーブルの上にはアイスカフェラテが一つ、梅香の前に置かれていた。

 店員の視線にも意に介さず、冬夜は配膳された水をごくりと飲んだ。


「良いんだよ。飲むために寄ったわけじゃねぇんだから」

「冬夜くんは……その……恥ずかしくないんですか?」


 カフェで何も注文しない冬夜の豪胆さは到底梅香には真似できない。店員の視線が痛く感じる。

 顔を赤くして俯く梅香に対して冬夜は邪険に扱う。


「何がだよ。つかその冬夜くんってのやめろ、馴れ馴れしい」

「じゃあなんて呼べばいいですか?」

「冬夜様だな!」

「……いやです」


 梅香はだいぶ緊張がほぐれたのか、アイスカフェラテを一口飲むと笑みをこぼした。恥ずかしさでいっぱいだった時とはまた違う、薄ピンク色の頬に変わる。


「お前、オレたちの基地で目覚めた時、動揺しなかったよな。理由を聞かれた時に『慣れてる』って言ってたな。……お前、もしかして──」


 神妙な顔で切り出した冬夜に、梅香はあ、と微笑みながら言った。


「あたし、よく迷子になるんですよ」

「……」

「……?」

「……は、迷子?」


 梅香はとびきりの笑顔で言った。


「はい。ぼーっと歩いてるとよく迷子になるんです。知らない場所では一旦冷静になることが重要なので!」


 純粋無垢な梅香の笑顔を見て、冬夜は思わず項垂れる。


「なんだよそりゃあ……。てっきりなんかの組織かと思ったのにただのドジかよ」

「その言い方はどうかと思いますけどね。そう言えばあたしが学校行ってる間は何してたんですか?」

「キラーを探してた。どうせ学校の中までは狙われないだろうからな。そういうお前はちゃんと勉強してたのかよ」

「が、頑張ってますよ……」


 梅香はカフェの壁にかけられた時計をちらりと見る。時刻は午後五時ごろ。


「……まだ、話ありますか?」

「あ? なんか用事でもあるのか?」

「まあ……夜ご飯の買い出しに行きたくて」


 冬夜はううんと唸った。


「お前、本当にキラーの顔覚えていないのか?」

「一瞬だったので……すみません。あ、でも……」


 梅香は何かを思い出したように一瞬顔をあげた後、すぐに俯いた。


「でも、なんだよ」

「何か違和感があったような気がしたんですけど……」

「違和感? なんだ」


 梅香は顔をしかめて考えるが……。


「わ、わからないです」

「……はぁ、まあ仕方ないか。今日はいいや。買い出しだろ? ほら行くぞ。オレの任務はお前を家まで送り届けることなんだからな」


 冬夜はさっさと会計を済ませ、カフェを出た。財布を探していた梅香は呆然とした後、慌てて冬夜を追いかける。


「あたし払えます!」

「買い出しするんだろ? そのためにとっとけ」


 さらっとキザなセリフを吐いた冬夜に、梅香の心臓がドキッと高鳴った。


「──お前が料理作ってんのか?」


 玉ねぎを選ぶ梅香に冬夜がそう問いかけた。

 カフェを出た二人は帰路の途中にあるスーパーの野菜コーナーにいた。


「はい。あたしのお母さん亡くなっているので」


 手にした玉ねぎをカゴに入れ振り向く梅香と目が合う。

 気まずさから冬夜は目をそらす。しかし、当の本人は全く気にしていない様子だった。


「お父さんは仕事で忙しいので、基本家事はあたしがやっているんです。お母さんが亡くなってから二年になるので、もう慣れましたけど」


 次から次へと手際良く食材をカゴの中にいれていく。卵、豚ひき肉、ケチャップ。


「……ハンバーグか?」

「いえ、オムライスです。お母さんがよく作ってくれていたんです」


 オムライスに豚ひき肉とは、なんとも珍しい家庭だ。冬夜はそう思いながらふと窓の外を見た。斜陽が辺りを照らしている。それに気づいた梅香がはにかみながら冬夜に言った。


「そろそろ、帰りましょうか」


✳︎


 買い物袋を手に、冬夜に尋ねた。


「その……キラーさん? って何者なんですか? どうしてその人を捕まえようとしているんですか?」

「犯罪者だからな、あいつは。ピストル持ってただろ」

「でも、冬夜くんもピストル持ってますよね」


 冬夜は辺りに人がいないことを確認すると、おもむろにピストルを取り出した。


「オレたちは警察公認の組織だ。だからピストルの所持が許されている。いろいろ規則はあるがな」

「規則?」

「公共施設や街中では発砲してはいけないとか、常にサプレッサーをつけて音を抑制しないといけないとか。だからキラーと接敵する時は人気ひとけの少ないところを狙っている。この辺りみたいにな」


 冬夜のセリフに梅香は不安を抱く。なぜならあと十メートルも歩けば、家にたどり着いてしまうからだ。この辺りにキラーが出没しやすいということだろう。そうすれば家の中までも──


「ま、流石に家の中までは入ってこないだろ。ほら、着いたぞ」


 まるで心を読んだような冬夜の言葉に、梅香は少し安堵する。


「ありがとうございました」

「おう、気をつけろよ」

「はい!」


 はにかむ梅香が家の中に入るのを見送ると、冬夜は独り言つ。


「親……か」


 振り返り、元きた道を辿る冬夜。その眼はどこか寂寥せきりょうを感じさせるものだった。

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