4-6
黒みが陰り始めた天空――、地平線から覗く夕日の光が校舎の屋上へと照り注ぐ。
静かに風立つ中、相対すのは年ごろな二人の少女。
「どうしたの、時永さん? せっかく同じ部なんだし、要件は部室で話せばいいのに」
背中の半ばに掛かる黒髪を風に靡かせ、――――轟遊奈は後ろで手を組み、前方の顔なじみを可憐な瞳で伺った。
「どうして凪沙ちゃんと涼乃ちゃんを……傷つけたの? あんなことしたら…………っ」
注目を一身に受ける――――時永琴夜は、表情を隠すがごとく目を伏せる。
遊奈は余韻に浸るように目を閉じ、ふふっと力なく微笑し、
「あたしのこと、疑っちゃってる?」
「疑ってなかったら、わざわざこんな所に呼ばないから」
「呼んで、どうしたいの? あたしにけじめでも付けるつもり?」
「そうだね。轟さんとは一緒の最期になるかもしれないけど、これは私の役目だから」
「一緒の最期か……」
くすっと、遊奈は笑う。
思いがけずと言った感じに、琴夜はおもてを上げた。遊奈に劣らずの円らな瞳に映ったのは、心の底から嬉しそうに笑う幼馴染の姿。
「琴夜ちゃん、やっとあたしを見てくれたっ」
きっぱりとした声で、彼女はそんな声を伝えた。
顔に平静の色を微かに失った琴夜、
「……ずっと、見てたから」
聞こえない程度の発声で、彼女は小さく漏らす。
遊奈は口元を緩め、切なげに目を狭めて、
「いつからこうなっちゃったんだろ?」
「それは……っ、遊奈ちゃんが私をいっぱい否定するから……。それに――……」
「琴夜ちゃんだって、あたしを避けてたクセに……。それと――……」
お互い、昔とは変わっちゃったから。
その言葉は二人とも、あえて言わない。それは言うまでもなく知っていることだからなのか、真意はどちらにもわからなかった。
しばらくの静寂が両者に流れる。
先に、琴夜が口を開き、
「もう、終わりだね……」
遊奈に向けて一歩踏み出そうとした――――、その時だった。
「待ちな。時嬢部にはもう一人いること、忘れるなよ」
扉から刺すように放たれた、少年の声。
琴夜を制すには十分な一言。
「アマト、くん? どうして……ここに?」
少年、――篠宮天祷は口を閉ざし、一歩ずつ前、対になる少女の下へ歩む。そうして彼は二人に挟まれる形で、遊奈の前へと立ち現れた。
遊奈は肩を落として、力ないため息をつき、
「あーあ、せっかくイイ流れだったんだし、部外者が水を差さないでよね。いい? これはあたしと時永さんの問題。関係ないしのみーは大人しく引っ込んでて」
「………………」
それでも彼は、沈黙を貫く。
ポケットに手を入れ、対面する彼女を恥ずかしげもなく捉えて。
普段は温厚なはずの遊奈も、この時ばかりは流石に痺れを切らしたのか、
「ねえ、用があるなら言ってよっ。伝えてくれないとこっちが困るから!」
するとようやく、アマトは口元に余裕を持たせ、
「それ、まさにお前らのことだよな。言葉にしないから伝わらない。察してほしいとばかり思ってるから、こんな状況になってる」
「知った口を利かないで。たかが中学生のクセして、
パッチリと大きな目も今は鋭さを含み、黒くて細い眉も怪訝に曲げられている。
それに対して琴夜は、唖然とアマトの背を見つめるのみ。
アマトは何一つ顔色を変えはせず、
「なあ、遊奈。――――この世で最も素敵な魔法、知ってるか?」
「……素敵な、魔法? ……ふざけるなら今すぐ消えて」
「琴夜に言った時は疑われたけどさぁ、割とマジメに言ったつもりなんだぜ?」
彼は臆すことなく背筋を伸ばし、あらためて遊奈の顔を眺め、
「聞かせてやるよ、この世で最も素敵な魔法ってヤツを。
「だから、さっきから何を言って……っ」
ジリッと、一歩近づきかけた遊奈。
されどアマトは気後れせず、遊奈の円らな瞳をしっかりと見つめ――――、
「俺は琴夜が好きだ」
「…………ッ!?」
その場に流れる静寂。遊奈、しいては琴夜すら何も発しない。
やがて遊奈が、
「バカ、なに言ってるの! そっ、そんなことあたしに言われたって……」
