3-5

 店を出ると、時刻はすでに午後三時を回っていた。


 アマト、遊奈は近くのベンチで軽い身支度をし、


「しのみー、今日は付き合ってくれてありがとね。しのみーはどうだか知らないけど、あたしはそこそこ楽しめたよ」

「そこそこかいっ。ゲストになんて無礼なセリフ……」


「ふふーん、ツンデレ遊奈さんの言葉を鵜呑みにしてはいけませんよ? このあたしが簡単に本音を話すと思う?」

「……犬にはガチでビビってたクセして」


 アマトは解きかけの靴ひもを結ぼうと屈み、


「俺も楽しかったよ。最後の宇治金時だけでも来た甲斐があった。また機会があったら誘ってくれよな」


 今度はあの琴夜も一緒に――……、彼はそう言い加えようとした。

 だけれども、屈むアマトを唐突に覆い尽くした影がそれを拒む。


「――――なにしてるの、二人とも」


 結びかけた靴ひもから手を離したアマト、


(まさか、この声……)


 恐れを抱きながら徐々に頭を上げると、


「こ、琴夜……。どうして、ここに……」


 ベンチ前、見下ろすような冷たい目つきで二人を捉えているのは、――あの時永琴夜。

 否、冷酷な視線を投げかけている対象は彼女一人。


「同じクラスの矢作さんからメールがあったんだ。アマトくんと轟さんが二人きりでいるって。私、たまたま近くで買い物してたから来ちゃった」


 アマトは苦虫を噛み潰したような表情で、


(チッ、やられた……。でも、そりゃあ遊奈には報復するよな……)


 ともかく、無駄ではあろうが琴夜に弁解を試みようと口を開きかけたが、


「って、ちょ……ッ!?」


 何の前触れもなく掴まれたアマトの腕、――琴夜は迷いなく彼を引っ張ったのだ。

 アマトはよろりとベンチを立ち、反動で一歩二歩の千鳥足になる。


「…………」


 前髪で瞳を隠し、人知れず口を閉じる遊奈。

 けれどもすぐに、彼女は含みを持たせた表情で琴夜に顔を向け、


「ひょっとするとひょっとして、このあたしに嫉妬しちゃった? しのみーとこっそりイチャコラしてたのが許せなかった?」

「…………、別に」


 不機嫌そうにそっぽを向く琴夜。


「ゴメン、お二人のラブコメを邪魔しちゃって! でもでも、遊奈はそういう関係を冷やかすのが大好きですし。初々しいやり取りはイイ目の保養になるかも」


 わずかに、遊奈の抱く包装袋はギュッと鈍い音を鳴らした。


「まだ琴夜と出会って二週間も経ってないし、全然そんな関係じゃないから」


 あははと笑った黒髪の少女は、晴れ晴れしい目顔でアマトに手を振り、


「どうせしのみーとお別れするトコだったし、時永さんはご要望のしのみーと一緒に帰れば? そんじゃ、バイバイ」


 琴夜は口を結んだまま背を向き、


「アマトくんを返して」


 冷たく、彼女は告げた。


「…………ッ」


 ピクリと、遊奈の細い眉が動く。

 言葉とは裏腹に、アマトを置き去りにしたまま琴夜は二人の下を離れてゆく。


「…………」


 再び前髪で覆われる、愛嬌の凝縮された瞳。

 アマトは琴夜の背後を急いで追い、


「おい、どうして遊奈に突っかかるんだよ……っ」

「……、わかんないよぉっ」

「だからって、琴夜……」


 わかっている。


 琴夜に働きかけるそれは、『恋心』と済ませられるものでは決してないことなど。

 アマトは勝手な判断でペースを緩め、背後を密かに伺った。


「…………っ」


 思わず、アマトは息を呑む。

 なぜならば。


 円らな瞳からボロボロと、彼女は涙を零していたのだから。


 直近まで見せていた顔が嘘のように、遠目でもわかるくらいに小刻みに震えて、遊奈は手の甲で目尻を掬っている。喧騒に阻まれながらも、嗚咽も確かにアマトの元へと届く。

 戻ろうと、アマトは無意識に一歩を踏み出した。だが、


「――――行かないでっ」


 それは拒まれる、背後から袖をつままれるという形で。

 その力は弱弱しい。けれどもそれは、何よりも強固な楔。


 アマトは地を擦るように足を止め、首の動きで背を確かめる。

 琴夜は俯いたまま、アマトを決して解放しようとしない。


「俺は行かねえよ」


 自分が行ったところで意味はないと、アマトはそれを知っているから。

 彼は遊奈に尋ねた、『俺のこと好きか?』と――――。それは、本音を知っていたうえで。


(やっとわかったんだよ、遊奈の俺を見る目の意味が)


 遊奈は『大好き』とも、逆に『大嫌い』とも思わないはず。

 きっと本音はこうだろう――――、『どうでもいい』と。


(俺のことなんてこれっぽっちも見てないんだよ。文学部で一緒だったころから、今日一緒に過ごした時間ときも)


 だから今の遊奈の心情だって、アマトが琴夜に取られたと感じたから引き起こされたものではないはず。むしろ逆。


(遊奈がいつでも見てるのは――――)


 彼は後背のオレンジ髪を見つめる。


(俺なんかじゃなくて――――――琴夜、お前なんだよ)


 心の中とはいえ、珍しくぶっきらぼうに彼はそう吐き捨てた。

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