3-4
食事を済ませ、賑やかな通りを再び散策していく篠宮天祷と轟遊奈。遊奈の欲する友達への誕生日プレゼントを選ぶため、面白そうな雑貨屋を覗こうとした二人であったが、
「……うっ」
遊奈の正面、大型の西洋犬が睨みを利かせながらワンワンと強く吠える。首輪は施されているものの、動きを制御するためのリードは繋がれていない。おそらくリードが外れて飼い主の下を離れたのであろう。
「しのみー……」
壁際に追い込まれ、ジワリと目尻に涙を浮かべた遊奈は、隣のアマトに縋る。だが、
「ちょ、俺だって無理なんですけど! こんなクレイジードッグ相手にできるほど肝座ってねえし!」
男子であるアマトすらも顔を引きつらせ、それどころか遊奈へと助けを求める始末。
見て見ぬ振りをする通行人を恨みつつ、可哀そうではあるが犬を蹴とばしてでもピンチを脱しようとアマトが考えた、――その時、
「こら、ナッツ! 勝手に離れちゃダメでしょ!」
どこからか放たれた少女の刺すような声に併せて、西洋犬はピタリと鳴きやむ。
「この声、どこかで……」
久しぶりに耳にした声、そして二人の前に現れる――……、
「って、篠宮くん!? ……それに、遊奈ちゃんも!?」
矢作麻友。
アマト、遊奈とともに文学部の一員であったおさげ髪の同級生。
彼女は目を丸くし、震える指を恐る恐る二人に向け、
「あ、あれ……? 遊奈ちゃんって……西春くんと付き合ってるはずだよね? 篠宮くんだってあの時永さんと最近は……。その二人がどうして……いっ、一緒に……」
彼女が密かに好意を抱いていた幼馴染を先にモノにした遊奈が、一緒の部で活動していた篠宮天祷と揃って休日を過ごしているのは、矢作からしてみれば当然驚くべきことだろう。
「待てい! 俺は遊奈と買い物しに来ただけだっ。それと琴夜とも何の関係もないからっ。勘違いされちゃあ困る!」
犬に怯えはしつつも、遊奈は小悪魔的な顔つきで、
「そうそう、あたしの眼中にデリカシーゼロの子がいると思う? 今日はお手伝いさんとして一緒に来てもらっただけ。それよりまゆゆ、飼い犬は絶対に目を離しちゃダメだからっ」
「そっ、そう……。あ、ごめんなさい、邪魔しちゃって……」
かくして矢作は以前しばし見せた、無理に口角を上げたような笑みを浮かべ、
「…………」
細い目で遊奈を垣間見たのち、無言でその場を離れていった。
「なんか元文学部の人間関係、グッチャグチャ……。今に影響が出ないといいけど……」
ともかく、遊奈と店の中に入ることにしたアマト。彼は遊奈の傍で商品を眺めながら、
「犬、嫌いなの? 苦手というか、怖そうにしてたけど」
「……ぶっちゃけ、嫌いかも。ずーっと昔だけど、大切なぬいぐるみを噛みちぎられて吠えられまくってから……。そういうしのみーこそ、情けなくビクビクしてたけど?」
「誰かの飼い犬に脚を噛まれて、傷口を縫うハメになってから俺もどうにも」
遊奈は商品の中から、可愛げな猫のイラストがプリントされたマグカップを手に取り、
「あ、これかわいい! あたし、これ買っちゃおっと」
「犬は嫌いだけど猫は好き、ってか? どっかの誰かさんと逆だな」
「うん、にゃんこは大好きでして。およよ、ひょっとするとしのみーもにゃんこさん大好き同盟の一員?」
アマトは苦笑いで目を逸らし、
「車に轢かれてペチャンコの干物になってた猫見て以来、猫も好きになれねーのかも」
「それ、猫が完全に被害者じゃん……。もう、猫好きにそんなエピソード聞かせなくてもいいのに」
「でー遊奈、プレゼントはそれでいいのかよ? えらく決断が早いけど、俺の出番なし?」
「ううん、これは自分へのプレゼント。目的のプレゼントはまた別だよ」
「じゃ、それ二つ買えばよくないか?」
「実はその子、猫嫌いの犬好きなんだよね……。あたし犬嫌いだから、他の人のアドバイス聞こうと思ってしのみーを誘ったんだけど……、意味なかったね」
「猫嫌いの犬好き……か。まあ、俺は実物が苦手なだけで、さすがに商品なら大丈夫だけど」
アマトは遊奈の選んだマグカップの隣に注目し、
「これ、どうよ? 遊奈のそれとお揃いのマグカップ」
手にしたのは、可愛げな犬がプリントされたマグカップだ。どうやら遊奈の手にしているそれとはお揃いの商品らしい。
「そっか、お揃いかぁ」
そのマグカップを空いた手で取り、手にした二つを熱心に見比べる遊奈であるが、最後はくすぐったそうに頬を緩ませ、
「うん、お揃いってイイかもっ。しのみーにしてはナイスなアイデアだね」
「どういたしまして。こう見えても物選びのセンスには自信あるんだぜ?」
そうして遊奈は商品を購入したのち、
「ねえねえ、最後にどーしても行ってみたいお店があるんだけど。ここまで来てくれたからにはもちろん、あたしと一緒に行ってくれるよね?」