「おいおい、俺のことなんがアウトオブ眼中じゃないのか? 取り乱してどうした?」
「と、取り乱してなんか……」
とはいえ、アマトの後ろを執拗なほどに遊奈は覗く。
「平凡な中学生の告白にうろたえてるようじゃ、世界がどうこう言うのは滑稽だぜ? ハッタリかますくらいのことはしてみろよ?」
「うろたえてなんか……」
「いいや、うろたえてるね。いつもの遊奈なら他人の告白程度、したり顔で冷やかすくらいのことはする」
「うっ、うっさい……」
仕舞には小さな雫を目尻にジワリと浮かべ、嗚咽をあげ始めてしまう遊奈。
だがしかし――――、
「アマトくん」
少年の肩に置かれた、柔らかな手。
振り向き際、アマトの瞳に照らされるのは、夕日を眩く反照する橙髪。
そして、
「…………、バカッ!!」
アマトの頬は、柔らかな手によって思い切り叩かれた。
フラリと足元を崩したアマトの身。しかし琴夜は彼の肩を掴み、強引に正面を向けさせ、
「なんでそんな嘘つくの、バカ! ……アマトくんの大バカ!」
アマトを見ることはしない。下を向き、涙声を精一杯響かせようと声を張り上げる。
ポタリ、ポタリと、地に染みがつくられる。
やがて琴夜は顔を上げた。円らな瞳からボロボロと、溢れる涙を流して。
アマトの目に映る彼女は今にも壊れそうで、崩れそうで――……、
「私がキミの狙いをわからなかったら……どうしてたの? 私に……嫌われたんだよ? そしたら部活、できなくなるんだよ……? もっとよく……考えてよ……ばかぁ……」
「……ごめん」
「せっかく楽しかったのに……、アマトくんと楽しかったのに……、壊れるのなんてやだぁ。壊さないでよぉ……」
「…………ごめん」
「繋がりが壊れるのは……もうやだ……。壊れたら……戻せないからぁ……」
「琴夜……」
「……えぐっ、苦しかったよぉ……。……変わりたくないよぉ……。わたし、もう変わりたくない……」
「…………そっか」
琴夜に身を委ねたまま、ポツリとアマトは告げた。
だがその時、彼の頭は琴夜の手によって上げられ、
「あの告白、キミと過ごした私ならすぐに嘘だってわかるから」
彼女はアマトの肩に腕を回し、細身を細身で抱き寄せた。
琴夜の震えは、一身にアマトへと伝わる。
「琴夜、ごめんなさい」
申し訳なさでいっぱいになったアマトの心。
けれど、不思議と――――、
「よかった、俺は石ころじゃなかったんだ」
琴夜は腕に一層の力を込め、
「……ばか、ほんとキミはばか。ばか、ばか、ばか……」
しばらく、琴夜はアマトの胸に顔を埋める。湿った温もりが制服越しに、アマトに伝達する。
「……こーゆーの、アマトくんが嫌ってた自己犠牲ってヤツじゃないの? 嘘告白なんて、自分も傷つくに決まってるでしょ……?」
「いや、違うよ。だって、俺は傷ついてないし。……わかってたんだ、琴夜ならどう考えてくれるかって。なんとなくだけど」
「……んもう、ばか。こっちが恥ずかしくなるじゃん」
そしてアマトは、呆然と立ち尽くしている黒髪の少女を見て、
「結局、お前のやり方は誰かを傷つけるだけなんだよ。それに傷つけたところで、琴夜はお前のことなんか見ないから」
遊奈は震える瞳で琴夜を見つめ、
「あたし、見てもらえてなかったじゃん……。琴夜ちゃん、傷つけてただけじゃん……」
零れる小さな雫は、徐々に大きな粒となって彼女の頬を伝い、
「……さっき、やっとあたしを見てくれたと思った。でも、それって本当に見るってことじゃないんだね……。今の二人を見て、やっと……」
遊奈は静かに顔を伏せ、
「……えぐっ、……ごめん、なさい。……ごめんなさいっ」
頬を流れる大粒の涙を地に滴らせ、彼女は途切れ途切れに言葉を漏らす。
あの『仮面』はどこにもない。垣間見えた、遊奈の顔。
「ごめんなさい! ごめん……なさい!」
こうして傷だらけになった時嬢部は、完全なる終わりを迎えた。
そして――――……。
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