八月
探訪①
夏休みの中頃。8月上旬。8月の2日目。計4人でぼろぼろに崩れた室堂平に踏み込みました。麓の夏がキラキラと輝く、美しい景色でした。
西の森駅からJRで2時間、乗り継ぎ3回。そうして東京駅に出ると、そこから北陸新幹線に乗って黒部宇奈月温泉駅で降りました。そこで、奥田さんと瀬川さんの2人に合流しました。
私は終始泣きそうでした。不安に押し潰されそうで。
でも、あいちゃんが隣にずっといたから、堪えた。いつもはセーラー服で、スカートを履いている私たちが、今日はズボンにトレッキングシューズという出で立ちで遠出する。その目的地では、何があるかわからない。紗希姉との感動の再会が待っているのか、それとも死体となった姉と対面することになるのか。いつもと真反対の状況で、どうしても最悪の場合の想定が頭から離れませんでした。
「のぞみん、いよいよだね。」
「うん。」
「のぞみん、緊張してるでしょ?」
「まあ、ちょっとね。」
「大丈夫。だって、この倉沢藍子がいるからね。」
あいちゃんは私を励ましてくれました。あいちゃん、ありがとう。でも、ごめんね。
行きの車の中では、奥田さんが終始しゃべっていました。きっと、彼なりに私に気を遣ってくださったのだと思います。有名な男性アイドルの話や、奥田さんが好きなクラシック音楽の話、特にラフマニノフの話をしていました。車内では、奥田さんの話の内容とは正反対のヒップホップがかかっていました。
富山県は、米どころです。田畑ばかりの田舎道を走り続け、山に沿って走っていくと、いつしかその道は険しくなっていきました。
かつて使われていた立山黒部アルペンルートを通りました。毎年雪の壁ができると地域のニュースで報道されていた美しい場所とは到底思えませんでした。道路のコンクリートはひび割れ、ガードレールには苔が生えていました。おそらく観光客はケーブルカーを使ってこの道を行き来していたのでしょう。上空には一本の線が張られていました。
そこからは、美女平から天狗平までは車で行けました。
しかし、そこを過ぎると、ある場所に立ち入り禁止のロープが張られ、そこから先はコンクリートで舗装された道が途切れていました。天狗平から、私たちは歩いて室堂平を目指しました。高山であるためなのでしょう、夏だというのに薄く雪が積もっていました。
私は立ち入り禁止区域に入る前に警官に出会ってしまうことも予想していました。しかし、予想に反して、誰もいませんでした。本当に、誰一人として、人間がいませんでした。
天狗平から室堂へと歩いている最中、あいちゃんが独り言を言いました。
「紗希さんは、なんで失踪したんだろうね。」
誰もその質問に答えないでいると、続けてあいちゃんは言いました。
「それで、なんで行き先が室堂だったの……?のぞみんは、わかるんだよね?」
「うん、わかるよ。でも、理由は知らない。想像もつかない。」
私は嘘をつきました。私には、理由は分かります、いえ、わかる気がします。
「ふうん、そっか。」
あいちゃんが付いた相槌「ふうん」は、いったいどういう意味だったのでしょうか。なるほど、という意味が込められているのか、それともただ何となく口から出た言葉がそれだったのか。
紗希姉だけは、母を愛していました。9歳までは姉妹の末の子として過ごしていたわけですから、母が彼氏を連れてきたとき、たいていは一番かまってもらえます。男にかまってもらうことができれば、母も同様にかまってくれます。そうやって、紗希姉本人が言っていました。
友希姉は母のせいもあって元来しっかり者で、だからあまり母との思い出がないと以前言っていました。母が私を妊娠してつわりで苦しんでいるときも、看病していたのは友希姉で、紗希姉は、母に甘えていたとも聞いています。
紗希姉はいつも言っていました。室堂で、姉妹3人で遊んでいたあの頃に戻りたい、と。大学を卒業し、紗希姉は就職が決まっていました。周りの友達が卒業旅行などで遊んでいる間、紗希姉は一人、家で過ごしていました。あの時、どんな気持ちでいたのか、私には分かりかねます。きっと苦しい思いをしていたのでしょう。
一度だけ、紗希姉の左腕を見たことがありました。横向きの線、それは傷です。リストカットの痕跡がありました。リストカットをしてしまった理由は、今の私には分かりませんが、自分はなんてダメな奴なんだ。そんな風に思っていたとしても、そして、希死念慮を抱えていたとしても、まったく不思議はありません。
いや、きっと希死念慮を抱えていたことでしょう。リストカットをする人の心理を完全に理解することは、私にはできません。でも、きっと、死にたかったのでしょう。
死に場所として思い浮かんだのが、室堂だったのではないでしょうか。
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