「……――おおぉ、これは立派な宇治金時! 二人掛かりでも完食できるかどうか難しそう」
遊奈が誘ったのは、この観光名所でも特に有名な甘味所。和の趣ある店内、二人の前に置かれたのは、お椀に山盛られたかき氷に粒あん、白玉、おまけに抹茶アイスが豪快に乗った宇治金時。
遊奈はウキウキでスプーンを手に取り、「いっただっきまーす」と元気よく宣言し、
「一回食べてみたかったんだよね。今日はお店空いててラッキー」
零れることを恐れず氷の山にスプーンを入れ、パクリと一口。その冷たさにう~っと目を瞑るも、
「お、うまいっ。ほら、しのみーも食べて食べてっ」
母親が和菓子屋を営むアマトも抹茶色の氷とあんこを口に入れ、
(なにコレ、メッチャクチャうまい……ッ。抹茶のほのかな苦みと粒あんの甘味、氷の冷たさがサイコ―にマッチしてるッ。テレビでよく見る店だけど、まさかここまでとは……)
遊奈、そしてアマトはしばらく和スイーツを堪能する。
ふと、遊奈はアマトに視線を送り、
「さっきさ、まゆゆと会ったでしょ? そのことで、ちょっと訊いてみてもいい?」
「ん、矢作さんがどうかした?」
遊奈はスプーンの動きを緩め、わずかながら顔を張りつめ、
「あたしが西春くんと付き合ってたこと、しのみーはどう思ってるのかなって。それとすぐに別れちゃったことも、どう考えてるのかなって」
「矢作さんは西春が好きだった。で、遊奈はその西春と付き合ったことに負い目を感じてる……、ってこと?」
「……まぁ、負い目は感じてないけど? ただ、しのみーの考えを知りたくなったんだ」
アマトは特に怒る態度を見せず、それどころか口元には余裕の証さえ示し、
「別にいいんだよ、誰が誰と付き合おうと。矢作さんが西春を好きだからって、遊奈が引く理由にはならない。順番なんてないだろ、恋には。付き合いたいなら、周りを気にせずアタックすればいいんじゃないの」
「時永さんも言ってたけど、結果的には部に迷惑をかけることになったとしても?」
「いいんだよ。むしろ、俺が勝手に解散を提案したみたいなもんだし」
嘘は言っていない、あくまで本音を言ったまで。やはり恋は誰だってするものだし、それで人間関係が拗れたとしてもしょうがない。すべてはその一言で済ませても構わない、と。
ただしそれは、心から恋心を抱いたから、という前提のハナシではあるけれども。
「器が大きいんだね。あたし、しのみーのこと見くびってたかも」
「俺ほどの大物はなかなか見かけないからなあ。見くびってもらっちゃあ困るぜ」
「犬には怯えてたクセしてー。よく言うよ」
「ビビッてねぇよ、警戒してただけだ」
宇治金時を共同作業で片付けていく中、アマトは遊奈をこっそり眺め、
(相変わらず底が見えないというか、考えが読めないところもあるけど……。今日は少しだけ、遊奈が見えたような気がする)
あくまでも独断ではあるが、おそらくその所見は間違っていないのかもしれない。そして同時に、ハッキリ得られた一つの結論。
「遊奈は……俺のこと好きか?」
最後の白玉を掬い上げたアマトは尋ねる。
遊奈はスプーンに乗せたアイスクリームを口に含みかけた手前、軽く目を見開き、
「大胆な質問するね。……うふふ、なんて答えてほしい?」
「……さあ? だーい好きって言われても、正直疑うけどね」
「じゃあ、だーい嫌いって言われたら大喜びするの? しのみーがドMさんならわからなくもないけど?」
アマトは口元を緩め、
「そう言ってくれたほうが、ある意味嬉しいかもな。あ、別に遊奈が嫌いってわけじゃないから」
これも本音。嘘は一つもない。
そんな濁し気味の言葉を聞けど、遊奈はアマトを疑うことせず、――彼女すらもピンクの唇を薄っすらと綻ばせ、
「答え、知ってるクセに」
そうするといつもどおりの愛らしい笑顔で、
「しのみーはデリカシーこそ皆無なオバカさんだけど、そういうことに鋭いことは遊奈も知ってるよ。だからあの時永さんに誘われたことも、あたしは知ってる」
「それはどうだか。ちょうど俺がヒマしてたから誘っただけなんじゃないの?」
「でも、もしあたしが時永さんの立場だとしても、まずはしのみーを誘っちゃうかも」
「お、奇遇だな。俺も琴夜に誘われた時、まず遊奈を推薦したんだぜ? そしたらアイツ、部に迷惑をかけた人間を誘おうとするなんて信じられない、ってむくれたんだけど。……おっと」
本人を前にして言っていいことじゃないか、とアマトは自重を促した。
遊奈も遊奈で、その話題を避けるように席を立ち、
「食べ終わったし、そろそろ出ようか? ここの宇治金時、おいしかったね。機会があったらまた食べにこようか。今度は時嬢部の三人で一緒に、ね?」
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