4章 ゆえに彼女らの止まっていた時間は今、動き出す

4-1

「あーあ、どうしてこうなっちゃったのかな?」


 部室扉の傍近、少女は力なく壁にもたれ、抑揚のない呟きを人知れず口にする。目元に翳る黒の前髪。


「気づいてよ、あたしの気持ち……ばかっ」


 顔を伏せ、心の奥底に溜めたものを振り絞るように、彼女は声に出す。

 その時、ポケット内が小刻みに振動した。彼女はモノクロ柄にデコレーションされたスマートフォンを取り出し、


「……そっか」


 送られてきた彼女からのメールに目を通すと、新規作成したメールを短時間で打ち、彼に送信。件名欄には『バイバイしのみー』と、本文にはたったの一行のみを打ち込んで。


 少女は壁から背を離し、メールに従いそこへと向かっていく。

 

 彼女と一緒に過ごした十数年間を、余すことなく一から思い出しながら。

 

        ◆

 

 中世のヨーロッパを模した造りの――「時間の国」は、見ごたえのある栄えた街、景観を彩る豊かな自然と、大変に美しい国の一つ。過去千年を遡っても領土内における戦争の記録はなく、維持された平和は国にとっての大きな自慢だ。

 

 そんな時間の国で、――――時を同じくして二つの命が誕生する。

 

「わー琴夜ちゃん、こっちのお花もきれいっ」


 見渡す限り色彩豊かな天然の花畑、歳はまだ十にも届いていないであろう黒髪の女の子は、愛らしい瞳を懸命に輝かせながら、一本の赤い花を丁寧に摘む。


「遊奈ちゃん、こっちにも素敵なお花がいっぱいあるよ」


 肩に掛かる橙髪を振りまくように、黒髪の少女と並んで一面の花々に夢中なその女の子。

 二人は部屋に飾る花を探すため、それぞれの母親とともにこの素敵な場所へと赴いていた。


「遊奈ちゃん、たくさん摘んじゃうとお花さんがかわいそうだから、しっかり選んであげようね」

「はーい、わかりましたっ」


 優しい言葉を受け取った黒髪の女の子は元気よく手を挙げ、無邪気な顔で、言葉のとおりじっくりと花々を吟味していく。


 ――――二人の両親は、二人が誕生する以前から深い交流をもっていた。決して上流とは言えない中流階級の生まれの中、少女らはまるで本当の姉妹のように仲が良かった。


 ふと、琴夜はカラフルな花々から顔を上げ、


「ねぇねぇ遊奈ちゃん。来週のパレード、もちろん見に行くよね?」

「あ、みらい様の『神様』就任パレードのこと? うん、行くに決まってるよ」


 時間の国における学校制度のすべてを担う組織、――七人のお嬢様。少年少女からの憧れを一身に受ける彼女らに対し、琴夜と遊奈も言わずもがな、強い憧れをめいめいが持っていた。

 遊奈はグッと拳を握り締め、んーっと意気込むように唸り、


「遊奈、パレードでお嬢様に顔を覚えてもらうんだ。こんなにかわいくて頭のいい子がここにいるんだぞ、って」

「でもぉ、お嬢様になるのって難しいよ? 友達、みーんななりたいって言うし。私だってなりたいけど……なれるかなぁ? 遊奈ちゃんはすごく頭いいけど、私は……」


 しかし、琴夜の弱音を聞けども遊奈は、


「だいじょーぶ、琴夜ちゃんならなれるっ」


 琴夜の手をガッチリと握り、不安皆無な満面の笑みを友達に浮かべて見せる。

 スッと顔の強張りが解けた琴夜、無垢に顔を綻ばせ、


「うん、遊奈ちゃんもねっ」


       ◆


「琴夜ちゃん、こっちこっち!」


 国の政治の拠点であり、そして七人のお嬢様が日々の公務をこなす広大な宮殿の前は、老若男女問わず数多の群集で埋められていた。


「わっ! 遊奈ちゃん、待ってよぉ~」


 そんな人の群れを縫うように抜けていく、年端もいかない一組の女の子たち。


「ねぇ~、もう後ろから見よ? これじゃ前には……」


 遊奈は片腕でくまのぬいぐるみを大事に抱きながら、背後に手を差し伸べ、


「目の前でお嬢様を見られるチャンス、滅多にないから諦めちゃダメだよ!」


 弱音を口にしていた琴夜だけれども、差し出された掌を見て、


「うん、もうちょっと頑張る!」


 こうして遊奈が引っ張る形で、二人は人だかりを押しのけつつ前へ前へと進んでゆき――、


「わあぁ、やったぁ! 特等席だ!」


 ……――ついにレッドカーペットの目下へと躍り出ることができた二人。


 くたくたになりながらも琴夜は、ロードの先を見るや否や、眩しく目を輝かせ、


「あの茶髪……本物の凪沙様だっ。隣に……飾音様もっ。アリス様に涼乃様、それに――……」


 お嬢様の名を呼びながら、琴夜は周りに負けじと懸命に手を振る。

 遊奈はお嬢様らの中心に立つ一人の少女へ、熱心に視線を集め、


「あれが今日から『神様』になる――――みらい様!」


 煌びやかなお嬢様らの中でも特に際立つ、艶のあるロングの黒髪。一度手を挙げれば大きな歓声を生む、これから『神様』の地位を担うことになった彼女の名は白土しらとみらい。


 彼女の存在こそが、琴夜、はたまた遊奈の未来を大きく変えていく鍵になることは、両者ともまだ知る由もなかった。


 人々、特に少年少女らが主役たちに懸命に呼びかける中、琴夜も遊奈も懸命に声援を送る。

 やがて、憧れのお嬢様たちとの距離も狭まり――――、


「わぁあ、すごい……」

「かっこいい……、きれい……」


 間近で見るお嬢様は、圧巻だった。

 言葉では形容のできないなにかが、少女らの心を深々と満たす。


 平民の自分たちとは何もかもが違う存在。生きる世界は当然のこと、根本的な部分すらも、自分たちとはかけ離れていた。


 容姿? 振る舞い? オーラ? 気品? 性格? 才能? ――否、何もかも。


 それほどまでに高貴な立ち位置で、手の届かない世界に住む存在。

 それでも、二人はうんと己をアピールする。ぜひ私を、あたしを見てほしいと願って。


 するとその時、


「ふふん」


 『神様』はこっそりと、琴夜と遊奈の前で立ち止まったのだ。

 彼女は切れ長の目を二人に優しく向け、懐から時計柄の便箋を取り出し、


「ほいっ。よかったらこのあと、二人で宮殿に遊びにおいで。これは私からの招待状」


 代表して琴夜が恐る恐る便箋を受け取ると、みらいはバイバイと手を振り、何事もなかったかのようにロードの先を進んでいく。

 時間にして、ほんの十数秒の出来事。


「…………信じられない」

「…………うそ、だよね?」

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